世界線には偏りがあるようです。
スペインのバルセロナ自治大学(UAB)で行われた研究により、観測によって世界線が分岐するとする「多世界解釈」が、私たちの世界と互換性があることが示されました。
多世界解釈はSFなどで人気がある理論ですが、無限に分岐する世界線の中には、異常性が際立ったものも存在します。
しかし現実の私たちには、そのような異常が起きた記憶は残っていません。
この結果は、古典的世界をベースにした世界線は分岐のほとんどを独占しており、私たちが認識できるマクロな世界に多世界解釈との互換性を持たせていることを示しています。
しかしなぜ、古典物理が優勢な世界が贔屓(ひいき)されているのでしょうか?
研究内容の詳細は『Physical Review X』にて公開予定の他、プレプリントサーバーである『arXiv』でも読むことができます。
目次
- 私たちがまともな世界線にいるのは単に「豪運」のお陰なのか?
- なぜ生成される並行世界には偏りがあるのか?
私たちがまともな世界線にいるのは単に「豪運」のお陰なのか?
量子力学の奇妙な性質の1つに「観測によって状態が確定する」というものがあります。
量子の世界では1つの粒子の場所を定めることはできませんが、観測を行った途端に1つの場所にあることが確定されます。
この現象をどのように解釈するかについては、長年に渡り議論が続いています。
主流となるコペンハーゲン解釈では、量子の世界では、実際には、1つの粒子が場に広がるように存在しており観測によって、広がっていた状態から1つの定まった位置に顕在化すると主張されます。
一方、多世界解釈(MWI)と呼ばれる解釈では、私たちが観測する「現実」は、実は無数に存在する並行した「世界」の一つに過ぎないという考え方をします。
1つの粒子の存在できる場所が10カ所存在するときには、観測によって10の世界線に分岐するわけです。
この解釈を使うと、量子世界の曖昧さを取り除き、古典的な物理学に沿って世界を理解することができます。
多世界解釈の考え方は量子世界の曖昧さを肯定する主流派の解釈と比べてシンプルであることから根強い人気があり、また並行世界の存在はSF的な好奇心を刺激するため、多くの作品にその概念が取り入れられています。
しかし多世界解釈には1つの大きな弱点がありました。
多世界解釈に従ってシュレーディンガーの波動方程式を解くと、確かに無数の並行世界が存在するかのような結果が得られます。
ですがその「無数」の並行世界中には「冷たいものが暖かいものを加熱する世界」や「通れないはずの壁をすり抜けてしまう世界」など、古典的な物理学の常識が通じない結果も含まれています。
場合によっては今回の研究のように「時間の矢が逆転しているように見える世界」も考慮される場合があります。
SF作品に登場する並行世界は登場人物が物語をスムーズに進行できるように、ある程度、元の世界の常識が通じるように描かれています。
しかし多世界解釈を「公平」に描くならば、摩訶不思議な現象がマクロな世界に顕現している可能性も考慮しなければなりません。
にもかかわらず、私たちの記憶しているマクロな現実世界は、そのような摩訶不思議な状態に突入してはいません。
私たちが常に古典物理が優勢な世界線を引き当て続けている「豪運」の持ち主である可能性も、なくはありませんが、おそらくそうではないでしょう。
観測によって生じる並行世界には、明らかに私たちの常識が通じる世界(古典的世界)が選好されていると考えるほうが妥当でしょう。
問題は、なぜ生成される並行世界にそのような偏りが生じるかです。
なぜ生成される並行世界には偏りがあるのか?
なぜ生成される並行世界に偏りが生じるのか?
この問題を解決できれば、多世界解釈へ向けられた疑いの目が減り、主流となっている「コペンハーゲン解釈」に対して一矢報いることができるはずです。
そこで今回バルセロナ自治大学の研究者たちは、人間でも実行できるような粗い観測を行った場合に、曖昧な量子状態がどうなるかを調べることにしました。
量子力学における観測は、精密かつ一瞬で行われる正確な観測と、大まかな範囲に対してそれなりの観測時間をかけて行われる粗い観測が存在します。
今回の研究では、まず最初に2つの物体(AとB)の間で行われる熱移動を多世界解釈にもとづきシミュレートを行いました。
すると物体の数が少ない場合、日常の常識とかけ離れた、時間の矢が反転してしまう奇妙な世界線が出現しはじめました。
この結果は、観測する物体が少ない場合、古典物理が優勢なマクロな世界と摩訶不思議な世界が「公平」に出現することを意味します。
実際、量子世界の奇妙な実験結果は、単一の粒子や少数の量子ビットなど少ない物体の数に対して観測が行われたものがほとんどになります。
一方、私たちの認識する世界は無数の粒子が集まって構成されています。
たとえば1円玉に含まれるアルミ原子の数は222垓個に及びます。
そこで研究者たちは想定する物体の数をどんどん増やし、再び分岐する世界線のシミュレートを行いました。
結果、物体の数が増えるにつれて、奇妙な世界線に飛ぶ確率が指数関数的に減少し、数千個に達する頃には、ほぼ古典的な物理法則に従う世界線しかみられなくなりました。
多数の物体が存在する場合、物体同士の相互作用が多発して、ある種の相互監視や平均化が進み、全体が摩訶不思議な世界線に移行するのが難しくなったと考えられます。
1人の体操選手個ならば、ウルトラプレイをみせることができても、数千人の人間が手をつないだ状態(相互作用した状態)で同じことをするのは不可能なのと近いと言えるでしょう。
この結果は、多世界解釈が正しかった場合でも、私たちの認識できるマクロな世界は通常運転を続けていけることを示しています。
つまり私たちの認識する世界は、多世界解釈と互換性があるのです。
研究者たちは論文の最後に、多世界解釈では「起こり得ることは全て起こる」としばしば言われることについて、必ずしも真実ではないと結論しています。
元論文
Everything Everywhere All At Once:A First Principles Numerical Demonstration of Emergent Decoherent Histories
https://doi.org/10.48550/arXiv.2304.10258
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部