2年ぶりとなる2ndアルバム『ニッポンChu!Chu!Chu!』を9月21日に発売するベイビーレイズJAPAN。2年間で、日本武道館ワンマンライブを実現させなければ解散という崖っぷちからスタートして4年。「公約」は実現させたが、満員にはできなかったため、「ベイビーレイズ」から「ベイビーレイズJAPAN」に改名。
それから2年、今年の7月7日~10日にフランス・パリで開催された日本博覧会『第17回Japan Expo』に初参加。4000人を前に10曲を熱唱した。初主催となる10月6日19時~10月9日16時まで、東京・新宿 @新宿ReNYにて、4周年企画「EMOTIONAL IDOROCK FES. 69時間パーティー!パーティー!!ファイヤー!!!」を開催する。
日本一のアイドルになる、日本を代表するアイドルになるとの改名理念に近づきつつある彼女たちに、アルバムの聴きどころ、4年間を振り返って、Japan Expoの感想、69時間にわたる「EMOTIONAL IDOROCK FES.」への意気込みなど、本音に迫ったインタビューを2回にわたって掲載します。
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――デビューから4年を振り返っていかがですか? また、一番思い出に残っている出来事は何ですか?
大矢 いろいろありすぎて、4年間早かったですね。4年ちょっと前の自分は、(滋賀県から)東京に出てきてアイドル活動をしているという事は1ミリも考えていなかったので、まさかこんな生活が待っているとは!まさか2年後、自分が武道館に立っているとは!4年間、普通じゃ味わえないことを味わわさせていただいているので、本当に早かったですし、充実してました。これからまだまだベイビーレイズJAPANは続いてまいりますが、もっともっと濃い時間にしていきたいと思います。
1番の思い出は、やっぱり武道館ですね。武道館に立っていなかったら解散と決まっていたので、3年目、4年目、5年目が想像できなかった。武道館やらなかったら解散かぁと。それがまさか改名して長く活動できているのは奇跡なので、これからも大事に過ごしていきたいと思います。
傳谷 ベイビーレイズとしての2年、ベイビーレイズJAPANとしての2年を考えると、すごく早かったなぁと思うんですけど、4年を振り返ると長かったなぁという印象です。たくさんのことを経験しているからこそ、すごく濃くて熱いからこその道のりだったり、自分の感情の変化だったり、波がたくさんあったので長く感じました。ベイビーレイズJAPANはなかったものというか、ベイビーレイズで武道館に行けなかったら解散!いまは、本当はなかったかもしれない2年を過ごせているので、感謝しかないです。付いてきてくださったり、支えてくださるファンの方やスタッフさん、お仕事の方とかあらためて感謝しなきゃいけないなと。感謝の2年でした。
1番の思い出は、ベイビーレイズJAPANでいえば、7月にフランス・パリで行われた「Japan Expo」に行ったことです。初の海外ライブというのが、かなりインパクトになったなぁと。また海外に行きたいという野望が生まれたので、すごく素敵な経験をさせていただきました。
林 いろんなことが起きすぎて整理できないというのが、正直な感想です。最初に戻って、ベイビーレイズになるという選択をしていなかったら、いまの自分はどうしていたんだろうと考えたら、ベイビーレイズになって、ベイビーレイズJAPANになって経験させてもらったことは、本当に膨大な量です。パフォーマンスの面だと本当に成長できる環境だったり、私個人としても、もしこの活動していなかったら、こうしておしゃべりも出来ないほど引っ込み思案でした。ただのアイドルというよりは悔しい想いや負け犬魂があったからこそ乗り越えられた4年だったかな。
1番の思い出は、「Japan Expo」ですね。私は3歳から芸能活動していて、小学校のときに劇団四季の『ライオンキング』の舞台に立ったりしたこともありました。将来はブロードウェイに行きたいという夢があって、芸能界に入ったんです。だから、歌を歌うものとして海外のステージに立てたのは夢のようで、とてもいい経験になりましたし、今まで行ってなかったことがもったいなかったなぁと思うぐらいです。海外のステージも日本のステージも変わらないんだなと。確かに遠くて未知の世界だけど、ステージに立ったら本当に同じで、オーディエンスの皆さんがエールを送ってくれるというステキなステージに立ったので、今後もたくさんのところに飛び出して、ベイビーレイズJAPAN、日本を代表するアイドルというものをたくさんの人に見てもらいたいなぁと思います。
高見 めっちゃ早かったですね。あっという間に過ぎた気がします。違う未来を想像したりして、武道館行けなかったら何になろうと考えた最初の2年だった。でも、いま4年目までやって来れて、これ一本で行くんだ!という気持ちがどんどん強くなってきているので、4年は早かったけど、これから先の方がもっと早く感じるんじゃないかなと思っているので、それぐらい急ピッチでテッペンまで駆け上がりたいなぁと思っています。
1番の思い出は、『暦の上ではディセンバー』です。リリース時期がデビュー1年目の頃で、テレビの露出がいっきに増え、さまざまな番組に出させていただいて、その時期は怒涛の何か月間でしたが、もう一回これを目標に頑張ろうと励みになりました。
渡邊 ベイビーレイズを結成した時、私がちょうど中学校1年生の時でした。中学校に上がりたてだったんですけど、この4年間、もうすこし5年目を迎えるんですが、いろいろあって、学校のこととかも盛りだくさんでした。学校に通いながらお仕事をするという両立で、大変な時期もありました。そういった意味でも学校生活にすごく食い込んだ4年間で思いで深いです。すごく貴重な時間だったなぁと今、思います。
1番の思い出は、武道館公演です。結成して解散しなかった理由でもあるし、そういう意味で思い出深いです。
――デビューからの2年間で、武道館ワンマンライブで着なかったら解散というのは、いま改めて振り返っていかがですか?
傳谷 日比谷野音(2014年7月13日に日比谷野外音楽堂でワンマンライブを開催)で、署名を1万人集めたら武道館ができると、事務所の方に伝えられて、やっと光が見えました。でもその1ヶ月間は解散と隣り合わせで、日々のライブをやらなきゃいけないのでプレッシャーもありました。スタッフさんから「あと2週間しかないのにまだ何千人しか集まっていない」と聞かされると、「あぁ私たちもう終わりなんだ」と思ったりして、5人で「解散したらどうする、解散しなかったらどうする」と、将来の話をしたこともありました。みんな精神的に削られていく中で、ひとつひとつライブやって署名してもらって。ツラかったかと言われたらツラかった2年でもあります。でも、武道館に行って満員に出来なかったという悔しさも正直あって、夢だからこそもっといい景色を見せたかったし、見たかったというのもあるので、日本を代表するグループになってJAPANと改名したからには、武道館を満員にしたいなぁという想いはさらに強くなりました。
いまの目標は、武道館を満員にすること、紅白に出ること。紅白に出続けるだけではなく、全体を通して「日本を代表するアイドルグループといえば」という指の中に入れるグループになれればいいなぁと思います。
――7月にフランス・パリで行われた「Japan Expo」の感想は?
傳谷 想像以上によかったです。私たちは受け入れてもらえるのかという不安もありました。でも、すごくウエルカムで。本当に「ありがとう来てくれて」って言ってくれたり、私たちのことを知らないはずなのに、ちゃんと(曲などを)知ってくださる方がいたり、口ずさんで下さる方がいたり、それぞれ自由に私たちとの音楽を楽しんでくれて、こんな素敵なことなんだなぁと、音楽は本当に共通するものなんだなぁというのを感じれたので、想像以上によかったです。
林 フランス行くの初めてだったので、フランス語とか全くわからなかったんですけど、行けるって決定した1ヶ月前ぐらいから急ピッチでフランス語の勉強をしました。いまではフランス語にはまっちゃって、ちょっとずつですけど勉強を続けています。テレビのフランス語講座や番組、本やアプリを使って発音とか勉強してて、すごく楽しいです。実際にフランスから、「Japan Expo」を観た方が日本に来て、私たちが日本で行ったワンマンライブに来てくださった方もいたので、ちゃんと爪痕を残せているんだなぁという事を実感できて幸せでした。何回もいきたいです。
――最後に初自主開催となるフェス「EMOTIONAL IDOROCK FES. 69時間パーティー!パーティー!!ファイヤー!!!」について教えてください。
傳谷 乗り込み乗っ取りと言っていたのはベイビーレイズの2年で、JAPANになってから、エモーショナルアイドロックという指針が新しくできました。ボーダーレスに楽しんでもらいたい、楽しみたいという想いからアイドロックという言葉があるんですけど、フェスは今までお世話になったバンドさん、アイドルさん、芸人さんに来ていただくので、堅苦しいフェスというよりも、みんなが楽しめるお祭りのようなフェスにしたいなと思っています。
林 4周年企画で、私たち主催のフェスを開催できることになりました。でんちゃんがいったように、楽曲を作ってくださったみなさん、バンドさん、仲のいい方、つながりのあるアイドルさん、応援してくださってる芸人さんが出演してくださるということで、夢のようなフェスなんです。だけど、私たちはホストになるので、地に足を付けて、出演してくださる皆さんをちゃんと迎えて、そしてお客さんに楽しんでいただける環境を作るというのは大変なことだと思うんですけど、5年目という事もあるので、ちゃんとみなさん全員をみんなに楽しんでもらえるように、チームワークはバッチグーでやっていきたいです。