アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)で行われた研究によって、あえて幹細胞を使わずに、皮膚細胞を直接ニューロンへ高効率で“変身”させるという画期的な技術が開発されました。
皮膚の線維芽細胞に特定の転写因子と増殖調整の仕組みを組み合わせることで、まるでスイッチを入れるかのように運動ニューロンへと変換できるのです。
もしこれが本格的に実用化されれば、脊髄損傷や神経変性疾患などの治療に新たな道が開けるかもしれません。
いったい、どうやって“幹細胞なし”で細胞の運命をここまで自在に操ることができるのでしょうか?
研究内容の詳細は『Cell Systems』にて発表されました。
目次
- iPS誕生から直接変換の時代へ
- 直接変換技術がもたらす革新
iPS誕生から直接変換の時代へ

2006年、皮膚などの体細胞からiPS細胞(人工多能性幹細胞)が樹立されたニュースは、再生医療に大きな衝撃をもたらしました。
自分自身の細胞をいったん幹細胞状態に戻し、そこから心筋や神経など、さまざまな臓器・組織の細胞へ分化できる道が開けたからです。
その後も「ES細胞(胚性幹細胞)」を含む幹細胞をベースとした技術が急速に進歩し、臓器オルガノイドや創薬スクリーニングへの応用が盛んに検討されてきました。
しかし、こうした技術の多くは基本的に「皮膚細胞などを一度は幹細胞状態に変化させる」必要があるため、腫瘍化のリスクや増殖制御の難しさ、さらには時間やコストの問題などがつきまといます。
また、いったんリセットされた幹細胞だと“年齢相応の細胞”としての特徴を失うため、たとえば高齢者特有の神経変性疾患を再現する際にうまくいかない場合もありました。
このような背景から近年脚光を浴び始めたのが、「幹細胞を経由しない直接リプログラミング」という考え方です。
もし皮膚線維芽細胞などを中間段階なしで神経細胞に変えることができれば、リスクの低減や効率の大幅向上、さらには細胞の“加齢状態”を保持したまま変換することが期待できます。
ただし、これまでの直接変換に挑んだ研究では、変換効率や細胞の成熟度にばらつきが目立ち、実用レベルで大量のニューロンを得るには未解決の課題が多いのも事実でした。
そこで今回研究者たちは、運動ニューロンの生成を担う複数の転写因子に着目し、その発現バランスや“細胞がどのタイミングで分裂するか”といった増殖履歴まで合わせて制御し、皮膚細胞を効率的かつ大量にニューロンへ直接変換する新手法を試みたのです。
調査に当たってはまず、皮膚の線維芽細胞に「運動ニューロンになるためのスイッチ」をまとめて組み込み、一気に“別モノの細胞”へ変えてしまおうという仕組みづくりが行われました。
具体的には、ベクター(遺伝子の運び屋)を使って複数の転写因子を一度に導入し、それだけでなく「いつ細胞に入れるか」「どの順番で並べるか」など、細かなタイミングと組み合わせを工夫しました。
なかでもユニークなのが、細胞が“ハイパー増殖”という短い時間で一気に分裂する状態をわざと利用した点です。
普通は細胞分裂が盛んなほど、入れたタンパク質(転写因子)が薄まってしまうように思うかもしれません。
ところが、増殖が活発な時期は細胞のDNA(染色体)が“開きやすく”なり、それだけ転写因子が働きやすいという現象がわかりました。
いわば「ドアが開いているうちに、神経に必要なスイッチを一気に入れてしまう」イメージです。
その結果、もともと皮膚だった細胞が一気に運動ニューロンの遺伝子プログラムへ切り替わるのです。
さらに、マウスだけでなくヒト成人の皮膚細胞でも同様のアプローチを試みた結果、幹細胞を介さずにニューロンへの変換を確認することに成功しています。
幹細胞をはさまないことで腫瘍化のリスクを相対的に抑えられると期待されるだけでなく、“細胞の年齢”をそのまま保ったままリプログラムできる可能性も示唆されており、今後の応用研究がいっそう注目されています。
おもしろいのは、この「増殖履歴のコントロール × 転写因子のまとめ投入」という組み合わせを突き詰めたことで、わずか2種類のベクターだけでも高い変換効率を実現できるようになったことです。
こうすることで、“ドアが開いているタイミング”に合わせて転写因子を効率よく送り込み、細胞内スイッチを同時にONにできます。
結果として、実験室スケールで従来よりも大幅に多くのニューロンを安定して作り出せる可能性が示されました。
直接変換技術がもたらす革新

今回の成果は、細胞の運命を決定づける転写因子の働き方や、細胞が増殖するタイミングといった要素を「うまく噛み合わせる」ことで、幹細胞を経由せずにニューロンを作り出せることを示しています。
これにより、これまで問題視されてきた腫瘍化リスクの低減や、細胞の加齢状態を保持したままのリプログラムが期待できるのは大きなメリットです。
たとえば、加齢とともに進行する神経変性疾患の研究では、患者の年齢相応の細胞を直接ニューロン化することで、リアルな病態モデルを得られる可能性があります。
ただ幹細胞を経由しないとはいえ、ベクターの使用や増殖制御因子の導入など、新しいリスクや技術的ハードルも考えられます。
大量に得られたニューロンが実際に長期間にわたって機能し続けるのか、動物モデルや将来的には臨床の場でどのようにふるまうのかを確認する必要があります。
今回の手法によって、実験室スケールで大幅に効率が上がったことは事実ですが、“安全性”と“安定した機能”を両立させるための検証はまだ続けていかなければなりません。
一方で新たな手法を使えば、運動ニューロン以外にも、多様な神経細胞やその他の細胞種へと応用を広げられるかもしれません。
転写因子の組み合わせやタイミングを自在に設計できるなら、将来的には「どの細胞を、どの細胞へでも」直接変換できるようになる可能性もあります。
今回の研究は、その第一歩となる革新的な成果といえるでしょう。
再生医療や難病研究を加速させる手法の一つとして、今後さらに発展していくことが期待されます。
元論文
Proliferation history and transcription factor levels drive direct conversion to motor neurons
https://doi.org/10.1016/j.cels.2025.101205
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部