starthome-logo 無料ゲーム
starthome-logo

床に押さえつけられて窒息はありうるのか?逮捕拘束中の突然死の謎


2004年、三重県四日市市のショッピングセンターで、買い物中の 68 歳の男性が、女性客に「泥棒だ」と叫ばれ、周囲の店員や客に取り押さえられました。

この男性は実は無実だったことが後に判明しますが、それよりこの事件でショッキングだったのは取り押さえ中に男性が意識を失い、その後死亡が確認されたことです。

この事件は「四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件」と呼ばれていますが、この事件を聞いたことがある人の多くは、なぜ男性が死亡したのか? と疑問を抱いたはずです。

実はこうした事例は世界でたびたび報告されています。

万引き、酔客のトラブル、自傷他害のおそれがある人への対応など、警察官だけでなく市民や店員、救急隊、医療スタッフが「危険を止めるために押さえつける」場面は珍しくありませんが、「さっきまで暴れていた人が、取り押さえている最中に突然ぐったりし、そのまま死亡してしまう」というケースは世界各地で確認されているのです。

こうした「拘束中の突然死」は、本人に重い持病がなくても起こり得るため、捜査の現場では「警察が強く押さえすぎて窒息させたのではないか」と疑われ、責任の所在をめぐって激しい議論が繰り返されてきました。

しかし医学的な検証では、健康な人がうつ伏せで押さえつけられただけで、胸が動かなくなるほど換気が阻害され、即座に窒息死するとは考えにくいという知見が積み重なっていました。

その一方で、現実には取り押さえの場面で突然死が起きることもあり、「科学的な説明が追いついていない現象」として長年決着がつかない状態が続いていたのです。

そこで、スウェーデン国家法医学委員会(Swedish National Board of Forensic Medicine)とカロリンスカ研究所(Karolinska Institutet)などの研究チームは、スウェーデン全国で過去 32 年間に起きた「興奮状態の人が拘束されている最中に突然死亡したケース」を一つひとつ洗い出し、解剖所見や血液データ、拘束時の姿勢まで含めて徹底的に検証しました。

いったい、人はどのような条件が重なると「取り押さえられている最中に心停止に至る」のでしょうか。

それは本当に警察や医療者の圧迫だけが原因なのか、それとも私たちが見落としてきた別のメカニズムがあるのか。

今回紹介する研究は、その答えを「二段階のプロセス」として提示し、拘束中死亡を巡る議論に新しい視点を投げかけています。

この研究の詳細は、2025年11月付けで科学雑誌『Journal of Forensic Sciences』に掲載されています。

※「四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件」は研究と類似した事件状況の説明として引用しているだけであり、今回の研究の検証には含まれていません。この事件は「高度のストレスによる高血圧性心不全と不整脈」だったと発表されています。

目次

  • 本当に「押さえつけたから死んだ」のか? 不自然な窒息
  • 本当に「押さえつけたから死んだ」のか? その奥にあるからだの事情

本当に「押さえつけたから死んだ」のか? 不自然な窒息

興奮して暴れていた人が、取り押さえられている最中に突然ぐったりし、そのまま亡くなってしまう――。

こうした死亡例は、世界中で繰り返し報告されてきましたが、その原因については長いあいだ議論がかみ合ってきませんでした

ある人は「胸を押さえつけられたせいで窒息したのだ」と考えます。

別の人は「薬物の急性中毒だ」と説明します。

こうした混乱を整理するために、スウェーデンの研究チームはスウェーデン全土で 1992 年から 2024 年のあいだに発生した「拘束中の突然死」の記録を調査したのです。

対象となったのは、警察官に取り押さえられたケースだけでなく、救急隊員が暴れる患者を抑えようとした場面や、医療スタッフが自傷のおそれのある人を安全確保のために拘束したケースも含まれています

該当する記録は全部で 52 例ありました。

「胸を押さえれば誰でも窒息する」わけではない

まず研究チームが疑っていたのは、長年よく語られてきた「胸やお腹を押さえつけたから窒息した」という説明です。

もちろん、極端な力で首を締めたり、重いものを胸に乗せ続ければ呼吸は止まってしまいます。

しかし、過去の実験や医療の経験から、健康な人であれば、短時間うつ伏せになって数人に押さえつけられただけで窒息死する可能性は高くないと考えられてきました。

たとえば、集中治療室では、あえて重症の肺炎患者をうつ伏せにして人工呼吸器を使う「腹臥位療法(prone positioning)」という治療が行われます。

このとき患者の胸やお腹にはシーツやクッション越しにそれなりの圧力がかかりますが、慎重に管理すれば、これだけで突然心臓が止まることはありません。

つまり「胸を押さえる」という行為そのものは、ときに危険ではあっても、それだけで説明できるほど“即死級”のスイッチではないという前提が、専門家の間にはあったのです。

では、拘束中に亡くなった 52 人の身体の中では、何が起きていたのでしょうか。

血液ガスが教えてくれる「体内で進んでいた崩壊」

ここで重要な役割を果たしたのが、血液ガス検査という情報です。

血液ガス検査とは、動脈の血液を少量採って、血液の酸性度を示す「pH(ピーエイチ)」、酸化炭素の量を示す「CO₂分圧(ピーシーオーツー)」、乳酸などの代謝産物の量を調べる検査です。

拘束中に心停止し、救命処置の最中に血液を採取できたケースでは、この血液ガスが詳しく調べられていました。

その結果、多くの症例で血液の pH が 6.5 前後という、通常よりはるかに酸性側へ傾いた値を示していました。

血液はふだん pH 7.35〜7.45 の弱いアルカリ性に保たれており、この狭い範囲を外れると全身の働きが急速に乱れます。こうした状態を“アシドーシス”と呼びます。

血液が酸性へ傾くと、心臓や筋肉の細胞は正常に働くことができなくなります。酸性の環境では、心筋細胞が電気信号を扱う能力が低下し、拍動のリズムが乱れやすくなります。さらに、筋肉としての心臓も収縮力を失い、十分な力で血液を送り出せなくなります。血管の反応も鈍くなるため、血圧も維持しづらくなり、全身の循環は急速に悪化します。

重度のアシドーシスで心停止が起きると、たとえ外から心臓マッサージなどで血流を補おうとしても、心臓自体が正常に活動できないため、拍動を取り戻すことが極めて困難になります。

多くのケースで、亡くなった人は拘束される前に、走り回ったり、叫び続けたり、興奮してめちゃくちゃな激しい動きを繰り返していました。

極度の興奮状態や、覚醒剤などの影響がある人では痛みや疲労感が鈍っており、「そろそろ動き続けるのは危ない」というブレーキが効きません。

つまり、多くの対象は拘束される以前に「心臓が電気的にも筋肉的にも働けない状態に追い込まれるほど血液が酸性化した状況」 になっていたのです。

ここが、この研究が明らかにした第一のポイントです。

ではこの状態でうつ伏せに拘束されると何が起きるのでしょうか?

本当に「押さえつけたから死んだ」のか? その奥にあるからだの事情

研究による調査は、取り押さえ中に突然死を起こした人は、体内に二酸化炭素が溜まり、血中が酸化したアシドーシスの状態だった可能性を示していました。

そして第二のポイントは、その状態で胸やお腹が少しでも圧迫されると、その体に溜まった二酸化炭素を十分に吐き出せなくなることです。

興奮状態の体は、平常時の何倍もの呼吸量が必要になります。特に重要なのが体内に溜まった二酸化炭素の排出です。

ところが、うつ伏せに寝かされ、複数人で背中や腰を押さえつけられると、胸がうまく動かず、呼吸が浅くなってしまいます。

その結果、肺で二酸化炭素を捨てる力が間に合わなくなり、体の酸性度が一気に危険なラインを超えて、心臓が止まってしまうのです。

このメカニズムの発見は、多くの人が抱いていた「警察が強く押さえつけたから死んだ」という直感的な理解とは異なります。これは押さえつける力が強すぎて窒息しているということではないからです。

研究チームによれば、死亡の本質的な原因は「圧迫そのもの」ではなく、拘束される時点ですでに体内で二酸化炭素が異常に蓄積していたこと、そしてその状態で十分な換気が確保できなかったことの組み合わせでした。

激しく暴れ続けた人の体内では、筋肉の活動で二酸化炭素の産生が急増し、血液中の二酸化炭素濃度が急激に上昇します。本来であれば深い呼吸でこれを排出できますが、拘束によって胸郭の動きが制限されると、必要な換気量を確保できなくなります。

その結果、二酸化炭素がさらに蓄積し、血液が急速に酸性へ傾く重度アシドーシスが進行し、心臓が限界に達して停止すると考えられています。

平常時であれば同じような拘束で致命的な事態になる可能性は低い一方、すでに二酸化炭素が危険域まで蓄積している状態では、ごく小さな換気制限でも急速に心停止へ向かうリスクが高まるのです。

研究チームは、この状態を「プライミング段階」と表現しています。

これは、まだ何とか踏みとどまってはいるものの、ほんの少し条件が悪化すれば一気に崩れ落ちる直前の状態という意味です。

このプライミング段階の問題を無視して、「押さえつけられたから死んだ」「押さえつけなくても死んだ」と議論しても、なかなか話がかみ合わないのは当然だといえます。

この研究は、拘束中の突然死をめぐる長年の混乱に「新しい説明」を与え、その核心に迫る重要な手がかりを提供したのです。

研究の注意点

とはいえ、この研究にも注意すべき点があります。

スウェーデン全国から集められた 52 例は、とても貴重なデータですが、それでもひとつの国の、特定の期間の記録にすぎません。

なおこのデータでは男性が大多数で、年齢は30代が中心、体格として過体重が目立つ点も報告されています。

同じような詳細な血液ガスや行動記録がそろっている国は世界的にも限られており、日本にはこうした全国規模の統計はありません。

また、過去の事件の記録には、拘束の姿勢や力のかけ方が簡単なメモだけで残されているものも多く、「誰がどのくらいの力で押さえていたのか」「どのくらいの時間、うつ伏せが続いたのか」といった点にはどうしても不確実さが残ります。

さらに、この研究が示しているのは「こうした条件が重なると、心停止に至りやすい」という相関関係であり、個々の事件について「何が決定的な原因であるか」を断定することはできません。

日本でも最初に取り上げた四日市の事件の他にも、類似した状況の事件は複数報告されていますが、それらの死因が今回の論文の報告で説明できるかは不明です。

死因はいつも、薬物、興奮、体格、持病、環境、拘束の姿勢など、複数の要因が重なって決まっていきます。

圧迫が絶対に安全ということでも、絶対に危険ということでもありません。

それでも、今回のような報告は興奮状態の人をうつ伏せに長時間押さえ続けないよう、周知することの重要性、警察や救急の訓練内容を見直すことの必要性を訴えています。

同時に、社会全体も「拘束中の突然死」という状況から、すぐに「押さえつけた人の過失」と決めつけないことが重要でしょう。

普通に考えると不自然な問題には、見落とされている科学的なメカニズムが存在する可能性があります。

その構造を理解し、それに合わせた現場の支援や制度づくりを進めていくことが、長い目で見れば最も多くの命を救う道なのかもしれません。

全ての画像を見る

元論文

Incidents of sudden death during restraint of agitated individuals in Sweden between 1992 and 2024
https://doi.org/10.1111/1556-4029.70237

ライター

相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。

編集者

ナゾロジー 編集部

    Loading...
    アクセスランキング
    game_banner
    Starthome

    StartHomeカテゴリー

    Copyright 2025
    ©KINGSOFT JAPAN INC. ALL RIGHTS RESERVED.