
日本オムニチャネル協会の活動をサポートする役割を担う「フェロー」。各方面の専門家が集まり、様々な活動に取り組んでいます。今回はそのフェローの一人で、女性顧客の購買行動に特化した「女性インサイト総研ハー・ストーリィ」の代表取締役社長を務める日野佳恵子氏に話を聞きました。女性の声を企業に届けるマーケティングを長年研究・実践してきた日野氏は、妊娠という人生の転機を経て起業し、独自の「女性インサイトマーケティング理論(WIM理論
)」を確立しました。なぜ従来のマーケティング理論では女性の心を動かせないのか。そして、企業がこの理論を取り入れることでどのような変化を起こせるのか聞きました。
消費の8割を担う女性の声が企業に届いていない
鈴木:日野さんは、女性顧客の購買行動に特化した「女性インサイト総研ハー・ストーリィ」の代表取締役社長として活躍されています。会社を立ち上げられるまで、どのような道のりだったのでしょうか。
日野:創業は1990年で、今期で36期を迎えます。もともと武蔵野音楽大学の声楽科に在籍していましたが、20歳の時に婦人科系の病気で倒れ、「子どもはできない」と宣告されました。そのため大学を中退し、療養後の21歳頃から就職。広島の広告会社で女性向けタウン誌の編集者として勤務しました。そんな折、医師の言葉を覆すかのように奇跡的に妊娠したのです。振り返ると、この出来事が人生の大きな転機になりました。
鈴木:まさに、そこに起業の原点があったのですね。
日野:はい。妊娠をきっかけに、女性として、そして妊婦として日常生活に潜む不便や、社会の“使い手無視”の構造を実感しました。妊婦としてキッチンに立つと足が冷える、お腹が出てくるとまな板に手が届かない。そんな小さな不便が積み重なり、「誰もこの不便を代弁していない」と感じたのです。家庭の食品や家族の衣服など、消費の約8割を女性が担っているにもかかわらず、広告会社では女性の意見に関心が向かない現実がありました。
そこで、「ママや女性の声を企業に届け、経営戦略に活かすマーケティング会社をつくろう」と考えました。最初はママさんコミュニティを組織し、試食会などから活動を開始。2000年代にはデジタルママコミュニティへと移行し、「ネット上で意見を言うとモニター商品がもらえる」という評判が広がり、最終的には5万人規模にまで拡大しました。現在も、女性の意見を聞きながら企業にその行動や思考を伝えることをベースに活動しています。

従来のマーケティング理論では捉えきれない消費の真実
鈴木:御社で研究される「女性インサイト」とはどのようなものでしょうか。
日野:「女性インサイト」とは、単なる心理分析ではなく、“なぜその商品を買うのか”という購買理由を明確にすることです。年齢や所得などのデモグラフィックデータや、デジタル上の行動データだけでは見えてこない、女性特有の「実像」や心理構造を深く捉えます。
鈴木:女性の購買行動は、既存のデータだけでは見えないのでしょうか。
日野:そうです。女性の購買行動には特徴があります。まず、「自分と誰かを思いやる気持ち」と結びついており、その背後には常に家族や周囲の人の存在があります。また、意思決定のプロセスは一本道ではなく、比較・相談・共感を重ねながら進む“枝状の行動”をとります。「何を買うか」だけでなく、「なぜそれを買うのか」「それが誰にどう役立つのか」といった“買う意味”を重視しているのです。
「冷蔵庫のドアにマグネットが貼れないと子どもの予定管理に困る」「ヘアオイルが子どもの顔につくのが気になる」といった、一見些細な生活の違和感の中に購買理由が隠れています。
鈴木:女性が買う意味をそんなに重視しているとは知りませんでした。たしかに従来のマーケティング理論では、こうした複雑な構造は捉えきれないですね。
日野:その通りです。AIDMAのような従来理論では、購買行動が直線的に進むことを前提としています。しかし、女性の購買行動は感情や共感が複雑に絡み合うので、実際の消費の流れとは異なります。
さらに、多くの企業では「想像のペルソナ」で女性像を描くため、現実の女性の思考や感情を理解できません。その結果、「女性も助かる商品」や「子どもが喜ぶ商品」は増えても、女性自身が“本当に満足する商品”はなかなか生まれないのです。
そこで私たちは、35年にわたる調査・分析をもとに、女性の購買行動を体系化した「女性インサイトマーケティング理論(WIM理論
)」を確立しました。この理論は、女性の行動や心理の根拠を科学的に整理し、男性の意思決定層にも“理屈で説明できる”形にしています。
鈴木:企業は女性インサイトマーケティング理論(WIM理論
)を取り入れることで、どのようなメリットがありますか。
日野:女性の感情の中に潜む“買うスイッチ”を見つけることができます。たとえば住宅購入では、女性にとって重要なのは「キッチンの形」ではなく「玄関から子どもの姿が見えるか」。つまり、“お帰りと言える家”という情緒的価値こそが購買の決め手です。実際に広告でこの表現を用いたところ、来場者数が大幅に増加しました。
AIやビッグデータが進化する今だからこそ、人間のリアリティがより重要です。AIは膨大なデータを解析できますが、「玄関から子どもの姿が見たい」といった感情や文脈を伴う“生活者の声”までは理解できません。私たちは、AIによる定量的分析に現場で得た定性的なリアリティを掛け合わせることで、初めて意味のあるマーケティング戦略を導き出しているのです。
鈴木:つまり「女性の購買行動を理論化し、現実の生活に根ざしたマーケティングを再構築する」ことが御社のアプローチなのですね。
日野:はい。女性の消費行動を“感覚”ではなく“理論”として可視化する。それが企業と社会の未来をより豊かにする第一歩だと考えています。そして、この理論をまとめた書籍を近日発売予定です。書籍では理論の背景や実践方法、具体的な事例まで詳しく解説しており、より多くの人に理論を理解してもらい、マーケティングに活かしてほしいと思っています。

人と人が繋がる日本オムニチャネル協会
鈴木:日野さんは日本オムニチャネル協会のフェローとして活動に参画されています。どのようなきっかけで参加されたのですか。
日野:知人からの紹介をきっかけに参加しました。実際に参加してみると、協会には消費者や市場に影響を与えるビジネスに携わる方が多く、人とのつながりの多さに驚きました。
鈴木:現在の日本の閉塞感は、業界や企業、組織、性別などがサイロ化されていることにあり、これを壊していく必要があります。「そういう場作り」を日本オムニチャネル協会が担いたいと感じています。オムニチャネルは狭義ではネットとリアルの融合ですが、結局、人と人が繋がるのがチャネルだと考えています。
日野:本当にその通りです。参画している企業の業界がバラバラなので、普段なら出会えない人に出会えます。とても刺激的で、成長を感じられる場です。これからも人と人がつながり、語り合える機会が増えることを期待しています。
鈴木:私にとっても新しい視点を提供していただきました。ぜひ日本オムニチャネル協会を盛り上げていきましょう!
女性インサイト総研ハー・ストーリィ
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