はじめに
日々のくらしに美しさを見出す「民藝」の作り手に、その土地と密接に関わる品の魅力について伺う数珠つなぎ連載。初回は大分県の北西部に位置する日田市から、小鹿田(おんた)焼の陶工、坂本創(そう)さんにお話を伺いました。開窯から300年、一子相伝で伝えられてきた伝統を守っている坂本さんが語る小鹿田の魅力と、これからの世代への思いとは。その土地の自然と技法で続く小鹿田焼
△川の水を利用して原土を粉砕する唐臼(からうす)。コン、コンという音が集落のいたるところから聞こえてくる。 △飴釉刷毛目櫛描尺深皿(左上)、筆描五寸深皿(右上)、縁重飛鉋八寸皿(中央)。いずれも坂本さんの作品小鹿田焼は、大分県日田市皿山の小さな集落で、黒木、柳瀬、坂本の三家を中心とした体制でつくられており、現在は9軒の窯元があります。約300年の歴史があるとされていますが、うつわづくりを専業とするようになったのはここ50年ほど。機械に頼らず、外からの弟子を一切とらず受け継がれてきたその技法は、1995(平成7)年に国の重要無形文化財に指定されています。他の焼き物と比較して耐火性が強くない土と、釉薬を溶かす温度のバランスを取るのが非常に難しいのだそう。「納得できるものは、全体の6割あればいいほうでしょうか。自然以外の人工物を入れて土を強くしたり、釉薬を溶けやすくすることもできますが、それでは僕たちがここでやっている意味がない。そうした窮屈さや純度の高さが技術だけではない小鹿田焼の魅力だと思います」。そう教えてくれたのは坂本窯の坂本創さん。幼少の頃から土に触れ、父の工(たくみ)さんと2人で陶工として従事されています。
カウンターカルチャーとしての「民藝」
作業場の上階にある自室よりオンラインでお話を聞かせてくれました。後ろの絵画はご友人の作品だそう――――ここ数年で「民藝」という言葉が注目されて小鹿田焼への関心も高まっている気がします。
あまり関心を集めたくないんです(笑)。個人的な考えではありますが、「民藝」という言葉は正統派の美術に対するカウンターカルチャーだと思っていて。音楽でいうパンクとかヒップホップとか、マイノリティーな反骨精神があってこそのものだと思うんです。だからこそ、本当に好きな人が関心を寄せてくれればいいのではないかという思いは正直あります。一方で、僕たちも専業としてご飯を食べていくには広まらないといけないので、難しいところですね。人が来てくれることはいいことですが、集落の写真をSNSに載せるだけでは終わってほしくないですし、どこでも手に入るものにもしたくない。ここでしかつくれない価値は大切にしたいと思います。
師匠のもとで修業を積み、陶工へ
――――陶工になると決めたきっかけは?きっかけは、ないです。自然な流れだったのだと思います。小学校でも同級生は十数人、本人だけでなく親も兄弟もみんな知っているようなファミリーな文化の中で育ちました。少し上の世代がどんなにやんちゃをしていても、だんだんとろくろに座っていく姿を見ていたので、家の跡を継ぐことに違和感はなかったですね。
――――大分を離れていた時期もあるそうですね。
先輩の誘いもあって高校は佐賀県に進みました。大学に行くお金はないから、せめて高校の3年間は外に出て、戻ってきたら家の仕事をしようと思っていました。一時的に離れることは珍しくなかったです。その後高校を卒業してすぐ、父と以前から親交があった師匠(※)とのご縁があり、鳥取に行きました。
※岩井窯の山本教行氏
――――師匠の元に行く決め手はあったんですか。
「鳥取に来るか」と言われて握手したときの、異常なほど大きく感じた手の感覚は、忘れられないですね。この人の底はどこにあるのか、見てみたかったんだと思います……未だに見つけられないままですが。圧倒的な経験値と技術に加えて、すさまじいセンスによって生み出している人なので、とても敵わないと思いながらも、隣でものづくりの現場が見れたら楽しいだろうなと。
新しいアイデアはうつわの物々交換や展示会から
――――普段はどんなうつわを日常使いされていますか?食卓に小鹿田焼が並ぶことはほぼないですね。刷毛目や飛び鉋はもう嫌というほど見ていますから(笑)。いいな、うまいなと思う他のうつわで勉強したいので。
△山本教行氏(鳥取・岩井窯)のカップ
今コーヒーを飲むのに使っているカップは、僕の師匠のもの。毎朝コーヒーを飲んで、夜お酒を飲む人間なので、カップや酒器はたくさんありますね。うつわ屋の特権ではないですが、作り手どうしで物々交換もよくあります。知り合いのお店で使われていて気に行ったものをその場でもらってきたり。日常にそういう文化が根づいているんでしょうね。 △人間国宝の金城次郎氏による酒器
――――創作のアイデアはどこから生まれてくるのでしょう?
注文に忠実につくる卸業のほうが比率としては多いかもしれません。その分、毎年行っている展示会が焼き物で遊べる場です。緊張は当然ありますが、手間がかかりすぎて注文だと応えられないような一点ものに挑戦できたり、展示会のつながりで出会った人から刺激を受けたり。緊張感と息抜きが同居している場があるから、次のアイデアにつながるし、日々のものづくりとのメリハリが生まれるのだと思います。ここ最近はそういう場が減ってしまったのが残念ですが。
――――コロナ禍で展示会や外での刺激が減った今、どうされていますか。
自分が持っているうつわを触り直しています。ストレスというほどではないですが、それでも貯金残高が少しずつ減っていくような感覚はあるので、新しく何かしたいなという思いはありますね。
集落だからこその親密さと居酒屋文化
――――集落ならではの特徴はありますか?「盆地根性」と僕達は呼んだりしますが、ある程度その中でサイクルが回っているので、よそものを入れにくい地域性はあるのだと思います。だた、いちど中に入ってしまえば、集落から村、町と家族が増えていくような感覚のある場所だと思います。
――――それこそ旅人として入っていくには難しい…?
気を使ってばかりでもいけなくて、ある程度ずけずけと入っていく好奇心はあっていいと思いますよ。居酒屋文化が盛んなので、人口のわりに飲食店の数が多いのも特徴かもしれません。僕たちからすると、違うお店で、同じメンバーに会うことばかりですが(笑)。外から来る人からすると、その親密な文化がいいのかもしれません。
――――日田市の食文化について教えてください
夏場は日田市の三隈川で獲れる鮎の塩焼きが名物ですね。あとは「うるか」という鮎の内臓と身をまぜた珍味があって。もともと小鹿田焼の小壺に入れて売っていたことからその壺を「うるか壺」と呼んだりします。あとは、麺をラードでパリパリに焼く日田やきそばや、鳥刺しがご当地グルメでしょうか。
日田市内にはいいちこの蒸留所があったり、もう少し南に下った豆田町(※)にはクンチョウ酒造という酒蔵があって、酒好きには嬉しいところかもしれません。
数字に強く、もっとおしゃれに。
――――これからの世代に引き継いでいくうえで、必要なものは何でしょう。数字に強くあってほしいです。専業になる50年ほど前までは、農業など他の仕事と組み合わせて生活していました。そういう意味では、専業としての経営者としての歴史はまだ浅い。つくり方は合理性のカケラもないことを続けていく一方で、経営者としての視点は合理的である必要を感じています。矛盾していそうですが、その二面性にどう折り合いをつけていくかが、難しいですね。
――――職人は利益度外視で…といったイメージは未だにありそうですが。
間違いなく、利益がないと続かないです。売られている金額ももっと高くていいと思いますし、その額に見合った技術を持つことが重要ですよね。人気のバロメーターとして二次流通価格も気になるんです。そこまで気にしているのは、僕くらいかもしれませんが。 △作業着のひとつとして見せてくれたのは、染色家・石北有美さん(広島県)の作品
最後にもう1つ、これからの世代に伝えたいこととしては「おしゃれでないといけない」ということでしょうか。作業着こそ一番カッコいい姿でいたいと思います。だらしない恰好でつくっていたら、うつわもきっと締まりがなくなってしまいますから。
おわりに
「今となっては学生時代に海外に行っておけばよかったと思います」。一子相伝、300年の歴史……などと聞くとついつい内向きな印象を持ってしまいがちですが、坂本さんの思考はとっても柔軟。重要無形文化財として守るべき部分を守りながらも、これからの世代に続けていくための課題と向き合っている姿が印象的でした。意外にも、作業場では常に音楽が流れているのだそう。音楽アーティストの中には坂本さんのうつわを愛用する人もいて、実際にお会いする機会もあったのだとか。‟どこでも手に入るものではないけど、だからこそほしい”、マイノリティな民藝だからこそ、本当に好きな人の心を掴んで離さないのかもしれません。◆坂本 工窯(さかもとたくみがま)
住所:大分県日田市源栄町皿山(小鹿田の里内)
電話:0973-29-2404
アクセス:
福岡IC⇒(九州自動車道)⇒鳥栖JCT⇒(大分自動車道)⇒日田ICから約30分
※杷木ICからのアクセスも可能ですが、細くて危険な道を通るため、日田ICの利用をおすすめします。
◆坂本創(さかもと そう)さん
1990年大分県日田市出身。小鹿田焼の窯元の1つ坂本家に生まれ、高校卒業に鳥取県の岩井窯・山本教行氏に師事。2年の修行ののち、小鹿田に戻り父の工(たくみ)さんと2人で小鹿田焼の技術を守りつづけている。