どうも特殊犯罪アナリストの丸野裕行です。
映画やVシネマ、テレビドラマで目にする暴力団組織ですが、そこは盃事(さかずきごと)や義理がけといった専門用語をはじめ、細かな上下関係や呼び名が存在する、一般人にはよくわからない世界だと思います。
■告白!借金まみれで「ヤクザの盃事会場」の手伝いをした男が見た風景
https://getnews.jp/archives/3175605
※「盃事」「義理がけ」についてはこちらの記事をどうぞ
そんな暴力団組織に似て非なる集団として神農(テキヤ)が存在するのを皆さんはご存じでしょうか?
暴力団、つまりヤクザの成り立ちが博徒と呼ばれるばくち打ち集団であったのに対し、神農は商業の神様を中心とした露天商の集まりなのです。(後述しますが例外もあります)
そこで今回は、実際に元神農(テキヤ)系組員だったG氏(76歳)に暴力団組織(ヤクザ)の昔ながらの仕組み、そして神農との違いを聞いてみました。
※写真はすべてイメージです
暴力団組織は昔気質の構成でできている
丸野(以下、丸)「Gさんはいわゆるヤクザ、暴力団組織にも詳しいということで今回インタビューさせていただくのですが、暴力団というものは、そもそもどのようなものなのですか?」
G氏「まぁ、博徒というか暴力団組織は、親分や子分など身分を明確にしたいというか、上下関係を中心として構成された集団だよな。暴力団の多くは上下関係を重んじ、その一個人じゃなくて、強圧的態度で人を動かすという組織が多いね。親分が白といえば、黒いものでも白になる。そんな組織だよね」
丸「よく聞く言葉ですね。ということは、組織の首領が親分、その配下が子分―まったく格が違うんですね」
日本のヤクザ組織はまるで血よりも濃い家族
G氏「その子分の中のうち、組織での先輩がアニキと呼ばれ、後輩が舎弟。組長のアニキ分はオジキ(叔父)になるわけだ。まぁ昔の封建的な家長制度のような関係が脈々と続いているのよ」
丸「昔は親父が怖かった……的なファミリーを築いているということですよね。少し前にお世話になっているヤクザ社会学者の廣末登先生が公式にコメントしていた劇場用映画『ヤクザと家族』のままなんですね。あの映画を観ると、ヤクザの哀しみはあるんですが、どこか懐かしい感じがします。自分の若くして亡くなった父を思い出しますよ」
劇場用映画『ヤクザと家族』公式サイトコメントページ(2021年01月29日公開作品)
https://www.yakuzatokazoku.com/#comment [リンク]
G氏「観たよ、そちらの筋の話はやっぱり気になるから……」
丸「やはりお詳しいですね」
G氏「博徒の羽振りのいい時代は、神農(テキヤ)からヤクザに鞍替えした人間もいるから、いろいろと情報が入ってくるのよ。組織内部の組長や子分の役割だって、その時代の家長制のままに、かなり厳しく定められているよね」
丸「どのようにですか?」
博徒(ヤクザ)と神農(テキヤ)にも違いがある
G氏「博徒集団の場合なら順番で、貸元、代貸、本出方、助出方、三ん下に分類される。三ん下ヤクザはそこから中番、はしご番、下足番、木戸番、客引、客送、見張に分類。下っ端は《見張》からはじまるわけよ。そんな時代もあったそうだね」
丸「ほう、なるほど。神農の場合はどうですか?」
G氏「テキ屋として夜店などを出す露店の元締めの神農は暴力団とはまったく違う。まず博徒と神農では精神が違うわけよね。出店場所の区割りから商品仕入れまで取り仕切っている露天商の仕事をしている神農は、穏やかに商売をやってるんじゃないかな。コロナ禍で大変だけどね、今。神農の場合は、(ばくち打ちである博徒と違い)斬った張ったじゃないから《隠居(いんきょ)》になって、跡目を相続するカタチになる。ただ、媒酌の作法を知っている方は、博徒の《媒酌人》になることもあるよ」
博徒の媒酌人を神農が頼まれることもある
丸「じゃあ、神農の世界なら安全というわけですか?」
G氏「安全というわけじゃないけどね。ただ、博徒の代替わりの媒酌人を神農が頼まれることもある。それは闇市の頃からの関係だから、(博徒の)後見人を神農出身者にやってもらうと安心なんだろうね。テキヤはヤクザと違って、日本の祭りを担ってる(※)から神事にも詳しい。そもそも、ヤクザに対して神農はシノギの場が違う。日本の祭りを支えてるんだから、ちゃんと露店の営業許可もとれるし、暴対法・暴排条例の除外だし、キチンと商売をやってる。こちらは物を売って生計を立てているわけだからね」
(※注・実際、日本の大きな祭りでも、神農による取り仕切りが数多くみられる)
丸「なるほど」
警察は一部の神農と博徒を一緒にしている
G氏「警察では、テキヤ自体を暴力団のルーツと定義、平成以降も博徒と一部の神農は同じで、組織や集団の威力をバックに常習的に集団で暴力的な不法行為を行う恐れがある組織と定義されている。テキヤと暴力団は経済活動を共にしていると思われているわけ。それは本当に一部。冗談じゃない」
(※注・厳密には“ヤクザ”は“暴力的な組織”を指すが、暴力団の多くは博徒組織がその成り立ちである。一方テキヤについては「七割商人、三割ヤクザ」という言葉もあり、G氏が先に述べていたようにテキヤの中にも数割、暴力団組織と深い関わりを持っている者が居るのも事実である。なお「七割商人、三割ヤクザ」はテキヤの気質や心意気を指しているという説もある)
丸「健全に商売をしている神農が、一部のテキヤのせいで警察に“一緒くた”にされているというわけですね」
G氏「誤解があっても仕方ないけど……。媒酌人になるっていうのは、ヤクザ事情に詳しいから選出されるということだよね」
数多くの暴力団が政治団体や企業を騙るようになった
丸「神農の世界はやはり暴力団とは違うんですね」
G氏「そう。博徒の業界は暴対法ができたころくらいからは、政治団体や企業まがいの名前にして身をかわしてきた。組長のことを会長や総長、総裁なんて呼び方に変わって、子分だって専務や常務、理事、幹部なんて名称に変化してきたと、そういうことだね。中身はまったく変わってないけど……」
昔テキヤ稼業で名を馳せていた頃のことを噛みしめながら語るG氏。その小さくなってしまった背中に我が父を見ました。
いかがでしたでしょうか。似ているようで異なる、神農と博徒の世界。
本来、生業を持つことなくバクチで流浪する人間を博徒とし、神農とは全く別の存在だということが今回の取材を通してもわかりました。
神農と呼ばれる彼らテキヤを《稼業人》、博徒を《渡世人》とも呼び、取りまとめる縄張り関係のことも、テキヤは《庭場》、博徒は《シマ》と言い分けます。そこには、神農が商いを中心に考えているのに対し、博徒は縄張り争いと殺し合いが行動原理の中心であることがうかがえます。
また、個々の信仰として、テキヤは職業の神様として神農を祀っていますが、博徒は職業神として天照大神を祀っているそうです。ですので兄弟分の盃や襲名など、博徒系の祭壇では必ずその名を見ることができます。
神農と博徒は世界が違う─最後にG氏は「それを伝えたかった」と語りました。
(C)写真AC
(執筆者: 丸野裕行)