れは次世代への不安と同時に、未来をどうするべきか、という焦りを象徴するものでもあったのかもしれな東京モーターショーも33回目となった1999年。世紀末と言われる最後の年に、大注目のモデルが目白押しとなった。
これはすごい世紀末バブル? コンセプトカーが60台も展示!
1999年の第33回東京モーターショーから奇数年は乗用車&二輪車が開催することになり、翌年の2000年は商用車という順番になった。
ノストラダムスの大予言は何事も起こらなかったが、何かをやらなければといった漠然とした焦りみたいなものが社会全体から感じられたのは確かだった。
外国メーカー合わせて294社、合計757台を展示し138万6400人の入場者数があったが、1991年の200万人越えをピークに、毎年右肩下がりで減り続けてきたのだ。
そうした状況もあって大衆と同じように大企業も来るべき21世紀に向けてこれまでの総決算、まとめ、来年こそは! みたいな気持ちになったとしか思えないのが、第33回世紀末東京モーターショーであった。
まず第一番にご紹介するのは、カーデザインの可能性にチャレンジし話題性の高かったコンセプトカー、フォード021Cだ。
家具、家電、ファッションからインテリア製品を幅広く手掛けるデザイナー兼プロデューサーとして売れっ子のマーク・ニューソンがコンセプト提案と設計統括を担当した。実際のデザイン作業はフォードデザインが行なったため、全体の安定感やバランスが完璧で、細部の仕上げも美しい仕上がりを見せていた。
皆さんも小さい子供のころ“ぶーぶ”を描いたと思うが、だれもがイメージしている真横からのビューがこの021Cなのだ。プロのカーデザイナーのほとんどが現実の仕事ではこのアイコンを封印していて、彼に足元をはらわれたと感じたのは私だけではないと思う。
さらには、フロント回りのデザインでヘッドランプを面で光らせる? まさにヤラレタ! であった。
大きなモノが個人の意思で勝手気ままに狭い道路を走るわけだから、周りの人々から「かわいい」と見えたほうがHAPPYという理屈だ。
実は私も1992年頃、マツダ在籍中にこのコンセプトでキャロル開発を推進したが、“かわいい”を量産デザインに結実させるのは至難の業で大変な苦労をした。
021Cのデザインは当時の評価があまり良くなかったようで、トランクがキッチンの引き出しのように開くなど面白いアイデアだったが、雨の時の不便さへの配慮が無く学生のデザインコンペ? などとも評された。
いまだに語り継がれるホンダのコンセプトカー“不夜城”
次にいろいろな意味で話題になったのがホンダのコンセプトカー“不夜城”だ。
ゴーカートのような小径タイヤの台車にクレーンのキャビンを載せたみたいな、いたってシンプルな発想のデザインである。搭乗姿勢もユニークで、短い距離をチョイ乗りするのに適した高い座面のシートの為、前後が短いわりに足元が広かった。しかしびっくりしたのは「眠らない夜の街を徘徊するクルマ」? という至って不純なコンセプトで、なんでホンダが真面目に取り組まなければならないの? という疑問が……少なく見積もっても数千万円はかかっている。
世紀末のノリで乗りたいクルマを作ってみました! ということらしいが、小径タイヤは路面の凹凸をもろに拾ってしまう欠点があるし、色付きガラスのウィンドウは小さく秘密めいていて、おまけにフロントデザインがダースベーダーのマスクを連想させ気持ちの良いものではなかった。
しかし、余計な講釈ぬきにカタチだけを見れば、例えば工場や広大なロジスティック・センター内の作業員の移動や、屋根を取れば空港内の移動車両にぴったりで、働くくるまとしての提案ならよかったのにと悔やまれる。
もう一つもホンダのコンセプトカー・ノイコムだ。
これはまじめに考えられたグッドデザインだ。じつは某国内自動車メーカーからの発注で、私が3年前の1996年にほとんど同じデザインを納品しているのだ。見たときは怪しいと動揺したが、おそらくただの偶然だろう。某社の担当者と一緒に眺め、二人で顔を見合わせこんなこともあるのだと驚きあった。だがドイツにあるヨーロッパ研究所の提案ということで、逆にとても誇らしい気持ちになったことを覚えている。参考に私の作品の写真が残っていたのでじっくりコンセプトも読んでほしい。
ノイコムは、くつろぎのコミュニケーションカプセルというコンセプトだそうで、わたしの方はキーワードが「ムービングカラオケ・ピクニック」で、掘りごたつのくつろいだイメージだったからほぼ同じようなもので、自分のアイデアをタダで作ってもらったように思え、実に嬉しかった。ということで、文句なしにこれは良いデザインなのだ!
次回は60台のコンセプトカーの優秀作品と画期的な量産モデルを解説します。
20世紀末は、1993年のバブル崩壊がじんわり効きだし景気は悪くなる一方で、正規社員が減り非正規雇用がどんどん進み、1998年にはデフレが一段と進み格差社会が鮮明になりました。10年後の2018年になっても深刻なデフレと派遣切りが問題になっていて、現政権か主張する長期の好景気とはトヨタなどの大企業のことのようです。
そういえば1999年の世紀末はカウントダウンもあまり盛り上がらず、シャンパンが大量に売れ残ったというニュースが思い出されます。
そうした世相に加え1996年には福本伸行の漫画「賭博黙示録カイジ」がヒット、後年映画でも大ヒットしました。また同年の吉川英治文学新人賞が「不夜城」に決定、1998年映画化され、これも大ヒットしました。
どちらもドロドロしたやりきれない絶望感やバイオレンス、どん底から這い上がろうとする悲壮感が共通していて後味の良い映画ではなかった思い出があります。
本文でも述べましたが、ノリで乗るにしても話題性に乗っかったホンダの「不夜城」のコンセプトはアブナイ香りが強すぎました。またイスズからは斬新な未来型のSUVコンセプトカーが出品されましたが、こちらは「回(カイ)」というネーミングでした。これも回転寿司や目が回るイメージの次に「カイジ」が頭をよぎり意味不明でした。
そんなわけで、エポックメイキングなコンセプトカーや革新的な量産車とともに当時の時代性も反映していて、21世紀は「カオス社会」がやってくるという予兆のような東京モーターショーでした。