暦の上ではもう秋。とてもそうは思えない陽気とはいえ、田んぼの稲穂は既に色づき、稔りの季節に着実に移行しています。春から活動してきた虫たちにとっても、秋は次世代の引き継ぎや冬眠に備えて、あわただしい季節となります。晩夏から秋を代表する虫は、「秋津虫」の名を戴くトンボです。古来日本は雅号で「大日本秋津國」、トンボの国を自称してきました。なぜ日本は「トンボの国」なのでしょう。
天地開闢のときから、この国はトンボと一体だった
是(ここ)に、陰陽(めを)始めて遘合(みとのまぐはひ)して夫婦(をうとめ)と為る。
産(こう)む時に至りて、先づ淡路洲(あはぢのしま)を以て胞(え)とす。意(みこころ)に悦びざる所なり。故、名(なづ)けて淡路州と曰(い)ふ。廻(すなは)ち大日本豊秋津州(おほやまととよあきづしま)と曰ふ。日本、此をば邪麻騰(やまと)と云ふ。下皆此に效(なら)へ。
(日本書紀 神代上 第三段 一書第一)
国生み神話で、まず淡路島を産んだイザナギ・イザナミの両神はあまり喜ばず「ぴったりこない」(あはぢ)と再度挑戦、本州に当たる大日本豊秋津州を産んで「邪麻騰(やまと)」とした。とあります。時代が下り、神武天皇の御世には、
三十有一年の夏四月の乙酉の朔(ついたちのひ)に、皇(すめらみこと)興巡(めぐ)り幸(いでま)す。因りて腋上の嗛間丘(ほほまのおか)に登りまして、國の状(かたち)を廻らし望みて曰はく、「姸哉乎(あなにや ※『なんとすばらしい』の意味の感嘆詞)、國を得つること。内木綿(うつゆふ)の眞迮(まさ)き國と雖(いへど)も、蜻蛉(あきつ)の臀呫(となめ)の如くにあるかな」とのたまふ。此に由(よ)りて、始めて秋津州(あきつしま)の號(な)有り。
(日本書紀 神武天皇 三十一年四月)
とあり、神武天皇が東征により本州に拠点を得、国の姿を高所に登って眺め「トンボの雌雄が交尾の際に連結しているような形だ」と呟いたことから、日本、もしくは本州を「秋津島」と呼ぶようになった、という由来譚が語られます。もちろん、本州全土を見渡せるような高所から見下ろすことなどできませんから、これは大和地方の限られた地域(奈良県御所市東北部付近)を見下ろしての言葉です。
いずれにしても、大和地方(奈良を中心とした畿内)、もしくは本州、更に後には日本列島すべてを「秋津の島」つまりトンボの島と繰り返し、神々、歴代天皇が印象付けていることは不思議なことです。
その解釈については後述します。
昆虫界のスカイハイ。トンボの飛翔能力の秘密
トンボ目(蜻蛉目 Odonata)は、全世界に現在約5,000種、日本には200種前後が生息しています。大きく均翅亜目(イトトンボ科、カワトンボ科など)と、不均翅亜目(トンボ科、ヤンマ科、オニヤンマ科、サナエトンボ科など)とに分かれ、均翅亜目は前翅と後翅がほぼ同じ形状、細い胴、左右両端に分かれた複眼、水辺に棲み(時にイトトンボは市街地にも現れますが)、飛翔がふわふわとしているなどの特徴があります。
一方不均翅亜目は、後翅が前翅よりも幅が広く、がっしりとした胴と額で密接した複眼が特徴で、飛翔は力強く、長時間の飛行にも耐えて、海を渡ってくる種もあります。
昆虫の進化の過程でトンボ目は、翅のないトビムシ、イシノミなどの原始的昆虫(無翅類)から、カゲロウ目(蜉蝣目)とともにもっとも初期に分岐し、変態によって翅を獲得した古代種昆虫の末裔です。翅のある昆虫(有翅昆虫亜綱)のうち、トンボ目とカゲロウ目のみによって旧翅下綱を構成し、それ以外の昆虫、たとえばセミやカブトムシ、カマキリやバッタやチョウ、アリ、ハチ等々、私たちが日常で見かけるあらゆる昆虫が新翅下綱に属します。
トンボの翅は、ハチやハエのように胴体背面に沿うように畳むことができず、また甲虫類やバッタ、カメムシのように折り畳んで収納することもできません。つねに胴体両側に真横に大きく広げているか、背に沿って両翅を合わせるかしかできないのです。
ではその分、もっとも進化しているとされる完全変態を遂げるチョウやハチなどの貧新翅類、あるいはトンボと同様に不完全変態のバッタやセミやクワガタなどの多新翅類と比べて、飛翔能力について劣るかというとそんなことはなく、他のどの昆虫よりも飛翔能力に長けており、他の昆虫はトンボの万能の飛翔力にまったく太刀打ちできません。
なぜ原始的なはずのトンボがもっともすぐれた能力をもつのでしょうか。
それは、トンボが繫栄を始めた中生代三畳紀ごろには、空には天敵がいなかったからと考えられます。後の時代になると、ジュラ紀には翼竜や翼のある恐竜、そして新生代には鳥が出現したために、昆虫たちは空での活動を制限し、放棄する方向に進化したためです。しかし多くの昆虫たちが鳥類との競合を避ける中で、頑なに制空権を譲らず、何億年にも亘って飛翔能力に特化して見事に生き残ってきた種がトンボと言えます。
ギンヤンマ(Anax parthenope)は昆虫界最速の時速70kmのスピードを誇りますし、反転や宙返りもお手の物。目的地について間もなくすぐ帰ることを『とんぼ帰り』と言いますが、見事な方向転換を見せるトンボの様子からできた成語です。
なぜそのようなことがトンボにできるかと言えば、その秘密はナイフ状の四枚の翅にあります。
昆虫の翅の羽ばたきを司るのは飛翔筋と呼ばれる一連の筋肉ですが、これには大別して間接飛翔筋と直接飛翔筋があり、間接飛翔筋は、翅の接続された胸部背面の外殻内部に、強力な筋肉がついており、背面外殻を収縮させることで、蝶番で接続された翅が羽ばたく仕組みで、素早く翅をふるわす昆虫は、この飛び方です。
一方直接飛翔筋は、翅一枚一枚の根元に接続した筋肉で、翅を直接意志によって羽ばたかせる方法です。トンボは飛翔のすべてを直接飛翔筋により動かしており、四枚の翅はそれぞれ別個に自在に動かすことができます。このため、方向転換やホバリング、後退飛行、急停止なども思いのまま。またトンボは、ひらひらと舞うチョウ(一秒間の羽ばたきは10~20回程度)と同じくらい、飛翔音が聞こえず、静かに飛びます。池や田などの水辺でトンボが飛んできて葉先につと停まる。その際のシンとした無音の一瞬を、体験したことがあるのではないでしょうか。
トンボの一秒間の羽ばたきは全速のときでも20回程度で羽音はきわめて低く、目標に向けて減速しながら流し飛びしているときには羽ばたきをやめて滑空しているため、音をまったく出しません。
トンボの翅は、いかにも脆弱な2ミクロンほどの薄さですが、その表面は翅脈ごとにかなりの山谷があり、でこぼこになっています。平坦なチョウの翅とは対照的です。しかしこれによって翅上に気流を作り出し、強い揚力を得て低速で飛んでも墜落せずにいられるのです。
また、翅の表面には油脂によるナノ構造の突起が無数に張り巡らされており、水濡れを防ぐとともに、空気抵抗の調節にも役立っていると考えられています。
そして「メガネ」にもたとえられるトンボの巨大な複眼は、ハエの10倍の数にもなる1万~3万もの個眼の集合体で、視野角は270°。六本の足は歩くためにはまったく機能せず、先端に鋭いかぎづめが、そして上腕からつけ根にかけても鋭いのこぎり状の刃がついており、獲物をがっちりホールドして逃さないクレーンのような仕組みとなっています。日本最大種のオニヤンマ (Anotogaster sieboldii Sélys) はあのオオスズメバチすら捕食する空中の最強昆虫で、空飛ぶハンティングマシーンとも言えます。
ヤンマとアキツの名に隠れた意味。やはり日本はトンボの国だった
トンボがなぜトンボと呼ばれるようになったかは、「飛羽(とびは)」「飛棒(とびぼう)」「飛穂(とびほ)」などの説がありますが、どれもこじつけです。一方、方言などでトンボを「とんぶり」「タンブ」「どんぶ」などと呼ぶ事例から、トンボが止水域の沼や池に生息し、つまりは「どぶ」(混濁した溝や水域)と関係がある、という説にも疑問があります。「どんぶ」という言葉は、元々は井戸に物が落ちた音をあらわす擬音(オノマトペ)から来ています。空中を自由自在に飛び回るトンボと、深く重い言葉である「どぶ」「どんぶ」はイメージが食い違います。
「とんぼ」にもっとも近い音を持つ生き物の名前があります。「とんび」です。本来はトビで、とんびは飛騨地方の方言ですが、上空高く翼を大きく広げて悠々と旋回するトビの飛翔とそのシルエットは、トンボと似通っています。
そして、トンボもトンビも、神話の中で尊い生き物として天孫を援ける姿が描写されることでも共通します。トビの眷属として、愛称的な「んぼ(ん坊)」がつけられたのが「トンボ」なのではないでしょうか。
では、「アキツ」と「ヤンマ」についてはどうでしょうか。アキツは、地方の方言でアケズ、アキヅなどの名が残っていることからも、古くから和語の中にあったことは確かです。
日本が「秋津島」と呼ばれたのは、大陸と比べて山と川と湿地の多い日本に数多くのトンボが飛び交っていたからですが、むしろこの因果を逆に考えるとどうでしょうか。
「あきつ」という語自体にその秘密が隠れています。「あきつ」とは通常「秋の」という意味だと説明されますが、そうではなく、窪地、盆地を意味する「あくつ」から転じたものなのです。連なる山襞、川がえぐって作る谷間が織りなす無数の盆地、窪地。その地に飛び交う生き物だからこそ、トンボは「あくつ」と呼ばれたのです。つまり、そのような地形をなす島国だから「あくつの島」と呼んだのだ、と言えないでしょうか。
大型のトンボを指す「ヤンマ」も同様です。谷あいを意味する「やんば(八ッ場)」や「やつ」「やと」「やぶ」「ゑんば」、そして現代では高い土地を意味する「やま」もまた、古くは水源を有する隠れた奥地の意味でした。先史時代の伝説の「邪馬台国」の「やまたい」も同様です。『日本書紀』の「日本、此をば邪麻騰(やまと)と云ふ。」に既に答えが書かれていますよね。「あくつ」の多い土地に数多く生息することから「あきつ」、そして「やつ」「やんば」「やま」を棲み処とすることから「やんま」、とどちらの名もまた日本の古名に由来する、と考えれば、二つの名に共通性が生まれます。
ヤンマもアキツも、どちらも日本国の地形と特性を表した言葉だったからこそ、トンボは古来そのどちらの名でも呼ばれ、後代になって大型のトンボと中・小型のトンボとを分ける意味へと転じたのではないでしょうか。
そして、水が多く、緑が多く、多湿な日本という国に発生する無数の羽虫たちをせっせと食べ、人を助けてきたのが空のハンター・トンボたちです。
やはりこの国は「トンボの国」で間違いないでしょう。
(参考)
トンボの進化過程と分岐年代を分子系統解析により解明 筑波大学2021年10月広報
昆虫 旺文社