地球46億年の歴史の中で、最大の大きさに進化した陸生動物といえばご存知、恐竜(dinosaurs)です。今日4月17日は、1922年のこの日、動物学者ロイ・チャップマン・アンドリュースの探検隊が、中国からモンゴルにかけての広大なゴビ砂漠に人類発祥の痕跡を求めて旅立った日。そして、そこでアンドリュースの探検隊40名は人類の化石ではなく、小型の獣脚類、角竜類、鎧竜類などの数多くの恐竜化石、そして世界で初めて恐竜の巣と卵の化石を見つけたのです。瓢箪から駒のような偶然とはいえ、恐竜研究の白眉ともいえる大発見の探検となったことを記念して、この日を「恐竜の日」としました…ということのようなのですが、いつ、誰がそう制定したのかどうもはっきりしません。また、日本以外ではこの日を「恐竜の日」とする言及は見られないため、日本独自の記念日のようです。
恐竜。古代生物ナンバー1の知名度でありながら、その生態は未だに謎だらけです
恐竜は、中生代(およそ2億5100万年前~6600万年前)全期間に渡る二億年近くもの長い期間にわたり地上に栄えました。当時、海には魚竜や首長竜と言った巨大爬虫類が繁栄し、空にも翼竜が飛び交っていた時代。恐竜は、それまでの手足が胴体の横についた両生類や爬虫類とは異なり、胴体の真下についた形でより陸上の重力下で機敏に動ける身体構造を獲得し、主に後ろ足二本に歩く古代の動物です。
このページ一つが一冊の地歴の本に当たるんだ。いいかい、そしてその中に書いてあることは紀元前二千二百年ごろにはたいていほんとうだ。さがすと証拠もぞくぞく出ている。(中略)そら、次のページだよ。
紀元前一千年。だいぶ地理も歴史も変わっているだろう。このときはこうなのだ。変な顔をしてはいけない。ぼくたちは、ぼくたちのからだだって考えだって、天の川だって汽車だって歴史だって、ただそう感じているものなのだから。(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より)
恐竜に関する定説ほど、この「帽子をかぶったやせた男の人」の語る、真実や事実が時代により、信じる心により、ころころと変わるものだ、ということをわかりやすくしめしてくれるものはありません。
恐竜は、その化石は先史時代からときどき掘り出され、ときに古代人の装飾品として使われていることもあり、古くは多くの地域で伝説の生き物、ドラゴンや竜の遺骨であると信じられてきました。教会の権威が高まる時代には、それらの化石は「ノアの箱舟に乗れなかった絶滅動物たちの骨である」といわれるようになりましたが、その実像はまったくわかっていませんでした。
これに科学的な検証の光があてられたのが1840年代のイギリス。リチャード・オウウェンによる3種の化石爬虫類にイグアノドン、メガロサウルスなどの名をつけ、これらの生き物の総称としてdino-saur(恐ろしいほど大きな竜)と名づけたのが恐竜研究のはじまりです。これを日本ではのちに「恐竜」と訳しました。
ある年代までは、その子供時代の恐竜図鑑には、「恐竜の尻尾をたたいても、それを恐竜が気づくのは何秒も後」というような、極端にノロマで愚鈍で代謝の鈍い、巨大な冷血は虫類の恐竜像に慣れ親しんでいました。筆者は、「ほんとかよ」という疑念でいっぱいだったのをおぼえています。恐竜が動いているところを、その説明では想像できなかったのです。また、当時は二足歩行の恐竜は、着ぐるみの怪獣のように直立し、尻尾を引きずる姿の想像図で描かれました。
この恐竜像が大きく変化したのは、1960年代、オストロムからはじまり、バッカーの恐竜恒温説などで完成される、「恐竜ルネッサンス」と呼ばれる大幅な仮説の書き換え、パラダイムシフトです。これによって、1980年代以降は、恒温動物で爬虫類よりも鳥に近く、体の一部または全体が羽毛に覆われていた、という恐竜像が定説となりました。それを裏付けるような羽毛の生えた痕跡のある恐竜化石も続々と見つかり、鳥は獣脚類である恐竜の直系子孫である、という説ももはや定説化しました。今、子供たちが見ている図鑑は、ニワトリやダチョウとそっくりの恐竜の絵のオンパレードです。
恐竜ルネッサンスによる恐竜=鳥説。でもほんとにほんとなの?
昨今では、「恐竜は絶滅していない。あそこにいるスズメ、あれはが恐竜だ。」と恐竜フリークの人たちが得意そうに語るのもよく聞きます。鳥と恐竜が系統額的に近縁である、ということは確かでしょう。しかし恐竜と鳥の違いが多いことも事実ですし、また恐竜が現代の鳥を大きくしたもの、ということにしても、まったく説明できないことが数多く存在します。
恐竜の生態についての仮説が常にどこかこじつけじみているのは、そもそも恐竜の形態やスケールが、現在の地球の陸上環境から計算すると、どうにも説明がつかない規格外、異常なものである、ということにあります。
たとえばマメンチサウルスは、12~15メートルもの首の長さ。現在もっとも首の長い動物であるキリンの首は2メートルほどで、血液を脳に運ぶために、キリンは260という血圧です。それと比べても段違いの首の長さを、いかにして陸上で維持したのか。計算してみると脳にまで血液を運ぶためには、とてつもなく大きな1トンを超える心臓が必要となっただろうと考えられ、その生態や生理は謎だらけ。
恐竜に近縁の翼竜では、その最大種のひとつケツァルコアトルス・ノルトロピは翼長12メートルにも及び、現在の鳥やコウモリと比べても桁違いの大きさ。また、頭部の大きさは3メートルもあり、現代の飛行力学で説明できない形態をしていました。が、彼らが飛んでいたことは明らかなのです。
プエルタサウルスは体長40メートル超、アルゼンチノサウルスも35メートル、スーパーサウルスになると体長50~60メートルに達したという説もあり、桁違いの大きさと重量で、また、化石が消失したために公式の記録としては認められていませんが、アンフィコエリアス・フラギリムスは全長60メートル、体重120トン以上ともいわれ、世界各地で続々と「巨大な陸生恐竜」の化石が発掘されているのです。彼らは、計算をしてみるとその自重だけで自身の骨や内臓を押しつぶしてしまうともいわれ、よしんばそれを克服できたとしても、その巨大な体で活動をし体温が上がると、自身の筋肉のたんぱく質が熱で変質、つまり「煮えて」しまうということになり、研究者たちを悩ませています。
恐竜学は、これらの常識的、物理的に説明困難な大きさや形態を持つ生き物を、実際にどう生きていられたのか、を現代の地球にあてはめて合理的に説明するために常に四苦八苦しているのです。
唯一無理なく説明できるのは、当時の地球が今の地球とは、すべてにおいて異なっていた、だから恐竜は生き生きと活動できたのだ、と考えるしかありません。生き物はみなその環境に適応して進化変化するものであり、現代の環境で説明できないとしたら、環境そのものがちがっていた、とするしかないからです。
ダントツ人気のティラノサウルス。どんな姿でどう動いていたのか?
恐竜スター軍団の中でも、ダントツの知名度と人気ナンバーワンの地位をほしいままにするティラノサウルス。最大級の肉食恐竜であるティラノサウルスの姿は、バナナのような牙が並ぶ巨大なあご、強靭な後肢、太い尾と比べて、アンバランスなほど極小の前足が特徴。その骨格は翼のない巨大な猛禽のようであり、現世のトラやヒョウ、ライオンといった猛獣とはだいぶ姿が異なります。ですから現代の猛獣たちがその力強い四肢で獲物を追いかけ、強力な前足の爪でとらえて引き倒すのとは、まったくちがう捕食の仕方をしていたことはたしかですが、どういう狩りをしていたのか、まったくわかっていません。以前は、その大きな体では早く走れないから獲物を捕らえることはできず、死肉をむさぼるスカベンジャー(掃除屋)だったのだろうとか、あるいは最近の説ではまだ体の小さな若い個体が狩りをしたのだろうとか、苦しい想像をするしかないのが現状です。
姿勢も、大きな頭部と太い尻尾で前後でバランスを取る、地上とほぼ平行の低い姿勢を取っていたというのが現代の定説ですが、それもおかしな話です。バランスを取るために姿勢を低くするのなら、四足で体を支えるほうが無理がありません。ティラノサウルスの前足が退化したのは、前足を必要としない生態をしていたから、と考えるべきです。ティラノサウルスの狩りは、水に潜んでいきなりかぶりつくワニと、上からかぎ爪で急襲する鷲の両方、上下移動の動きでの狩りに特化したものだったのではないでしょうか。ただし、潜んでいたのは水ではなく白亜紀の濃厚な霧の中。地上数メートルを覆いつくす視界ゼロの濃霧にひそみ、頭部の敏感な触覚と嗅覚をたよりに獲物を探し、地を這うものは鷲のように後肢で押さえつけて牙でとどめをさし、頭上を飛ぶ翼竜は、その力強い後肢で飛び上がり、まさに水から突然飛び出すワニのように一気にかぶりつく。
このように考えれば、ティラノサウルスの巨大化は狩りに有利であり、なおかつ前肢という武器を必要とせずに狩りができたはずだ、と筆者は考えます。
いずれにしても、かつてのゴジラのような直立した怪獣スタイルから、現頭の大きなダチョウのようなスタイルへと現在は変化していますが、この想像図もいずれ書き換えられるようになることでしょう。
日本での恐竜研究のメッカといわれる福井県立恐竜博物館では今日、4月17日の恐竜の日にちなみ、入館無料となっています。ジオラマ模型や、実物の化石を数多く展示しています。古代の謎の生物について、ああでもないこうでもないと空想をめぐらすのも、きっと楽しいことでしょう。
福井県立恐竜博物館