1980年代の“ヨンク”ブームを牽引し、ヒット作に成長した三菱パジェロは、1991年になるとフルモデルチェンジを実施して第2世代に移行する。RVワゴンとしてのパフォーマンスをいっそう高め、同時に内外装の質感も引き上げた2代目は、初代以上の人気モデルに発展した――。今回は国内向けパジェロの販売中止を惜しんで、“GRIP THE GROUND”のキャッチを掲げて登場した第2世代の「アルゼンチンの南部に生息する野生の猫=PAJERO」の話題で一席。
【Vol.117 2代目・三菱パジェロ】
1980年代に巻き起こったクロスカントリー4WD車の流行、いわゆる“ヨンク”ブームの中心車種として、大人気を博した三菱自動車工業のパジェロ。その次期型を企画するに当たり、開発チームは“新時代の4WD”の創造を目標に掲げる。具体的には、「走る・曲がる・止まる」能力を高次元でバランスさせる、三菱独創の“オールホイールコントロール理念”の具現化および高度化を目指した。同時に、内外装の質感向上や機能性のアップなども画策。さらに、パリ~ダカール・ラリーでの活躍を踏まえたイメージ戦略を展開する旨も打ち出した。
■“GRIP THE GROUND”を謳って市場デビュー
1991年1月、“GRIP THE GROUND”のキャッチを掲げた第2世代のパジェロが市場デビューを果たす。「目指すものが違う」「パジェロの進化が、4WDの進化」などと声高に謳った新型は、基本骨格にクローズド断面のラダーフレームと高張力鋼板を多用した高剛性ボディ、全面的にリファインした前ダブルウィッシュボーン式トーショーンバースプリング/後3リンク式コイルスプリング(一部バンは縦置き半楕円リーフスプリング)のシャシーを採用。ボディタイプはホイールベース2420mmのメタルトップ(乗車定員5名)とリア部がオープントップとなるJトップ(同4名)、ホイールベース2725㎜のミッドルーフ(同7名)とリア部がハイルーフとなるキックアップルーフ(同7名)を設定し、さらにメタルトップとミッドルーフにはオーバーフェンダーを備えたワイドボディ(全幅1785mm)を用意したほか、商用車登録のバンボディもラインアップして幅広いニーズに対応した。
搭載エンジンは大幅な改良を施した6G72型2972cc・V型6気筒OHCガソリン(155ps)と4D56型2476cc直列4気筒OHCインタークーラー付ターボディーゼル(105ps)、インタークーラーを省いた4D56型ターボディーゼル(85ps)の3機種を設定し、トランスミッションには5速MTと4速ATを組み合わせる。肝心の駆動システムには、トランスファーにビスカスLSD付センターデフを組み込んだ新開発のスーパーセレクト4WDを採用。フルタイムとパートタイムの両方式の長所をあわせ持ち、さらに走行中でも100km/h以下なら2WD(FR)/4WDの切り替えを可能とした。加えて、この新駆動システムとマッチングさせた新開発のマルチモードABSを設定。特別なテクニックや難しい操作を駆使することなく、さまざまな路面で高い走破性を実現した。
オールホイールコントロールの理念に磨きをかけ、内外装の見栄えや品質も向上し、しかも多様な志向に対応するワイドバリエーションを展開した2代目パジェロは、従来のヨンク・ファンのみならず一般乗用車ユーザーの関心も惹きつけ、販売台数を大いに伸ばしていく。この上昇気流を維持しようと、三菱自工は精力的に車種設定の拡充や一部改良を図っていった。
■バブル景気崩壊を物ともせずに人気モデルに発展
まず1991年6月には、ミッドルーフワイドに特装車のリフトアップルーフを設定。1992年6月には、全モデルにボディ同色サイドアンダーミラーを装備して左サイド下の死角を低減する。1993年なると、2月に「パリ~ダカール・ラリー総合優勝記念車」を、5月に1992年度国内4WD最多販売台数達成(8万1707台)を記念した特別仕様車の「No.1スペシャル」を発売。7月にはマイナーチェンジを実施し、6G74型3496cc・V型6気筒DOHC24Vガソリン(230ps)と4M40型2835cc直列4気筒OHCインタークーラー付ターボディーゼル(125ps)の2機種のエンジン設定およびトランスミッションの容量アップ、フレームとシャシーの改良、クロスカントリー4WD初のSRSエアバッグの設定、内外装デザインの一部変更などを行った。
1994年に入ると、2月にパリ~ダカール・ラリー出場を記念した限定車の「リミテッドエディション」を、4月にメタルトップワイドXR-Iにキャンバストップを架装した「GAGA」を、5月に専用モノトーンボディカラー(ソフィアホワイト)で彩った「ホワイトパジェロ」を、6月にミッドルーフXRをベースとした充実装備の特別仕様車「リミテッドエディション」をリリース。8月になるとマイナーチェンジを行い、装備の見直しやラインアップの変更、ワイドボディに6G74型エンジンを搭載したJトップワイドZSの追加などを実施する。さらに11月には、専用装備を満載した特別限定車の「リミテッドエディション」や専用モノトーンボディカラー(ムーンライトブルー)で彩った「ブルームーン」を市場に放った。
1995年になると、1月にミッドルーフベースの簡易キャンピングカー「ネスト」を、2月にグラナダ~ダカール・ラリー出場記念限定車の「リミテッドエディション」を、5月に夏のアウトドアレジャーに適した装備を採用した特別仕様車の「グリーンフィールド」および「スーパーグリーンフィールド」を発売。また、7月には三菱自工がパジェロの生産を担当する東洋工機の株式の過半数を取得して同社を「パジェロ製造株式会社」に社名変更した(2003年3月には同社の全株式を取得して完全子会社化)。翌8月にはマイナーチェンジを実施し、機能装備のさらなる拡充や3列シート車への2列目セパレートシートの設定などを行う。11月には冬のレジャーシーズンに向けた特別仕様車の「スノーアスリート」をリリースした。
パジェロの改良は、まだまだ続く。1996年に入ると、まず1月にグラナダ~ダカール・ラリー出場記念車の「フィールドマスター」を発売。5月にはマイナーチェンジを行い、4G64型2350cc直列4気筒OHC16Vガソリンエンジン(145ps)を搭載したルーキー・シリーズの設定や4M40型ディーゼルエンジンの出力向上(140ps)などを敢行する。9月には冬のレジャーシーズンに向けた特別仕様車の「スノーアスリート」を再度リリースした。
1997年になると、まず1月に特別仕様車の「フィールドマスター」および「フィールドマスター・リミテッドエディション」を発売。5月には大がかりなマイナーチェンジを行い、V6 3.5L GDI(Gasoline Direct Injection)の6G74型3496cc・V型6気筒DOHC24V直噴ガソリンエンジン(245ps)およびINVECS-ⅡスポーツモードAT(5速AT)の設定や4M40型ディーゼルエンジンの改良、6G72型ガソリンエンジンの4バルブ化および燃料噴射システムのECIマルチ化(185ps)、ワイドボディへのブリスターフェンダーの採用、内外装の仕様変更などを実施する。さらに9月には、可変バルブタイミング&リフト機構のMIVECや電子制御可変吸気システムなどを組み込んだ6G74型エンジン(280ps)にセッティング変更および剛性強化を図った5速MT/INVECS-Ⅱスポーツモード5速AT、4つの走行モードから最適の駆動方式を選べるスーパーセレクト4WD、4輪独立懸架のサスペンション(前ダブルウィッシュボーン/後マルチリンク式ダブルウィッシュボーン)、ワイド化したボディに専用エアロパーツなどで武装したクロスカントリーラリー参戦のためのベースモデルとなる高性能版パジェロの「エボリューション」を2500台限定でリリース。11月には冬のレジャーシーズンに向けた恒例の特別仕様車「スノーアスリート」を市場に放った。一方、この年には三菱自工による総会屋への利益供与が発覚。ブランドのイメージ悪化は販売面にも波及し、パジェロを含めた新車セールスは苦戦を強いられるようになった。
1998年2月にはミッドルーフワイドにお買い得グレードの「エクシードジオ」および「ジオマスター」を設定するなど車種ラインアップの見直しを中心としたマイナーチェンジを行い、翌99年2月にはミッドルーフワイドに「エクシードリミテッド」を追加するなどして、新鮮味の維持を図った2代目パジェロ。しかし、販売成績の復調には至らず、1999年9月にはフルモデルチェンジを実施して3代目の「新世代の世界基準パジェロ」に移行した。
“RVの三菱”の中心車種に据えられ、日本のみならず世界中で大好評を博した2代目パジェロ。晩年は会社自体のイメージ悪化もあって販売が低迷したものの、その人気と実力は間違いなく1990年代を代表するレクリエーショナル・ビークル(RV)に位置づけられるのである。