今年は、新型コロナウィルスによる未曾有の混乱と自粛に加えて、例年にない猛暑が続き、文字通り特別な夏となりましたが、自然界では季節が進み、野山に秋は確実に訪れています。
「おぎやはぎ」の荻(おぎ)の連れではありませんが、字だけでは見間違えそうな萩(はぎ)を今回は取り上げます。現代人にとっては地味な萩ですが、秋の七草のひとつで、万葉集では140首余りの和歌が詠まれている、集中最多の植物です。つまり、萩は日本の秋を代表する植物なのです。今回は萩について平安和歌を中心に紹介します。
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枕草子の萩
萩は全国的に山野の至るところに自生し、秋に蝶形の花を房状に咲かせます。
花色は赤紫が一般的ですが、白もあります。低木で2メートルほどになりますが、葉は1~4センチほどと小ぶりで、可憐な萩の花と同時に紅葉する葉が和歌に詠まれています。
まず、枕草子でのみごとな萩の描写をご紹介しましょう。
〈萩、いと色深う、枝たをやかに咲きたるが、朝露に濡れてなよなよと広ごり伏したる、さ牡鹿の分きて立ち馴らすらんも、心ことなり(鹿が萩の草むらに分け入って親しむというのも格別なことです)。〉
(草の花は)
〈九月ばかり、夜一夜降りあかしつる雨の、今朝はやみて、…… すこし日たけぬれば(日が昇ると)、萩などのいと重げなるに、露の落つるに枝のうち動きて、人も手触れぬに(手も触れないのに)、ふと上様(かみざま)へ上がりたるも(跳ね上がるのも)、いみじうをかし。〉
(九月ばかり)
ここでは、萩の花の美しい色合い、枝のしなやかさ、そこに朝露が置き、ゆったり広がっていて、その萩に親しむ鹿が添えられています。あるいは、早朝から時刻が進んで、昨夜来の露で撓っていた枝が、露を落として跳ね上がる動きまで、すべて目に浮かぶようで、作者清少納言の捉えた萩の美しさが率直に示されているようです。
和歌に詠まれる様々な萩
万葉集には山上憶良による、
〈萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 又藤袴 朝顔の花〉
という秋の七草を詠んだ歌が見られ、萩は当時の評価を反映してか筆頭に挙げられています。
万葉集では、ほかにも様々な和歌で萩が詠まれますが、平安時代にはそれらの詠み方が受け継がれ洗練されていきます。
以下では、古今集を主にしつつ八代集の中から、萩の和歌の様々な詠み方を紹介します。
〇花の開花
〈秋萩の花咲きにけり高砂の 尾上の鹿は今や鳴くらむ〉
古今集の歌で、萩の開花を確認し、同じ頃に鳴く鹿を思いやっています。萩に添えて、野を行く鹿は多く詠まれます。
〇萩と鹿
〈秋萩をしがらみ伏せて鳴く鹿の目には見えずて音のさやけさ〉
萩の野に枝を絡ませ倒しながら鳴く鹿の、姿は見えずに明澄な声が詠まれています。萩と鹿の親しさから、萩を鹿の妻かとする歌もあります。次の後拾遺集にある、
〈秋萩の咲くにしもなど鹿の鳴く うつろふ花はおのが妻かも〉
では、萩の花が咲いているのになぜ鹿が鳴くのか、萎れて色が変わる花は、心変わりした自分(おの)の妻だからかと詠んでいます。萩は花とともに葉も詠まれます。
〇萩と紅葉
〈夜を寒み衣かりがね鳴くなへに 萩の下葉もうつろひにけり〉
秋の夜の冷気の中に飛来する雁の鳴き声と重ねて、色付いた萩の紅葉を詠んでいます。萩の紅葉は特に下葉から色付くとされます。
次に挙げる拾遺集歌では、朝露が下葉を染めて萩が紅葉したと詠まれています。
〈このごろの暁露にわが宿の 萩の下葉は色づきにけり〉
萩の花や葉に置いてきらめく露そのものの美しさも多く詠まれます。
〇萩と露
〈折りてみば落ちぞしぬべき秋萩の 枝もたわわに置ける白露〉
折ってみたら落ちて失われてしまう、萩の枝にびっしり付いた輝く露のはかない美しさを詠んでいます。しかし、そのはかなさを望むような歌もあります。
〈宮城野のもとあらの小萩露を重み 風を待つごと君をこそ待て〉
(もとあら=根元の葉がまばらか)
これは、萩を擬人化して、萩の枝は露の重さに堪えかねて、露を落とす風を待っているように、恋人を待つと詠んだ恋の歌です。宮城野とあるのは萩の名所です。賀茂長明の著書「無名抄」には、橘為仲という歌人が陸奥国での役人としての職を終えた時に、宮城野の萩を掘って長櫃(ながびつ)十二個に入れて京の都に持ち帰ったが、それが噂になって、為仲が通る二条大路に見物の人が大勢集まったという話もあります。
露が萩の花の赤紫色に衣を染めるとも詠まれます。平安時代の歌謡の催馬楽(さいばら)の「更衣(ころもがえ)」にも、「我が衣(きぬ)は 野原篠原 萩の花摺りや ……」とありますが、後拾遺集にある次の歌でも、
〈今朝来つる野原の露にわれ濡れぬ 移りやしぬる萩が花ずり〉
とあり、今朝やって来た野原の露に衣が濡れて、野を進むにつれ萩の花に摺れて染まるのではないかと詠まれています。
以上が萩の和歌での詠まれ方のあらましです。先に掲げた枕草子の萩の景の描写も、清少納言がこうした和歌での詠み方の歴史を学んだ上で、庭や野の萩を見つめたことから生まれたのでしょう。
萩の秀歌
筆者の好みで、三首の萩の和歌をピックアップしました。
前回は、同じ秋で字も似ている荻(おぎ)を扱いましたが、まず、荻と萩を一首に詠んだ和歌を紹介します。
〈秋はなほ夕まぐれこそただならね 荻の上風萩の下露〉
和漢朗詠集にある歌で、藤原義孝という人物が作者です。享年二十一歳の夭折の歌人で、朝に兄が死んだ同じ日の夕べに亡くなりました。情景は背の高い荻の先を秋風が渡って音を立て、地上近くでは萩の花や葉に露が置き風で揺れている様です。作者の短い人生のためか、前半部分からは尋常でない深く身に浸む寂しさが感じられているように想像されます。
次は千載集にある源俊頼の和歌です。
〈明日も来む野路の玉川萩越えて 色なる波に月宿りけり〉
「野路の玉川」とは、全国で有名な六つの玉川のひとつで、琵琶湖の東岸に流れています。川の辺から伸びた萩が水の流れの上にまで枝を差し出して花を付けていて、それを夜になり月が照らしています。空からの光で水面が萩の色に染まり月も映っている情景をこのように表現しました。その美しさのあまり、明日も見に来ようと詠んだのです。
最後は時代がかなり下った1350年頃に編纂された17番目の勅撰和歌集である風雅集にある永福門院という女性歌人の和歌です。
〈ま萩散る庭の秋風身にしみて夕日のかげぞ壁に消えゆく〉(かげ=光)
美しい萩の花を散らす秋風が庭に吹き込み、それが身にしみて感じられる秋の夕方ですが、日が沈むに従って光が弱まり壁の中に消えて行くようだという内容です。秋の夕風で庭に散ってゆく萩の花びらと、時刻とともに壁に吸い込まれてゆく夕べの日差しが、格別に静かな時の推移を感じさせる秀歌です。
真夏のような日射でも夕方近くなれば、ご自宅近くを散歩することもできるのではないでしょうか。ぜひ、さりげなく咲く萩の花を探してみて下さい。
参照文献
歌ことば歌枕大辞典 久保田淳・馬場あき子 編(角川書店)
和歌植物表現辞典 平田喜信・身﨑 壽 著(東京堂出版)
枕草子(小学館 新編日本古典文学全集)