1マイル競走(以下、「1マイル」)は、陸上競技の中距離走種目の1つで、1609.344メートルを走るタイムを競います。
メートル表記が主流の日本では、1マイルはマイナーな存在ですが、中距離走が盛んなヨーロッパではポピュラーな種目として、古くからレースが開かれています。
この1マイルにおいて、世界で初めて4分を切ったランナーは、イギリスのロジャー・バニスター氏です。
1954年5月6日、当時オックスフォード大学の医学生でもあったバニスター氏は、3分59秒4で1マイルを駆け抜けました。
陸上競技界では、それまで1マイルの世界記録は30年近く塗り替えられておらず、1マイル4分の壁を破ることは不可能と考えられていました。
そのためこの記録は、多くのアスリートの限界を超える意欲をかき立てたのです。
そしてバニスター氏の記録達成からわずか46日後に別の選手がさらにこの記録を更新します。
このことから限界が目標に変わり「あの人に出来たのなら私にも出来る」と高い目標でも現実的に考えられるようになる現象は、バニスターにちなんで「ロジャー・バニスター効果」と呼ばれるようになりました。
この言葉が今日まで残ることからも、ロジャー・バニスターの影響力の大きさが伺えます。
そんなバニスター氏が初めて1マイル4分を切ってから70周年となる今年、カナダ・アルバータ大学(University of Alberta)のマーク・ハイコウスキー教授らの研究グループは、興味深い研究結果を発表しています。
その内容とは、1マイルを4分未満で走った最初の200名の選手の生存状況を調べた結果、一般集団に比べて長寿であったことです。
これは、中長距離走のような心肺機能に高い負荷をかける競技が短命につながるという俗説を否定し、エリートアスリートが現役時代に行う超ハードなトレーニングであっても、健康面での好影響があることを示唆しています。
本研究は、バニスター氏が生まれたイギリスのスポーツ医学を専門とする雑誌『British Journal of Sport Medicine』に、2024年5月10日にオンラインで公開されました。
目次
- 1マイルを4分未満のアスリート(Four-minute mile runners)
- 5分未満の激しい運動に取り組むアスリートも長生きできる
1マイルを4分未満のアスリート(Four-minute mile runners)
今回発表された研究を説明する前に、1マイルを4分未満(Four-Minute Mile)で走った国内外のトップアスリートについて触れていきます。
前述したとおり、初めて4分の壁を破ったのは、ロジャー・バニスター氏(1929年~2018年)です。
ただ彼は、この偉業達成の2年前に開催されたヘルシンキ五輪の1500メートルでは、4位という不本意な結果に終わっていました。
もし金メダルをとっていたら、彼はここで引退していたでしょう。
しかし五輪が4位の成績で終わったことが逆に彼の闘争心に火を付け、2年後に1マイル4分切りを達成させるのです。
そんなバニスター氏ですが、陸上競技引退後も医師や研究者として世の中に貢献し、特に自律神経分野におけるパイオニアとして知られています。
1999年にアメリカのライフ誌が選定した「この1000年で最も重要な100人」では、トーマス・エジソンやガリレオ・ガリレイなどの歴史上の偉人と並んで、当時存命していた人物として唯一バニスター氏が選ばれています。
このことからも彼がいかにすごい人物なのかがわかります。
現在の1マイルの男子世界記録は、1999年にヒシャム・エルゲルージ氏(モロッコ)が達成した3分43秒13です。
エルゲルージ氏は既に引退していますが、五輪種目である1500メートルの世界記録も持っており(3分26秒00、1998年)、偉大な記録を2つ持ち続けています。
そのエルゲルージ氏の1マイル記録を破る可能性を秘めた現役選手は、東京五輪1500メートル、パリ五輪5000メートルの金メダリスト、ヤコブ・インゲブリクトセン選手(ノルウェー)です。
彼の自己記録は、1500メートルが3分26秒73、1マイルが3分43秒73と、いずれもエルゲルージ氏の持つ世界記録に迫っています。
このように、海外では五輪種目である1500メートルのトップアスリートも1マイルに本気で挑む文化があるものの、日本ではマイナーな存在です。
ちなみに、日本の現役選手のFour-Minute Mile Runnerとしては、東京五輪、パリ五輪の3000メートル障害に出場した青木涼真選手(1マイルの自己記録:3分54秒84、所属:Honda)らがいます。
日本の現役トップ選手の1マイルの記録が3分50秒台であるという事実から伺えるとおり、バニスター氏の記録から70年経っても、1マイルを4分切りで走ることが、日本の中距離走選手にとっては簡単ではないことがわかります。
5分未満の激しい運動に取り組むアスリートも長生きできる
そんな1マイルを4分未満で走るためには、ランナーは日常的に激しいトレーニングをする必要があり、レースでは心臓に極めて高い負荷がかかります。
激しい持久系の運動トレーニングが健康に良いのか、悪いのかは様々な見解があるものの、近年発表された多くの研究では、持久系アスリートは一般集団に比べると、長生きなことを報告しています。
その一方で、多くの先行研究では、5分以上、長い場合には数時間を超える競技時間の持久系アスリートを対象としており、1500メートルや1マイルのような、5分未満でレースが終わる競技に取り組むトップアスリートを対象とした検討は不十分でした。
そこで今回、ハイコウスキー教授らは、1マイルを4分未満で走った最初の200名の生存状況を一般集団と比べることで、心臓に繰り返し激しい負荷がかかる競技に取り組むトップアスリートが長生きできるのかを調べました。
調査では、1マイルを4分未満で走った人たちが記録されているデータベース(サブ4 アルファベティックレジスター)を使用し、ランナーの情報を集めました。
そして、バニスター氏を含む1マイルを4分未満で走った最初の200名の選手の生存状況を詳しく調べ上げ、一般人口との平均寿命を比較しました。
なお、最初の200名に限定した理由は、それよりも後に記録を達成した人を対象とした場合、若すぎるがために、現在まで追跡しても、長寿効果を一般人口と比べることが難しかったためです。
調査の結果、200人のうち、60人が既に亡くなっており(死亡時の平均年齢:73.6歳)、140人が生存していました(平均年齢:77.6歳)。
そういった200名のデータと、性別、年齢、出生年、記録を達成した際の年齢、国籍を考慮した上で一般集団と比較したところ、1マイル4分切りで走ったランナーは、平均寿命よりも4.74年長生きなことが分かりました。
この結果をもとに、ハイコウスキー教授らは、極端に激しい持久系運動が寿命に有害であるという見解を否定する結果になり得ると指摘しています。
そして、仮に中距離走のトップアスリートが長寿に繋がる場合、その生理学的メカニズムの一因としては、体内に取り込める酸素の単位時間当たりの最大値で、ランナーのパフォーマンスと深い関係を持つ最大酸素摂取量の高さが関与している可能性があると考察しました。
また、こういったトップアスリートは遺伝的にも恵まれている上、トレーニング面以外にも健康的なライフスタイルを確立していることも結果に影響した可能性があるとも記しています。
ちなみに、今回分析された200名をオリンピックの出場有無で生存状況を比べてみると、あまり差がなく、強いていうと、出場しなかった人の方が長寿でした。
この結果は、オリンピアンの方が恵まれると予想される経済的・金銭的支援などが彼らの寿命に対してプラスに働かない可能性を示唆するものです。
今回の研究結果は、現役時代に心臓に繰り返し激しい負荷をかけ続けたアスリートであっても、早死にするおそれがないことを示していますが、そもそもトップアスリートは長生きをするために、競技をしているわけではないでしょう。
トップアスリートにとって世界記録を塗り替えることはもちろん大きな目標ですが、陸上競技の魅力は自分の限界に挑めるという点です。
一般で陸上をやる人は、誰かと競い合うというよりも、昨日までの自分の記録を超えるために走るという人が多いでしょう。
その中で、1マイル4分という歴史的エピソードとしてもわかりやすい目標を持つ1マイルは、非常に魅力的な陸上競技です。
日本ではマイナーな存在で、非五輪種目ではありますが、陸上競技に関心がある人はこれをきっかけに1マイルに注目してみると面白いかもしれません。
そしてこの競技は、限界を限界ととらえずに目標だと考え挑んでいくことの重要性を教えてくれています。
ロジャー・バニスター効果はどんなものにでもあるはずです。あなたにとっての1マイル4分はなんでしょうか?
参考文献
Under 4-minute milers’longevity shows that extreme exercise doesn’t seem to curb lifespan
https://medicalxpress.com/news/2024-05-minute-milers-longevity-extreme-doesnt.html
元論文
Outrunning the grim reaper: longevity of the first 200 sub-4 min mile male runners
https://doi.org/10.1136/bjsports-2024-108386
ライター
髙山史徳: 大学では健康行動科学、大学院では体育学・体育科学を専攻。持久系スポーツの研究者として約10年間活動。 ナゾロジーでは、スポーツや健康に関係する記事を執筆していきます。 価値観の多様性を重視し、多くの人が前向きになれる文章を目指しています。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。