歩む道そのものが違いました。
これまで加熱と冷却は自宅と駅を行き来するように、共通プロセスを逆転させたものだと考えられてきました。
しかしドイツのマックス・プランク研究所(MPI)で行われた研究により、加熱と冷却が根本的に異なる物理経路を辿っていることが示されました。
この発見は加熱と冷却をセットに考えていた私たちの常識を揺るがすものであり「加熱とはなにか?」「冷却とはなにか?」を新たに問い直すものとなるでしょう。
研究者たちも新たな発見について「熱力学のもう一つの法則とみなせるほどだ」と述べています。
加熱と冷却はどこで道をたがえてしまっていたのでしょうか?
研究内容の詳細は『Nature Physics』にて公開されています。
目次
- 加熱の反対が冷却という常識は正しいのか?
- 加熱と冷却は確率分布が進む道のりそのものが違う
加熱の反対が冷却という常識は正しいのか?
私たちにとって、加熱と冷却は鏡像関係のような存在です。
たとえば冷凍食品を加熱して料理を作り、余ればまた冷凍し、翌日になったら再び温めて残りを食べる……というように生活の中では加熱と冷却を行ったり来たりが繰り返されます。
小学校の理科の実験でも、水を加熱したら沸騰し、しばらく放置すればまた水に戻ることを観察することで、加熱と冷却が行き来する現象であることを確認します。
また中学や高校の教科書でも、温度とは物体内部の粒子が運動するエネルギーであり、加熱することで粒子が加速し、冷却することで粒子が減速すると教わります。
ここでも、加熱と冷却はセットであり、粒子の運動エネルギーが大きいか小さいかだけで語られています。
さらに大学の熱力学の教科書では、温度は物体内の粒子がとりえるエネルギーの値によって決められ、加熱と冷却が基本的に同じプロセス(道)の行き来であるとされています。
このように私たちは子供のころから大人にかけて、加熱と冷却は対称的であり、簡単に逆行できる現象であると信じ込まされてきました。
しかし近年の温度研究(非平衡系)の急速な進歩により、物体の温度変化に「速度制限」が存在することなどが明らかになってきました。
物体が温度を変化させる速度は、単に投入エネルギーの大きさだけでなく、エネルギーがどのように散逸し、物体内の粒子の乱雑さ(エントロピー)がどのように生成されるかにも依存します。
このため、投入できるエネルギーがいくら大きくても、温度変化の速度には上限が存在します。
またいくつかの研究では、加熱と冷却に同等と言える状態に設定しても、加熱が冷却よりも早く進むことが報告されました。
日常生活でも、料理やお湯は熱するのは短時間でできても、冷やすのは長い時間がかかるという経験を誰もがしているでしょう。
研究者自身も「子供のころからなぜ加熱が冷却よりも効率的なのかと言うことに興味がありました。そしてなぜ電子レンジの逆の急速冷却機がないのかと疑問を抱いていました」と述べています。
温度の下限は-273℃である一方で、キッチンのガスコンロの火の温度は1700℃と、上限値のほうに振れ幅が多いのは確かです。
しかしそれを考慮したとしても、日常でも実験室でも、加熱が常に冷却よりも素早く起こるのは奇妙と言えるでしょう。
そこでマックス・プランク研究所の研究者たちは、加熱と冷却はそもそも対照的なミラーイメージのようなものではなく、根本的に異なる経路を持つ現象であると考え、実験を行うことにしました。
加熱と冷却は確率分布が進む道のりそのものが違う
調査にあたっては1μmのシリカ粒子を光トラップによって1カ所に固定し、外部から電場を操作して振動させることで有効温度の制御を行う仕組みが用意されました。
有効温度は、粒子がどれだけ激しく振動するか(エネルギーが粒子にどの程度注入されるか)を示す指標で、実際の物理的温度に対応します。
簡単な言い方をすれば、粒子が激しく振動しているときは高温状態で、緩やかに振動しているときは低温状態を、それぞれ反映しているわけです。
そして高感度センサーを使用し、シリカ粒子の有効温度が上がる過程(加熱状態)と下がる過程(冷却状態)の両方で粒子の位置と動きを2万4000回にわたり記録しました。
これにより0.02秒ごとのシリカ粒子の振動状態が明らかになります。
粒子の位置と揺らぎを記録することは、熱力学における「微視的状態(microstate)」を直接観測することに相当します。
多数の粒子で構成される材料では、膨大な組み合わせの状態(微視的状態)が存在し、それをすべて記録することは事実上不可能です。
しかし研究では単一粒子を対象に繰り返し測定を行うことで、粒子が取りうる微視的状態の分布をマッピングし、これにより粒子がどのようにエネルギーやエントロピーを変化させるかを確率分布の形で可視化(見える化)できるようにしました。
ある意味で、シリカ粒子の震えかたによって温度を測る仕組みを作ったのです。
準備が整うと研究者たちは加熱または冷却が行われる際に、そのときにシリカ粒子がいくつの異なる状態を経るかを調べました。
もし加熱と冷却が共通プロセスを持つならば、加熱するときも冷却するときも「震えるシリカ粒子の温度計」は鑑合わせのような挙動をするでしょう。
あえて擬音をつかって表現すれば、加熱するときの震えかたが
「ブル➔ブルル➔ブルブル➔ブルルブルル➔ブルルンブンブン」
であるならば、冷却するときはその真逆の
「ブルルンブンブン➔ブルルブルル➔ブルブル➔ブルル➔ブル」
となるはずです。
しかし研究者たちが分析を行ったところ、加熱するときと冷却するときでは、観察される粒子の運動状態のパターンが異なっており、加熱プロセスのほうが通過する振動パターンのバリエーションが少ないことが明らかになりました。
再び擬音を使って比較すれば実際の観測データは
加熱では「ブル➔ブルブル➔ブルルンブンブン」と短いのに
冷却では「ブルルンブンブン➔ブルルブルル➔ブルブル➔ブルル➔ブル」と長くなっていたわけです。
通過する必要がある振動パターンが少ないということは、加熱が冷却よりも早く進む理由になり得ます。
(※より正確には、加熱のときは「自由膨張」に近い挙動が見られ、粒子のエネルギー分布や位置分布が、ある種“開放的”に広がっていく一方で、冷却のときはエネルギーを放出する必要があり、粒子はより多くの中間状態(確率分布)をへながらゆっくりと落ち着いていくことが観察されました。擬音や矢印は状態のバリエーションを示す便宜上の表現となっています)
またこの違いは加熱と冷却の間では「確率分布が進む道のり」そのものも違っており、まるで別の物理現象だといってもいいほど非対称的なふるまいを示すことを示しています。
専門家の1人はこの結果について「今回の研究が発見したものはこれは熱力学の第二法則を発展させたもので、熱力学の追加法則と言えるかもしれない」と述べています。
熱力学の第2法則は、「高温の物体は自然に冷却される」という方向性(不可逆性)を示します。
しかし、この研究では、加熱と冷却の速度が異なることを明らかにし、第2法則の範囲を速度にまで拡張する可能性を示唆しています。
より簡単に言えば、これまでの法則は「高温のものが冷めるのは当たり前」という話だけが強調されがちでしたが、今回の研究によって「冷めるのは当たり前でも、速さは加熱ほどスムーズじゃない」という新しい追加法則がうみだされたとも言えるでしょう。
研究者たちは今回の研究成果を応用できれば、微小なスケールでの熱管理やエネルギー変換技術を大きく改良する可能性があると述べています。
もしかしたら未来の世界では電子レンジの隣に瞬間冷却機が並んでいるかもしれません。
参考文献
Efficiency asymmetry: Scientists report fundamental asymmetry between heating and cooling
https://phys.org/news/2024-01-efficiency-asymmetry-scientists-fundamental-cooling.html
元論文
Heating and cooling are fundamentally asymmetric and evolve along distinct pathways
https://doi.org/10.1038/s41567-023-02269-z
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部