春の星空といえば、はつらつと南天から西へと駆ける絶好調のしし座、そしておおぐま座のベネトナシュから、うしかい座α星アルクトゥルス、おとめ座α星スピカとで描く大きな弓型曲線「春の大曲線」が何と言っても見どころになります。それは、とりもなおさずこの季節は、おおぐま座の一部である北斗七星が日没から夜明けまで、北極星のまわりを反時計回りに回りながら、一晩中高い高度で見られることを意味します。
母子熊の尻尾はなぜ長い?おおぐま座・こぐま座の不思議
おおぐま座(Ursa major)は北斗七星が尻尾と腰となり、それに胴と手足と頭にあたる星がつながる、全天で三番目に大きい(天球に占める面積の広い)星座です。
かたや、こぐま座(Ursa minor)は、北斗七星を三分の二ほど小型にし、先端が下がる北斗七星とは反対に柄の先が上がるかたちの柄杓型の星座で、日本では小北斗、小柄杓とも呼ばれます。
そして小柄杓の柄の先(小熊に見立てた場合は尻尾の先端)にあたるα星が現在の北極星(ポラリス)になります。
どちらもプトレマイオス(トレミー)が2世紀に設定したトレミーの48星座に含まれる古い星座ですが、柄杓(斗)の柄をクマの尻尾に見立てているので、「あれ?クマにしては尻尾が長くね?」という印象を誰もが感じるのではないでしょうか。クマの尻尾が長くはなく、ちょこんと短いことは、誰しも知っていることですよね。
実際、星を結んだ形を見ても、その姿はキツネかネコのほうがふさわしいのでは?と思えます。特にピンと立てた尻尾のこぐま座は、母ネコを追う子ネコのようで、かわいらしいことこの上ありません。
博物学が古代より発達した中世、現代人と同じようにこの「長い尻尾の母子熊」のかたちに疑問がもたれたようで、イギリスの数学者トーマス・フッド(Thomas Hood)が、ゼウスが母子熊を空に引き上げるときにクマは重いので思い切りぶん回して投げ上げたので尻尾が伸びてしまった、という冗談を言い、それが20世紀ごろになってプラネタリウムなどで面白い由縁譚として語られて有名になりますが、あくまでこれは後世の後付けの俗説で、プトレマイオスがなぜ尻尾の長い図像を「クマ」としたのかは説明できません。
ゼウス最低!な、悲惨な母子熊神話
ですが、おおぐま座、こぐま座は、ゼウスによって空に上げられた母と息子のクマであるという神話が伝わることは事実です。この母子はカリストーとアルカスと言い、ともにもとは人間でしたが、まず母カリストーが神によってクマに変えられ、人間だった頃に産み落とした息子アルカスが成長して立派な若き狩人となって森を歩いているとき、クマになったカリストーはその息子と出会ってしまいます。うれしさで駆け寄ろうとする母ですが、息子アルカスにとってはただ猛獣が突進してくるとしか見えません。弓に矢をつがえて射殺そうと狙いをさだめました。このとき、子供に母を殺させることはあってはならないと天帝ゼウスによってつむじ風が起こり、母と息子は空の母子熊の星座に姿を変えた、とされていて、これが多く語られるおおぐま座こぐま座にまつわる神話です。
しかし、アポロドーロス(Apollodoros 1~2世紀ごろ) の『ビブリオテーケー』(Bibliotheke 日本語訳題『ギリシア神話』)からこの神話についての記述を抜き出してみますと、
リュカオーンにはまた一女カリストーがあったという。(中略)彼女はアルテミスの猟の伴侶であり、女神(アルテミス)と同じ衣を身に纏い、処女でいることを女神に誓った。しかしゼウスは彼女に恋し、一説によればアルテミスに、一説によればアポローンに、姿を似せて、嫌がる彼女と体をともにした。ヘーラー(ゼウスの正妻)に気づかれないように女を熊の姿に変えた。(中略)一説にはアルテミスが、彼女が処女を護らなかったので、射斃(たお)したとも言う。カリストーが死んだときに、ゼウスは赤児をひっさらい、アルカスと名づけ、アルカディアーにおいて育てるべくマイアに与えた。そしてカリストーをば星に変え、「熊(アルクトス)」と呼んだ。
とあります。これですと、アルカスが森でクマに姿を変えた母カリストーに出会い射ようとしたという物語が成立しません。しかし、この二つの星座がなぜ「クマ」なのかは、説明できます。アルクトスは、古代ギリシャでは北の空を意味する言葉でもあったので、常に北にあるおおぐま座とこぐま座を北の星座と呼んでいたものがクマのイメージに結びついていったのです。
天文民俗学者の野尻抱影氏は、日本のアイヌ民族や北米のネイティブアメリカンにもおおぐま座・こぐま座をクマと見立てる伝承があると紹介しており、北半球のユーラシアからアメリカ大陸にかけて、この北天を巡る星座と寒帯に生きる大きな獣を重ねる原型的な投影(もしくは民族移動による神話の伝播)があったことを示唆しています。
北天の中心にありコマの中心のように尻尾の先を起点に同位置で回るこぐま座と、その周りを守るように円を描いて回るおおぐま座の、局所的でゆっくりとした動きを、悠然としたイメージのクマに見立てたのかもしれません。
妙見菩薩は北極星?北斗七星?
ところで、現在の北極星はこぐまの尻尾の先端にあたるα星ポラリス(Polaris)ですが、今からおよそ3,500年前から2,500年前ごろは、北極星はその一つ隣にある、尻尾の途中のこぐま座β星コカブ(Kochab)でした。現在の北極星も完全に天の北極と一致しているわけではなく、もっとも天の北極に近づくのはおよそ80年後のこと。
現在の北極星はこぐま座の中ではもっとも明るい二等星ですが、頻繁に光度が変わる変光星としても知られており、およそ1.8~2.1の幅で光度が変わります。
中国では古くから北極星は天帝の星「泰一(太一とも)」として崇められてきました。漢民族の伝統的な信仰・タオ思想に基づく道教では、前漢(BC206~AD8年)の最盛期武帝の時代以来、長安の都の郊外に泰一祠を設けて、供物を捧げました。道教では北極星を北極紫微大帝と言います。
古代中国の天文学では、天球を三つの区画「三垣(さんえん)」に分け、それぞれ紫微垣・太微垣・天市垣と名付けられていました。そして紫微垣は天の北極≒北極星を中心として、こぐま座、りゅう座、カシオペヤ座、おおぐま座、きりん座などが広がる星域にあたり、天帝の在所にあたるもっとも重要な聖域とされました。周辺の星々は城壁のように線をつなぎ、その中心にこぐま座のうちの五星が鎮座したかたちです。
道教が次第に体系化される時代とは、先述した北極星にあたる星がこぐま座β星からこぐま座α星に移行しつつある時代にあたり、星官(星々それぞれに割り振られた身分)にも時代により変化や混淆が見られます。しかしいずれにしても、中心にある最高位の星はこぐま座に属する星々でした。
さて、これが隋、唐の時代に日本に伝わってきますと、北辰妙見信仰として、大和~奈良時代に隆興します。藤原京や平城京、平安京も、泰一信仰に基づく構造を有しています。そして日本神話では、北極紫微大帝は天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)と同一視されます。キトラ古墳には、星を金箔であらわした石室壁画が見つかっていますが、そこには紫微垣の星々が正確に描かれています。
目立つ北斗七星に比べて、小北斗と呼ばれるこぐま座は目立たず、北極星すら北斗七星のα星ドゥーベとβ星メラクとを結んだ線を5倍延長した先にある星、という見つけ方をするほどですから、時代がくだるにつれて北辰/北斗信仰が、北極星またはこぐま座から、北斗七星へと転移されてしまったというのも、ある意味仕方ないのかもしれません。
今月下旬から来月初旬ごろには水星が日の入り後の西の空で、29日には東方最大離角となり、肉眼で観察できるチャンスです。ふたたび東から現れたベガを擁すること座付近から見られる流星群などのイベントも見どころですが、大北斗と小北斗の夜通しの輪舞もぜひ楽しんでご覧ください。
(参考・参照)
ギリシア神話 アポロドーロス 高津春繁訳 岩波書店
星空図鑑 藤井旭 ポプラ社
中国哲学問題史 宇同 澤田多喜男訳 八千代出版