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60歳元セルビア代表コーチの監督初挑戦「当てはめない」マレーシアで指揮に恩師ピクシー太鼓判


喜熨斗勝史監督(60)は、マレーシアの伝統的な1部リーグのセランゴールクラブで新たな挑戦を始め、就任3カ月でマレーシアチャレンジ杯で優勝を果たしました。また、国内リーグ2位を確定させ、来季のACL2出場権も獲得しています。喜熨斗氏は元セルビア代表コーチとしての経験を生かし、日本、中国、セルビアで得た知見をセランゴールにうまくフィットさせることを意識しています。彼はマレーシア特有の文化や習慣を重んじ、柔軟にチームを指導。プロ監督としての成功を目指し、将来的にはJリーグでの指揮も視野に入れています。

就任3カ月でマレーシア・チャレンジ杯で優勝した同国1部セランゴール喜熨斗監督(左から3人目=本人提供)

サッカー元セルビア代表コーチの喜熨斗勝史氏(60)が、マレーシアの地で新たな勝負に挑んでいる。昨年11月下旬に同職を辞し、マレーシア1部セランゴールの監督に就任。同国の伝統クラブで指揮を執ることになった。現在、公式戦14試合負けなし(12勝2分け)で国内リーグ戦2位を確定させ、アジア・チャンピオンズ・リーグ・エリート(ACLE)に次ぐ格の大会、ACL2の来季出場権獲得に導いた喜熨斗氏が監督としての挑戦を語った。

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クアラルンプールから南西へ、車で1時間ほどのところにあるセランゴールの練習場に、日焼けした喜熨斗氏の姿があった。

昨年11月下旬の監督就任から怒濤(どとう)の3カ月が過ぎ、着実に成果は表れつつある。「最初はバタバタで就任したので大変でしたが、少しずつ結果がついてきています」と充実した表情を浮かべた。

公式戦は、就任直後の昨年12月1日こそ敗れたものの、以降は12勝2分けで無敗だ。ACLEでも上位進出をうかがう実力のジョホールが断トツ首位を走る国内リーグ戦では、今月8日のクランタンU戦に7-0で勝って2位を確定させ、来季のACL2出場権をもたらした。

2月22日には、マレーシア杯16強で敗退したクラブで争われるマレーシアチャレンジ杯の決勝第2戦でPDRMに4-0で快勝。2戦合計7-2で初タイトルを手にした。

喜熨斗氏「就任からわずか数カ月で、監督として初のタイトルも獲得できました。自分の考えも浸透してきていると思います。これまでのコーチ業と異なり、監督は全ての責任を背負うという緊張感があるし、それは私が望んでいたことですので、やりがいを感じて日々を過ごしています」

オファーは突然だった。セルビア代表コーチとして欧州ネーションズリーグのスイス戦、デンマーク戦に臨んでいた昨年11月中旬、セランゴールが監督としての招聘(しょうへい)に興味を持っている、という情報が関係者からもたらされた。

長らく望んでいた監督としてのオファーだったが、セルビア代表コーチの契約が残っていた。長年、ともに仕事をしてきた同代表ドラガン・ストイコビッチ監督(60)に、率直に思いを伝えた。

喜熨斗氏「僕も昨年10月で60歳を迎え、監督として挑戦したかった。このチャンスを逃したら次のチャンスを得るのは難しいと思いました。ストイコビッチ監督に相談すると『それは素晴らしいチャレンジだ。セルビア代表に残ってほしい気持ちはあるが、そのようなチャレンジを止めることなんてできない』と言われたんです」

ピクシー(妖精)の愛称で知られるストイコビッチ監督。その右腕として、喜熨斗氏は08年にJ1名古屋グランパスのコーチに就任した。10年にクラブ初のJ1優勝を達成。15年8月からの中国1部リーグ広州富力ヘッドコーチを経て21年3月、セルビア代表コーチに着任。22年W杯カタール大会、さらには24年欧州選手権ドイツ大会に出場するなど同監督を支え続けた。

ともに歩んできた、恩師とも言える存在から送られたメッセージで、マレーシアに渡る決意を固めた。

セランゴールとの契約は急を要した。監督就任が決まり、欧州から直接マレーシア入り。チームに合流してから実質2日間の練習を経て臨んだ24年11月28日のACL2ムアントン(タイ)戦は1-2で敗れた。

直後に行われた12月1日のマレーシア杯パハン戦にも敗れ「2連敗して、喜熨斗は大丈夫なのか? という雰囲気が周囲に漂いました。そのプレッシャーの中で3試合目に勝つことができて、少しずつ流れをつかむことができました」と振り返る。

同氏は英語、ポルトガル語が堪能で、マレーシアも英語が第2言語のため、コミュニケーションは問題ない。今回の監督就任に際しては、現役時代に大宮アルディージャ、アルビレックス新潟などでプレーした元MFで、言語力が高いデビッドソン純マーカス氏をアシスタントコーチに呼び、指導体制を整えた。

その上で日本、中国、セルビアで得た知見を強化のために生かす。

喜熨斗氏「セルビア代表では欧州のトップクラスの選手を指導し、対戦国もトップ・オブ・トップの国々でした。ただ、その基準をセランゴールに当てはめて比べても意味を成さない。日本、中国で得た経験、欧州で培ったノウハウをセランゴールにそのまま当てはめるのではなく、うまくフィットするように伝えることを意識しながら指導するようにしています」

普通にいけば「日本だったら」「欧州だったら」と比べてしまいがちだが、海外経験が豊富なだけに心得る。各国の文化、慣習をリスペクトし、柔軟に対応する術を知っている。

イスラム教が国教のマレーシアは1日5回のサラート(礼拝)を行う日課があり、練習時間に礼拝が重なることもあるが「それもメニューに組み込みます。5分から10分ほどの礼拝の時間を休憩に当て、前後のメニューを組み立てます」という。

さらには3月。約1カ月が断食期間のラマダンにあたり、イスラム教徒の選手たちは日の出から日没まで水を飲むことも禁じられるため、試合開始が午後9時~10時になる。

日々の練習も、それに準じた時間帯に取り組むが「マレーシアで仕事をする上では必要不可欠なこと。地元の選手たちは、ラマダン中の調整方法が分かっている。我々や外国人選手たちも、それに合わせます」と話す。

踏まえた上で今季、クラブから課された「マレーシア・チャレンジ杯優勝」と「国内リーグ戦2位で来季のACL2出場権獲得」という目標を達成した。

喜熨斗氏「プロとして、責任を背負って目標を達成できたという思いです。監督は責任の所在が明らか。最終的なメンバー選考、交代の判断、戦略や戦術の決定、そして勝敗の責任。全て私に懸かっている。コーチとは全然違う。ただ、その立場を望んで監督になったわけです。プレッシャーはありますが、それを楽しみたいと思います」

最終的にはJリーグで指揮を執りたい、との強い思いも抱いているが、プロ監督として、今はセランゴールでの采配に全てを注ぐ。

「今までもプロとして結果にコミットすることで生きてきました。今も同じです。結果を出すことが、次につながるわけですから」

喜熨斗氏の監督としての挑戦は始まったばかりだ。

◆喜熨斗勝史(きのし・かつひと)1964年(昭39)10月6日生まれ、東京都出身。日体大卒業後、関東1部リーグでFWとしてプレー。教員を経て東大大学院総合文化研究科に入学。97年にベルマーレ平塚(現湘南)でプロの指導者になり、セレッソ大阪、浦和レッズ、大宮、横浜FCでフィジカルコーチを歴任した。04年以降、カズ(三浦知良)のパーソナルコーチも務めた。ストイコビッチ監督とともに08~15年8月まで名古屋でフィジカルコーチ(10年にクラブ史上初のJ1優勝)。退任した15年途中から19年まで中国1部広州富力のヘッドコーチ兼アカデミーダイレクター。21年3月から24年11月までのセルビア代表コーチ時代に22年W杯と24年欧州選手権の出場に貢献した。

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