1980年代初頭の日本の自動車市場では、“赤のXG”をイメージリーダーにした5代目ファミリア(1980年デビュー)の大ヒットを契機に、FFハッチバック車の人気がにわかに盛り上がっていた。このカテゴリーに三菱自動車工業は、“元気なカジュアルビークル”をテーマに掲げて開発した第2世代のミラージュを1983年に投入する──。今回はエリマキトカゲを使ったCMでも話題を集めた2代目 の“蜃気楼=MIRAGE”の話で一席。
【Vol.90 2代目三菱ミラージュ】
FF(フロントエンジン・フロントドライブ)の駆動レイアウトを活かした、パッケージ効率に優れる2ボックスのハッチバックモデルが高い人気を集めた1980年初頭の日本の自動車マーケット。このカテゴリーにミラージュおよびミラージュⅡを投入していた三菱自動車工業は、さらなるシェア拡大を狙って次世代ミラージュの企画作りに勤しむ。開発テーマに掲げたのは、“元気なカジュアルビークル”の創出。既存のミラージュの先進的な車両デザインをさらに発展させながら、機能性の向上や最新技術の導入を鋭意画策した。
■タマゴから発想した滑らかなスタイリング
基本コンポーネントに関しては、従来のミラージュ用プラットフォームを踏襲したうえでボディ剛性のアップやサスペンション支持部の強化など大幅な改良を施す。ボディタイプは3/5ドアハッチバックのほか、4ドアセダンを用意。ホイールベースは2380mmに設定した。懸架機構は乗り心地の向上を狙ってセッティングを見直した前マクファーソンストラット/コイル、後トレーリングアーム/コイルの4輪独立懸架を採用。制動機構には前ディスク/後リーディングトレーリングを組み込み、スポーティグレードのフロントにはベンチレーテッドディスクを装備した。搭載エンジンには“ORIONⅡ”ガソリンユニットのG15B型1468cc直列4気筒OHC(87ps)/4気筒→2気筒を切り替える気筒休止機構のMD(Modulated Displacementの略)付きG15B型(87ps)/G13B型1298cc直列4気筒OHC(77ps)、“SATURN”ガソリンターボユニットのG32B型1597cc直列4気筒OHCターボ(120ps)、“SIRIUS”ディーゼルユニットの4D65型1795cc直列4気筒OHCディーゼル(65ps)をラインアップする。組み合わせるトランスミッションには5速MT/4速MT/3速ATのほか、4速のMTと追加された副変速機のパワーとエコノミーの2モードで計8段変速となるスーパーシフトを設定した。
エクステリアについては、タマゴの形から発想した角がなく滑らかなフォルムによって優れた空力特性を実現したことが特長。また、開口部をフェンダー部にまで回り込ませたフロントフードや上部を直線ラインで仕立てたリアホイールハウス、ブーメラン形のランプ、ボディ同色でまとめたフロントグリルなどによってオリジナリティあふれる斬新なルックスを演出する。ボディサイズはハッチバックが全長3870~3995×全幅1635×全高1360mm、セダンが全長4125×全幅1635×全高1360mmに設定した。
外観と同様、インテリアの造形も斬新だった。ダッシュボードはステアリング基部およびメーター部を前方に張り出させたうえで、スイッチ類を機能的に配置。液晶式の電子メーターや周波数デジタル表示の電子同調AM/FMラジオ、2本スポークのステアリング、色彩豊かなカラーリングなども人目を惹いた。また、エンジンマウントやサスペンション支持部を新設計したうえで防音・防振材を強化した結果、室内の快適性が大幅に高まる。ガラスエリアを広くとって乗員の開放感を演出した点も、新型のアピールポイントだった。
■“こんどのMIRAGE”を謳って市場デビュー
第2世代となるミラージュは、兄弟車の2代目ランサー・フィオーレとともに1983年10月に市場デビューを果たす。キャッチコピーはシンプルに“こんどのMIRAGE”。車種展開は3/5ドアハッチバックと4ドアセダンともに豊富な仕様をそろえ、ユーザーの好みやニーズに幅広く対応した。
イメージキャラクターに忌野清志郎さんを起用し、華やかな広告展開で発売された2代目ミラージュ。しかし、デビュー当初を除いて販売成績はそれほど伸びなかった。初代ほどルックスのインパクトがなく、イメージリーダーの1600GSR系もやや地味な印象。さらに、定番のマツダ・ファミリアやほぼ同時期にデビューしたホンダ“ワンダー”シビック、強力な販売網を誇るトヨタ・ターセル/コルサ/カローラⅡなどのライバル勢が、2代目ミラージュの存在感を圧倒したのだ。
■“エリマキトカゲ”のCMで再度脚光を浴びる
このまま低調に推移するかに思われた2代目ミラージュ。しかし、予想もしなかった出来事によって事態は好転する。それは、1984年9月のマイナーチェンジを機に実施した新たな広告展開だった。清志郎さんに代わってイメージキャラクターに起用されたのは、オーストラリア北部やパプアニューギニアなどの森林に生息する爬虫類のエリマキトカゲ。後ろ足2本で走るユニークで愛嬌たっぷりの姿がミラージュとともに使われ、子供から大人まで大注目を集めた。それに伴い、2代目ミラージュの販売台数も上昇。メーカー側もこの勢いに乗ってラインアップの強化を図り、1984年12月にはターボモデルの標準仕様となる1600GTグレードを、1985年2月にはワゴンとバンを、同年8月には1500CX-7(3ドア)/1500CG-7(4/5ドア)の“7シリーズ”を発売した。また、ミラージュのスポーツイメージを増大させる目的で1985年からワンメイクレースの「ミラージュカップ」を開催。競争性の高さや賞金のよさなどで好評を博し、規定を変えながら最終的に1998年まで開催された。
1年あまりでエリマキトカゲのブームが去ると、2代目ミラージュの注目度も再び下がり始める。対応策として三菱自工は、ハッチバックおよびセダンの再度のマイナーチェンジを1986年2月に実施。層流燃焼の“CYCLONE”ガソリンエンジンへの換装や内外装デザインの一部変更、グレード展開の見直しなどを行った。1986年8月にはワゴンおよびバンの一部改良を敢行し、CYCLONEガソリンエンジンの採用やフルタイム4WD仕様の設定などを実施する。1986年10月になると、一部変更とともに車名を「ミラージュNOW(ナウ)」に改称。新シリーズとして、ポルシェデザインのアルミホイールやステアリングなどを装備する3ドアX1X、充実装備の特別仕様車となるMARION(マリオン)を設定した。
工夫を凝らした改良を積極的に実施していった2代目ミラージュは、1987年10月になるとハッチバックモデルの全面改良が行われ、“社交性動物”を謳う第3世代に切り替わる。1988年1月には4ドアセダンも新型に移行。ワゴンおよびバンは1992年まで生産され、同年5月にはリベロ/リベロカーゴの車名を冠する独立車種に発展した。
結果的にクルマそのものよりもエリマキトカゲのほうが強く印象に残った2代目ミラージュの車歴。イメージ戦略の重要性を再認識した三菱自工は、以後のミラージュにおいて当初から広告やタイアップの展開に目一杯の力を入れることとしたのである。