現代人からすると信じがたい葬送習慣が、かつての中国南部や東南アジア一帯に存在していました。
亡くなった人を木製の棺に納め、その棺ごと切り立った断崖の高所に懸けるのです。
この奇妙な葬送文化は「懸棺(けんかん)」として知られ、数千年前からおよそ3000年にわたり各地で広く行われていました。
しかし、この独特な葬送を担った民族の正体は、長い間謎のままでした。
そんな中、中国科学アカデミー(CAS)の最新ゲノム研究で、この謎多き文化と民族のルーツに答えをもたらしました。
研究の詳細は2025年11月20日付で科学雑誌『Nature Communications』に掲載されています。
目次
- 「懸棺」をした民族の正体とは?
- なぜ「空に棺」を吊るしたのか
「懸棺」をした民族の正体とは?
中国南部や雲南省の渓谷、さらには台湾、タイ北西部など各地の断崖や洞窟には、いまも“空中に浮かぶ棺”が静かに残っています。
これらは「懸棺」と呼ばれるもので、木でできた棺が崖や洞窟の高所に安置されているのです。
伝説や古記録には「ボー族」と呼ばれる小民族がこの風習の担い手だったと記されていますが、その正体やルーツは明代以降、歴史から消えてしまい、永らく科学的な証明はされていませんでした。
【実際の画像がこちら】
今回、研究チームは、雲南省と広西チワン族自治区の複数の懸棺遺跡から出土した約2000年前の古代人ゲノムと、現存するボー族(雲南省)の30体の全ゲノム、さらにタイ北西部で発見された「丸太棺(Log Coffin)」遺跡からの古代人ゲノムも加え、徹底的な比較ゲノム解析を行いました。
その結果、現代のボー族は、かつて懸棺文化を築いた古代人と極めて強い遺伝的なつながりを持つ、まさに直系の子孫であることが明らかになったのです。
ボー族のゲノムには、中国南部の新石器時代(約4000〜4500年前)の沿岸部農耕民の遺伝子が多く含まれており、これらの集団は現代のタイ・カダイ語族やオーストロネシア語族(台湾や東南アジアの一部民族など)の祖先とも重なっていたのです。
なぜ「空に棺」を吊るしたのか
「懸棺」が行われた理由については、歴史文献や現地の伝承、そして考古学・人類学的な考察がいくつかありますが、その本質的な動機は完全には解明されていません。
ただし、論文・歴史記録には以下のような説明や解釈が記されています。
1. 吉兆・幸運を願う思想
元朝時代(1279–1368年)の歴史書『雲南略志』には、「高い場所に棺を置くことは吉兆とされる。棺が高いほど死者にとって幸運である」と記されています。
このことから、死者の魂が高い場所で安息し、霊的に守られることを願ったと考えられます。
2. 霊魂観・死後世界への配慮
ボー族の伝承や地域の民話では、死者の魂が「空を制する」「崖を越えていく」といった超自然的な存在とされてきました。
棺を空中に吊るすことで、死者の魂が大地から切り離され、より高い場所や天に昇ることを助けるという霊魂観が背景にあった可能性があります。
3. 現実的・実用的な理由
一部の研究者は、洪水や動物による荒らしから遺体を守るという現実的な理由もあったのではないかと指摘しています。
山岳地帯では地面に埋葬することが難しく、また湿気や土壌条件が悪い地域では高所安置の方が合理的だったとも考えられます。
4. 社会的・文化的シンボル
断崖絶壁に棺を吊るす行為そのものが、集団のアイデンティティや霊的な力を象徴する儀礼となり、周囲の集団との差異化や、共同体の一体感を強める役割も果たしたとみられます。
参考文献
Ancient ‘hanging coffin’people in China finally identified — and their descendants still live there today
https://www.livescience.com/archaeology/ancient-hanging-coffin-people-in-china-finally-identified-and-their-descendants-still-live-there-today
元論文
Exploration of hanging coffin customs and the bo people in China through comparative genomics
https://doi.org/10.1038/s41467-025-65264-3
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部
