前編では、夜に謎の発光をするアオサギ・ゴイサギの目撃譚から、かつてエジプト文明ではアオサギは太陽の親鳥=ベンヌ=フェニックスとして信仰されたことを紹介しました。
新暦では七夕はとっくに過ぎましたが、旧暦の七夕はつい先日、8月25日。そこで後編は、七夕に関わるロマンチックな伝説を持つカササギとサギとの複雑な縁、そして古代サギ信仰のなごりとしての「鷺舞/鷺踊」神事についてふれたいと思います。
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言わずと知れた日本児童文学史上の不朽の名作にして、宮沢賢治の最高傑作ともいわれるファンタジー『銀河鉄道の夜』。そのある箇所に、不可解な描写があり、以前から議論となっています。
「まあ、あのからす。」カムパネルラのとなりの、かおると呼ばれた女の子が叫びました。
「からすではない、みんなかささぎだ。」カムパネルラがまた何げなくしかるように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。まったく河原の青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光を受けているのでした。
「かささぎですねえ、頭の後ろのところに毛がぴんと延びていますから。」青年はとりなすように言いました。(『銀河鉄道の夜』九、ジョバンニの切符)
「かささぎ」と言えば、牽牛と織姫の逢瀬のために銀河に連なり橋をかける鳥、と伝わり、大伴家持の「鵲(かささぎ)の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」の百人一首でも有名な、あのカササギ(学名はpica pica)です。
ではなぜこのシーンが議論になってきたかと言うと、カササギには「頭の後ろにぴんと延びた毛」=冠毛はないからです。
カササギは広くユーラシア大陸・北アメリカ大陸の温帯に分布し、特に東アジアでは普通に見られる個体数の多い鳥ですが、日本には、古くは『魏志倭人伝』に「牛・馬・虎・豹・羊・鵲無し」と書かれているとおり、例外的に分布していませんでした。
佐賀県の佐賀平野を中心に、長崎県東北部と福岡県南部のごく一部に密集的に生息することはよく知られていますが、これは安土桃山時代に朝鮮出兵の武将たちが持ち帰り放鳥したものと考えられています。
1980年前後から、日本各地で生息が報告されはじめているのですが、これはどうも人間の貿易が盛んとなり、貨物船などに混じって大陸から渡ってくる個体が多くなってきたことによるようです。ですからカササギは基本的には外来種の大陸系の珍しい鳥で、日本人の多くがカササギの実物など見たことはなかったのです。賢治もまたカササギについては名前だけは知っていてもどんな鳥かよくわかっておらず、何か別の鳥と取り違えているのではないか。だとしたら取り違えた鳥の種類は何か。それが論じられてきたのです。
シギの仲間で、体色はメタリックグリーンと白、頭にぴんと目立つ冠毛のあるタゲリ(田鳧 vanellus vanellus)ではないか、という説が有力視されているのですが、タゲリでは、女の子がカラスと勘違いした前段の描写と食い違います。どんなに鳥に疎くても、大きさはハトほどで頭もクチバシも小さなタゲリを見てカラスと見間違う人はいません。
実を言うと筆者は宮沢賢治は鉱物や植物などと比べて、鳥については知識が乏しかったのではないか、と推測しています。有名な童話「やまなし」では、こんな箇所があります。
「おとうさん、いまおかしなものが来たよ。」
「どんなもんだ。」
「青くてね、光るんだよ。はじがこんなに黒くとがってるの。そいつが来たらお魚が上へのぼって行ったよ。」
「そいつの目は赤かったかい。」
「わからない。」
「ふうん。しかし、そいつは鳥だよ、かわせみと言うんだ。」(「やまなし」)
ここで賢治は、カワセミの特徴を目(虹彩)が赤いとしています。『春と修羅 第二集』所収の詩「花鳥図譜 七月」にも、「ははああいつはかはせみだ、翡翠(かはせみ)さ、目だまの赤い」というくだりがあります。しかし、カワセミの目は実際には赤くありません。黒飴のように真っ黒です。この詩の草稿では、「きっと小さな五位さぎだ」という一節があります。ゴイサギの虹彩は鮮やかな赤です。とするともしかしたら、賢治はゴイサギをカワセミと思っていたのかもしれません。少なくとも賢治がゴイサギとカワセミの区別も曖昧であることを疑わせます。
『源氏物語』にも不可解な記述が。かつて「かささぎ」は二種類いた!?
カササギは推古帝や天武帝の時代に、新羅から献上品として持ち込まれたことが『日本書紀』の記述からわかり、実物とともに七夕伝説のカササギ伝説も伝わり名が知られるようにもなりました。
カササギを表わす「鵲」の漢音は「しゃく」呉音は「さく」なので、「かささぎ」と読むのは訓読になりますが、もともと日本にはいない鳥なのでカササギの実物や伝承が伝わってきてから「かささぎ」という和名がつけられたことになります。この語源は、中国/大陸からの舶来品につけられる「唐」にカラスが接続して「カラガラス」から変化したものとも、カチカチ、カシャカシャと鳴く(通常のカササギの鳴き声は『カチカチ』『カシャカシャ』とは聞こえませんが、近縁のカラスには上下のクチバシをカチッカチッとカスタネットのように鳴らす習性がありますから、カササギもするのかもしれません)ともされますが、最も無理がないのはカササギを日本にもたらした朝鮮半島諸国の言葉でこの鳥を「까치(Kkachi ッカチ)」またはカチョンギと呼ぶことから、これが変化したもの、とする説です。
けれども、そればかりではありません。「かささぎ」という名は、実は古くはサギにつかわれていた名称かもしれないのです。鎌倉時代の異色の類書(百科事典)『塵袋』(著者不詳1264~1288年成立)の「鵲」の項目には、
カサヽキト云フハ ミノ毛ノ頭ニアル鷺哉
とあり、何とカササギはサギだというのです。サギの多くは繁殖期に、目の付近の色が婚姻色に変わり、翼や頭には美しい飾り羽根が延び出て、全体の羽毛が長くなり、胸元の羽毛も垂れ下がってきますが、この「ロン毛」っぽくおめかしした時期のサギの羽根を蓑羽といいます。
それが頭にあるサギ、と特定していますが、これは頭に生える飾り羽根、冠羽のことを指すのでしょう。シラサギ類ではコサギ、アオサギ類(アオサギ・ゴイサギ・ササゴイ)も、冠羽が生えてきます。ですからかつては、飾り羽のある繁殖期中のサギ、または冠羽が生える種のサギを「カササギ」と称していた、ということのようです。平安中期の『源氏物語』「浮舟」の段には、「寒き洲崎にたてるかささぎの姿も、所からは、いと、をかしう見ゆるに」とあり、これはやはりカラス科のカササギではなくサギのことだとわかります。江戸後期の国学者・伴信友(1773~1846年)の著書『比古婆衣(ひこばえ)』では、「浮舟」のこのくだりのかささぎを、アオサギであろうとしています。
古典中の古典である『源氏物語』に記された、「カササギではない傘鷺」。このイメージは自然に日本人の無意識に刷り込まれてきたのではないでしょうか。賢治が『銀河鉄道の夜』で登場させた「かささぎ」もこれにひきずられた、と考えることができます。では銀河の岸辺にいた鳥はアオサギ、ゴイサギ、コサギのどれなのか。「八、鳥を捕る人」では、銀河の河原で、ツル、ガン、サギなどの鳥を捕まえてお菓子にして売っている鳥捕りが登場し、そこにシラサギは登場します。一度サギとして登場させたものを後から再度「カササギ」とはしないでしょうし、白い羽毛のサギをいくら何でもカラスには見立てませんから、コサギではないでしょう。アオサギとゴイサギのどちらかとなれば、巨大で首の長いアオサギを、女の子が「あのからす。」と言うわけがありません。ゴイサギならば、サイズはカラスとほぼ同じ、ずんぐりした体型、頭から背にかけての紺色は逆光で黒くも見えるでしょうし、大きなクチバシもカラスとして間違える対象にぴったりです。
カワセミと混同されたりカササギと思い込まれたりと、ゴイサギもなかなか忙しいですが、賢治の名誉のために付け加えますと、ゴイサギもカワセミも、東北地方にも分布するとはいえ、基本的にはどちらも温暖地寄りの鳥です。今より寒かった20世紀の前半、あるいは北国岩手ではカワセミやゴイサギを見る機会がきわめて少なかったのかもしれません。
傘(蓑)鷺でカササギ。それは疫病除けと豊穣祈念の神だった
京都八坂神社の疫病除けの大祭・祇園祭では、古くから「鷺踊(さぎおどり)」と呼ばれる舞いが奉納されてきました。
かつては「笠鷺鉾(かささぎぼこ)」と呼ばれる飾り鉾の周囲で踊られていたものが、江戸時代頃に途絶え、近年になり復活したもので、現在は小学5、6年の女児が、全身白の衣裳に、背に翼をかたどった飾りをしょい、頭にはシラサギの頭部のかたちの頭巾をかぶり、舞いを披露します。
シラサギの頭頂部には赤い小さな傘が取り付けられ、まさに「傘鷺」をあらわしています。京都の祇園祭の鷺踊も、それが伝播し国の重要無形文化財に指定されている島根県鹿足郡津和野町の弥栄神社に伝承される「鷺舞」でも、両方の翼を大きく広げて日輪をかたどるような所作は、遠い昔のサギと太陽信仰のかかわりの残滓のようにも見えます。
滋賀県蒲生郡竜王町山之上地区の杉之木神社で初夏に催される「ケンケト祭り」では、五色の吹流しが垂れ下がる大きな傘鉾が登場し、その先端には鳥型に切り抜いたご神体となる「稲風呂(いなぶろ)」が飾られ、三本の綱でバランスを取りながら村内を練り歩きます。すると、見物人たちがこの吹流しの縁起物をちぎり取り、傘鉾を引き倒して奪い取ろうとし、引き手の若者たちは引き倒されまいと抵抗します。このもみ合い、争いが激しいほどこの年の収穫は豊穣になるという奇祭ですが、鉾の先端にとりつけられたご神体の鳥型はサギ。サギの神が実りのために生贄となるさまを象徴するこの神事は、サギを稲作・田の守り神としてきた信仰を今に伝えているもののように思われます。山之上地区は古くからの京都祇園社の庄園(領有地)で、祇園祭とサギにはやはり浅からぬ縁があるようです。
七夕の主役である牽牛=彦星は、また八坂=祇園の神である牛頭天王を通じてつながっているとも考えられます。
疫病鎮めの神「カササギ」に、コロナ禍で分断された社会に橋を渡してほしいと願いたくなる今年です。
(参考・参照)
銀河鉄道の夜 宮沢賢治 新潮社
風の又三郎 宮沢賢治 岩波書店
日本の詩歌 宮沢賢治 中央公論社
山階鳥研報(J. Yamashina Inst. Ornithol.) 日本産カササギPica pica serseaの由来(史料調査による) 江口和洋 久保浩洋
塵袋
ケンケト祭り