太古の昔、人類はどのようにして海を越え、オーストラリアの大地にたどり着いたのでしょうか。
長年にわたり議論されてきたこの謎に、最新のDNA解析研究が一つの答えを出しました。
英ハダースフィールド大学(University of Huddersfield)らの最新研究で、現生人類がオーストラリア大陸(古代には「サフル」と呼ばれた、ニューギニアやタスマニアも含む広大な陸地)に初めて到達したのは、約6万年前だったことが分かったのです。
しかもその道のりは、一つではありませんでした。
研究の詳細は2025年11月28日付で学術誌『Science Advances』に掲載されています。
目次
- DNAが語る6万年前の冒険
- 二つのルート、二つの冒険
DNAが語る6万年前の冒険
現生人類はいつ、どのルートでサフル大陸(※)へ到達したのか?
(※ ニューギニア、オーストラリア、タスマニア島など今のオセアニアを形成している国をカバーする大陸のこと)
この問いは、考古学と遺伝学の分野で長らく議論の的となってきました。
これまでは「ショート年代説」として4万7千~5万1千年前の到達が主流とされ、ミトコンドリアDNAやY染色体データもこれを支持していました。
しかし今回、オーストラリア、ニューギニア、オセアニアの先住民から集めた2456系統もの大規模なゲノムデータが用いられ、分子時計(一定期間に生じる遺伝子変異の数から年代を推定する手法)によって改めて到達年代が調べられました。
その結果、ヒトの到達は従来よりも1万年以上さかのぼる、約6万年前であることが強く示されたのです。
さらに、従来の短期年代説と異なり、今回の研究では「長期年代説」に一貫した根拠が得られました。
研究チームは、遺伝子の変異速度や分析モデルの違いによる年代推定の幅も慎重に比較し、どの手法でも一定の補正を加えれば6万年前という結論が揺るがないことを確認しました。
これにより、考古学的証拠――たとえば北部オーストラリアの遺跡「ナウワラビラI」や「マジェッドベベ」で得られた5万3千~6万5千年前の年代とも矛盾しない結果となりました。
つまり、人類は想像よりはるか昔から、海を越える力を持っていたのです。
二つのルート、二つの冒険
さらに驚くべきは、サフルへの「人類拡散」が一度きりのイベントではなく、少なくとも二つの異なるルートで進行した可能性が明らかになったことです。
ゲノムデータの詳細な解析により、サフルに到達した人々には東南アジアに起源を持つ二つの異なるグループが存在していたことが判明しました。
彼らはおそらく「スンダランド」と呼ばれる現在のインドネシア諸島周辺から、北と南、二つのルートでサフルを目指したのです。
【ルートを図にした画像がこちら】
ひとつは北ルートで、フィリピンやワラセア(インドネシア東部の島々)を経て、ニューギニア方面へ。
もうひとつは南ルートで、スンダランドから直接オーストラリア大陸へと向かったと推定されています。
どちらのルートも、海面が現在より低かった氷期とはいえ、必ず海を越える必要がありました。
つまり、6万年前の人類はすでに舟やいかだを駆使する「海洋渡航技術」を持ち合わせていたと考えられるのです。
この大胆な航海は単なる偶然の漂流ではなく、複数回にわたる意図的な移動――つまり、初期人類の優れた知性と冒険心を裏付けるものとなりました。
サフルへの到達は、人類史上最も早い「大規模な海洋移住」として、世界史の転換点となった可能性があります。
参考文献
Humans first entered Australia 60,000 years ago via two routes, DNA analysis suggests
https://phys.org/news/2025-12-humans-australia-years-routes-dna.html
元論文
Genomic evidence supports the “long chronology” for the peopling of Sahul
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.ady9493
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部
