履正社(大阪)の前監督で、母校・東洋大姫路(兵庫)を率いて3年目で秋季近畿大会を17年ぶりに制した岡田龍生監督(63)と昨夏の甲子園で旋風を巻き起こした大社・石飛文太監督(43)の対談が実現した。「古豪復活へと導いた指導論」をテーマに、取材を通じて高校野球に携わる朝日新聞社・大坂尚子記者と日刊スポーツ新聞社・古財稜明記者との4人で熱く語り合った。
■まずは体作りから
古財 10月に練習試合をされたと聞きしました。
岡田 ちょうど私が東洋大に行った時に、石飛監督が馬庭君を連れてこられてて、その時に練習試合の話になりましてね。
石飛 東洋大姫路さんは「もう夏前じゃないか」って仕上がりで。プレーの考え、意図を選手が理解しているのがすごく伝わってきて。公式戦のつもりで勝ちにいきましたけど、3-6で負けました(笑い)。
大坂 夏は「大社旋風」で盛り上がりましたね。
岡田 ちょうど1回戦が兵庫の報徳学園だったもんですから。記者の人に聞いても、大社さんの評価も非常に高くて「わかりませんよ」って話やったんで。左の馬庭君が安定しているのと、足の速い選手が数人いると聞いていたので、楽しみにしていました。
大坂 特に3回戦の早実戦が話題となりましたね。
岡田 お互いの攻撃側、守備側がいろいろ駆使して。和泉監督もイチかバチかの策で内野5人シフトを取られて。あの場面でどういう指示を出されてたんかなと。ちょうど明治神宮大会の横浜戦でもそういう場面もあったもんですから。
古財 早実戦ではバント対策で左翼手がマウンドの三塁側付近にいましたね。
石飛 めちゃくちゃ近かったですね。あの時は左翼手の位置に気づくのが遅れて。そもそも左翼手がいなければ打たせようと思ってたので。イチかバチかの策にうちが策で返すのは違うかなって。結果的に策にハマりましたけど(笑い)。
古財 去年の春から低反発バットが導入されました。明治神宮大会では相手の監督が「東洋大姫路の長打力が頭一つ抜けている」と驚いていました。
岡田 春なんか特にほんと飛ばないなっていう印象が強くて。センバツでほとんどの監督さんが「低く強い打球」と言われていて。僕も確かにそうは思うんですけど、木のバットだったら外野の頭越さないんかって言ったら、そんなこともないんですね。ある人は言うんですよ。「大学生が低反発使って打っても、きちんと打つ」と。履正社ではほとんどの子は木で打撃練習をしてたので、僕は飛ばないっていう印象はあんまりなかったです。“折れなくなった木”っていうイメージしかなくて。きちんと打てば外野の頭も越すって感覚だったんですよ。
大坂 東洋大姫路でも同じような感覚ですか?
岡田 就任した時の体力的なレベルの差がかなりあったんですよ。平均体重も履正社と東洋大姫路やったら10キロも差があって。筋肉量の10キロってすごい差なんですよね。スイングスピードも15~20キロの差もありましたから。これは飛ばんなと。だからまずは体作りから入っていきましたね。
古財 大社は夏の島根大会では6試合で29盗塁と16犠打でした。低反発バットの影響はありましたか?
石飛 結局自分のポテンシャルに頼って、フライで外野に取られることが結構あったので、「低い打球」っていうのはずっと言い続けてました。攻撃でも自滅をしないことをテーマに掲げて。そういう意味ではバントにこだわったわけじゃないですけど、だいぶこだわってますよね(笑い)。
大坂 バントといえば早実戦で「できるやつ手上げろ」って言って、手を挙げたのが安松選手。試合中にベンチでそういう話し合いは結構されるんですか?
石飛 しますね。練習試合の時でも「ここでどうするかな」っていう時に聞いたり、僕がわからない時もあって。選手がどう考えているのかを練習、練習試合から探って、その時にいろんなアプローチかけていくんですけど。「行け」「行くぞ」「頼む」「どうする?」みたいな。その時は「どうする?」が良かったのかなみたいな感じでした。
大坂 それは選手の性格に合わせて言葉の使い方を変えているのですか?
石飛 「よっしゃ行け!」って言ったら、大体打てないので。采配とか、技術指導ができないので、できるとしたら人を見るところかなって。それでちょっとやってみたらうまくいくことが多くなったんで、「じゃあもうこれで行こう」って感じになりましたね。
■1対1で話する
古財 岡田監督は選手とのコミュニケーションは普段どうされてますか?
岡田 できるだけ取るようにしてますね。僕は選手を全員集めてミーティングする時も99%は聞いてないと思っています。だからその時は連絡事項ぐらいで。1対1で話をする方がこちらの意図も伝わるし、相手の話も聞けるので、そういう時間をつくることはここ10年くらい、履正社の時からそうでしたね。それが19年の夏に優勝できた1つの要因とちゃうかなと。先ほど石飛監督が言われてたのは、すごく今参考になりました。「頼むぞ」っていう言葉をかけた方がいい子もおれば、逆にすごく責任感が大きくなりすぎて力む場合もあるし。今の子どもらにはすごくマッチした指導かなと思いますね。
■土砂降りノック
古財 大社は「昭和Day」という練習を取り入れてましたね。
石飛 土砂降りの雨の中でずっとノックをやり続けただけなんですけど。大体、根性、魂、執念っていうチームなんですよ。甲子園から32年も遠ざかっていて、「じゃあ甲子園を知ってるのは誰だ」みたいな話になって。OBの外部コーチが2人いるんですけど、その方が32年前のエースと1学年下の方で。当時「雨中ノック」をやっていたみたいで。それをみんな楽しそうにやっているなと思ったら、キャプテンからグラブを渡されて、僕も一緒に飛び込んだみたいな。「そういうことじゃないんだよ」って言いましたけど(笑い)。何がなんでも甲子園行かんといけないと思って。
古財 そこで精神的な部分が鍛えられたんですね。
石飛 鍛えられますかね(笑い)。ただ、彼らは甲子園でそういうのが「ここ一番のスクイズに生きました」とか言ってるので。「よかった、昭和Dayやっといて」って(笑い)。
大坂 結構選手との距離は近い方ですよね。
石飛 近いと思います。でも甲子園に行かれるような監督さんはそういう関係性ではないと思うんで。普通は監督は泥水に飛び込まないので(笑い)。
大坂 岡田監督はそういうご経験ありますか?
岡田 生徒らにうさぎ跳びとか手押し車とかおんぶとか、僕らのやっていた時の練習の「1日体験会をやってみるか」って言ったら「いや、それはいいです」って言われましてね(笑い)。だから一番僕が困ったのは、高校の時に自分で考えて何かに取り組むことは一切学習したことがなくて、これが今思えば一番伸びなかった大きな原因かなと思って。自分で考えてさせることがすごく大事っていうのに気づいて、それは大切にしていますね。
古財 履正社でも主体性を重要視されていたのですか?
岡田 19年の春に星稜の奥川君(現ヤクルト)に17個三振取られて完敗して。春は3安打で0点、その後の定期戦では4安打で1点取ったんですね。春と定期戦の経験をもとに「どうやって打てるかいうのを考えて、毎日の打撃ケージに入る、毎日のシート打撃に入りなさい」という話はしたんですよ。そのために「あれしろ、この球打て」っていうことは一切言わなかったんですよ。それで夏は11安打してるんですね。そういう積み重ねが大事かなと思って。この間は1年生の子に休憩してる時に「次ご飯の後何時から練習?」って聞いたら黙るんですよ。「じゃあどうやって動き出そうとしてたんや」と聞いたら「周りが動いたら動こうと思ってました」って。それはもう根本的に考え方間違ってるわって。そういう子が今多くて。あいさつも周りがしたらしようかとか。
古財 石飛監督は選手たちの主体性の部分で何か感じる部分はありますか?
石飛 よく主体性があるって言われるんですけど、実際甲子園で僕がサイン出してないところで勝手に走ったり、僕も予期せぬことが起きたりとか。主体性を育んだつもりはないんですけど。僕も今5年目なんですけど、最初は厳しかったので、本当1から10まで全部言ってしまったりとか、僕が理想とする強度、雰囲気とか到達点に必ず毎日いかそうとしてて、いかなかったらしっくりこないし、それが指導者としてダメだと思って。22年夏に初戦で負けた時は、理想に近づけるのはもうちょっと無理だなと感じまして…。
古財 どんな感じで指導方針が変わったんですか? 石飛 最初は妥協から入ったんです。「もう言わんとこ。怒らんとこ。ちょっと1時間待ってみよう」みたいな。我慢の1年間を過ごして、妥協してたチームが3年生10人の時で、23年の春の県大会で優勝しちゃって。じゃあちょっと妥協しすぎんようにしようと思って、次の代はちょっとプラスっていうか、そういうのを積み重ねていったから去年の夏のベスト8につながったのかなって。まだよくわからないんですけど。
岡田 僕はよく子どもらに「やってる感あるか?」って聞くんですよ。「やらされてる感でやってても、うまくならんで」って。大社さんは「やってる感」が生まれている、そういう雰囲気で野球されてたんじゃないかな。「もう先生ゆっくりしといてください」みたいになればもうそれは究極。それぐらいの主体性を持ってやれたら、むちゃくちゃ強いチームになると思いますね。なかなか難しいですけどね(笑い)。
■甲子園行くぞ!
古財 最後に25年の目標を教えてください!
石飛 甲子園で2勝が107年ぶりで、ベスト8が93年ぶりで。この「何年ぶり」っていうのをもうやめたいですね(笑い)。去年のチームがベスト8なので、生徒たちは「次はベスト4」と言ってましたけど。ただ目的地が果てしなさすぎるので、ちょっと地に足つけて。大社にとっては125年目ですけど、この子らにとっては大事な1年なんで。「来年も」とかじゃなくて「このチームで何がなんでも甲子園行くぞ!」というふうな話はしました。
岡田 夏は11年から出てませんし、甲子園ではもう13年勝ってないので。まずセンバツに選んでいただいたら、なんとか甲子園で母校の校歌を歌えたらなと。今まで春夏で20回の出場はありますけども、これだけ間が空いたらリセットされて、初出場みたいな状況になってるので。何とかまた僕らの時代のようなレベルが安定して続けられるようなチーム、サイクルを作って、常勝軍団を目指したい。それのまず第1歩にしたいと思っています。
◆石飛文太(いしとび・ぶんた)1981年(昭56)9月9日生まれ、島根県出雲市出身。大社では二塁手として活躍し、姫路独協大では準硬式野球部に所属して、内野手と投手でプレー。卒業後は07年から出雲西でコーチや部長を務め、11年から母校のコーチに就任。16年からは異動した他校で卓球部の顧問を務め、20年に大社に再び赴任し、野球部長を経て同年秋から監督に就任。24年夏には馬庭優太(東洋大進学)らを擁して32年ぶりの甲子園出場、8強入りへ導く。国語科教諭。
◆岡田龍生(おかだ・たつお)1961年(昭36)5月18日生まれ、大阪市出身。東洋大姫路では正三塁手だった79年にセンバツ4強入り。日体大から社会人の鷺宮製作所を経て、85年から桜宮(大阪)のコーチを務め、87年春に履正社監督に就任。夏は97年、春は06年に甲子園初出場。14、17年とセンバツ準優勝し、19年夏に阪神井上らを擁して全国制覇。22年4月から母校の監督に就任。主な教え子にオリックスT-岡田、ヤクルト山田、阪神坂本ら。保健体育科教諭。
◆大坂尚子(おおさか・なおこ)1990年(平2)、千葉県生まれ。中学時代はバレーボール部に所属。芝浦工大柏(千葉)では硬式野球部のマネジャーを務める。早大では「早稲田スポーツ新聞会」に入り硬式野球部などを取材。朝日新聞社では17年からスポーツ部でプロ、アマチュア野球を中心に取材。担当として18年西武のパ・リーグ優勝、23年阪神のセ・リーグ優勝、日本一を見届けた。
◆古財稜明(こざい・りょうめい)1990年(平2)5月3日、北海道生まれの東京育ち。14年に入社後、営業部署を経て、18年から編集局に異動。阪神、オリックス、広島、アマチュア野球を担当。桐蔭学園(神奈川)では2学年下の松島幸太朗(東京SG)と花園に出場し、大会通算2トライ。立命大ではアメフト部に入部。社会人ではXリーグのアサヒ飲料に在籍し4年間プレーした。
※この対談は24年12月9日に行いました。