医療法人社団一仁会 日本橋インプラントセンター 玉木 仁理事長
医療法人社団一仁会 日本橋インプラントセンター
For JAPAN-日本の未来がココに-
今回、医療法人社団一仁会 日本橋インプラントセンターの 玉木 仁理事長のインタビューが1月11日(木)に公開されました。
「大学卒業後の進路転換で出会った歯科医療が、私の天職となった」
https://forjapan-project.com/news/1197/
画像1: https://www.atpress.ne.jp/releases/381125/LL_img_381125_1.jpg
医療法人社団一仁会 日本橋インプラントセンター 玉木 仁理事長
■落ち着きも健康も足りない子どもが、それでも憧れた教員の道
私の生まれは新潟県。双子で兄の方です。子供の頃は落ち着きがなく体も弱く、母親に心配をかけていたおり、あまりにも落ち着きがなかったので、座っていられる習字に通わされましたが、1、2ヵ月でやめてしまうほどでした。中学、高校も体調が悪く「食べ盛りなのに」と言われながら育ち、気がつくと大学受験の時期になっていました。
子どもの時の夢は、学校の先生。中学時代の学級担当の先生が皆理科を担当していたこともあって、理科の先生に憧れていたのです。ちょうどテレビで青春ドラマが盛り上がっていた頃でもあったので、今思うと影響を受けていたのでしょう。
■目指した目標から急旋回、歯科医を目指して歯学部へ
結果としては、地元・新潟大学の中学校理科教育課程に現役で合格し、入学できました。しかしながら、大学の先生とは折り合いが悪く、憧れていた熱が冷めていくのを感じていました。
決定打は、4年次の教育実習でした。憧れて飛び込んで見たものは、その学校で見たやる気のない先生の姿です。その先生は子どもたちや授業への関心も低く、学校外・教育外の活動に熱を上げる姿に、失望しました。それで無言の喧嘩状態になり、教師を目指す気持ちは、すっかり吹き飛んでしまったのです。
その頃、双子の弟は医学部の学生になっていました。卒業後の進路を見失っていた私が医学方面を選んだのは、彼の勧めがきっかけです。弟と違って歯学部を選んだのは、医学部よりも自立までの期間が短かったため。他の大学を卒業してから来る人が珍しくないことも、ハードルが下がった理由でした。
教育学部を卒業してから3年間の浪人生活を経て、歯学部に入学しました。実際に卒業時30歳を過ぎた「新入生」も、1割以上いましたね。自分自身も、卒業した時には32歳になっていました。
■歯科医として働くのに役立った、日常と非日常のチャレンジ
学生時代の経験の中で、卒業後、歯科医として働く中で役立ったなと思うことが2つあります。
1つは、手先の器用さに自信があったこと。生まれつき左利きでしたが、当時はハサミですら、左利き用の道具は見かけませんでした。右利きの道具を使いこなしていく中で、自然と両手をバランスよく使えるようになりましたね。
歯科で使われる道具は実際、右利き用がほとんどです。手先の器用さは治療の現場、特に手術を行うようになってからも、ものすごく役に立ったと感じています。
2つ目は、学生時代に行った海外旅行です。周囲の友人の影響で始めましたが、ほとんどは1人だけで行きました。格安の航空券と安宿を使っての単独旅行です。メインはお金がなかったので東南アジア方面で、他にも各地を巡りました。トルコのイスタンブールからアテネに行った時には、歩きすぎて足を痛め、車椅子で旅行するという貴重な経験をしました。
1人で行けば、手続きも生活も交渉も、何もかも自分がしなければなりません。度胸がついて行動力も高くなりましたし、自活できる自信もつきました。卒業後は海外の学会へ参加するようになりましたが、抵抗なく飛び込めたのはこの経験のおかげだと思っています。海外の学会に参加できたことは、より大きな知識と経験を得る礎になりました。
■一生の仕事となった「インプラント治療」との出会い
今、私が生涯をかけて取り組んでいるインプラント治療と、最初に出会ったのは歯学部時代です。35年前 今とは違いインプラント治療は歯科医療の中では一般的とは認められておらず、30分程度の講義でさらっと触れる程度で、実習の時間もありませんでした。そのため、あまり関心も持っていませんでした。
開業医として勤め始めた時に実際の治療を見る機会がありましたが、「インプラント治療は、実在するんだ」という軽い印象でしたね。とはいえ、実習の経験がないままでは治療を行うこともできません。まずは友人の先輩歯科医師の勧めで、海外のインプラント学会に参加しました。
海外でも、大学と言うよりインプラントは開業医が牽引していました。参加した学会で様々の学会発表から学び、最新の技術や臨床のデータに触れる中で「このすばらしい治療は、今後の最先端となるだろう」と確信したのです。学会から帰ってきてからは、寝る暇を惜しんでインプラントの勉強を始めました。
■インプラント治療を一心不乱に追求し、継続していくという使命
その後は、歯科医として勤めながら、インプラントのことを学び、実践していました。最初の医院で勤めたのちは、結婚相手の父、義父が院長として経営する医院に入ったのですが、義父をはじめとして、インプラント反対派が大多数という環境でした。
インプラントに賛成してもらうためには結果を出す必要があります。院内でインプラントの効果を訴える一方で、インプラントに関する勉強会や学会、研修会に可能な限り参加していました。土日はほぼインプラント関連の行事でスケジュールが埋まっていましたし、休日返上で24時間インプラントのことを考えていましたね。また、インプラントについての情報発信も始めました。
6、7年後には多くの患者さんに対して良好な結果を出すことができたため、患者さんに後押しをしてもらう形で、義父が「自分の口の中にインプラントを入れてみろ」と言いだし、当然ですが上手く行き義父の理解を得ることができました。その後義父は180度方向転換して、彼自身もインプラントを勧めるようになってくれました。
なによりも、施術した患者さんたちが喜んでくれていることが、インプラント治療がすばらしい技術であることの証です。私はこれからも、この治療の最前線を走りながら、より良い治療を提供していきます。
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医療法人社団一仁会 日本橋インプラントセンター
〈会社概要〉
法人名 : 医療法人社団一仁会 日本橋インプラントセンター
代表者名 : 玉木 仁
企業ホームページ: http://www.implant-tv.net/
所在地 : 東京都中央区八重洲1-5-17 香川ビル9F
事業内容 : インプラント治療、矯正治療、セラミック治療
〈For JAPANプロジェクトとは〉
画像3: https://www.atpress.ne.jp/releases/381125/LL_img_381125_3.jpg
For JAPAN-日本の未来がココに-
For JAPANプロジェクトとは、10年後20年後の日本の未来の担い手である20代にむけて、「日本の未来を創る“本質的な気づき”を。」をテーマに様々なコンテンツを通し情報発信を行っています。参画された【50人の社長】というレンズを通して、経験に基づく本質的な考え方や情報を学び、動き出すきっかけを与え“日本の未来を創るプロジェクト”全国放送『For JAPAN -日本の未来がココに-』(BS11)や、YouTubeチャンネル『For JAPAN -日本の未来がココに-』など様々なコンテンツで社長たちが徹底討論。
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