――みんなの銀行役員陣による「代表取締役を対外的に何と称するか」についてのディスカッションは大いに盛り上がりました。そして、頭取、社長、CEOのいずれの「推し理由」をみても魅力的なものばかりで、悩ましい状況に。トップの横田さんの提案をきっかけに急展開を迎える連載2回目です。
※この記事はオウンドメディア『みんなの銀行 公式note』からの転載です。
出席役員(計7名)
• 横田浩二(取締役頭取)*議長
• 永吉健一(取締役副頭取)
• 宮本昌明(執行役員)
• 役員A
• 役員B
• 役員C
• 役員D
CxO(Chief x Officer)の呼び方は、経営・人事制度にも影響
役員C 今回の肩書に関しては、実は呼称だけの問題でなく、「組織のあり方・チームメンバーの位置づけ・モチベーション」への影響をベースとして「経営や人事制度」に関係する問題解決手段につながるものとして捉える必要があると考えています。みんなの銀行は、伝統的な地域金融機関とは異なり、「グローバル・専門職・キャリア採用」といった観点から、経営と人事制度を改める必要があると見ています。日本企業と欧米企業の経営・人事制度の作りの違いを説明するには、別の機会をいただくとして、日本企業で崩壊しつつある年功序列・終身雇用・職階給制度などは「グローバル・専門職・キャリア採用」に全く馴染みません。日本企業は農耕型ボトムアップ、おみこし型で、責任の所在があいまいなイメージをもって語られてきました。一方、欧米企業は狩猟型トップダウン、自動車型で、指揮命令系統が明確だと言われてもいます。どちらが良いということではなく、今まで村社会の中で上手くやってきた日本企業のやり方と、これから取り入れなければならないグローバルな欧米企業のやり方の、両方の「いいとこ取り」を考えていく必要があるのでしょう。
もしCxO(Chief x Officer)を呼称として採用するとすれば、それは最低限の人事制度として、業務オペレーションの責任者COOと技術責任者CTO、そして会社経営の総責任者CEOが必須となります。COOとCTOの下では日常の業務だけでなく、専門家集団の人の採用から運用・評価、成果配分がそれぞれの組織で行われなければなりません。これには「人事部人事」を基本としてきた日本企業の人事管理の仕方とは違い、「ライン人事」という欧米流の人事管理方式が必要となってきます。
一括採用でゼネラリストを育ててきた伝統的な地域金融機関からみると、大いに違和感を感じる人事管理かもしれませんが、今や多くの日本企業が「グローバル・専門職・キャリア採用」の環境の中で人事部の役割や人事制度を見直し、組織体系そのものや経営の仕方を変えるよう迫られています。また、それこそが専門職・キャリア採用の人たちを取込み、これからのグローバル社会で光り輝く企業となるための経営につながるのです。
今回の呼称の検討に、CxO(Chief x Officer)の概念を加えることによって、Bさんの指摘された「組織のあり方、チームメンバーの位置づけ、モチベーション」にも影響を与え、経営や人事制度そのものを考えるキッカケとしなければいけないと考えます。呼称ですからいいとこどりをして、名刺の両面に日本語の頭取の肩書と、英語のCEOの肩書でも良いのでは。いっそのこと、頭取・CEOとまとめても良いのでしょうが、少なくとも「グローバル・専門職・キャリア採用」のためにはCxO(Chief x Officer)の概念を取り入れ、それに沿った経営と人事制度を見直す良い機会とすべきでしょう。私もCxO(Chief x Officer)に一票を投じます。その意味では、思い切ってCEOだけにしてもスッキリして良いかと思いますよ。
横田(議長) なるほど、グローバルスタンダードだと、頭取はガラパゴスですかね。CEOだけというのもスッキリしますが、厄介なのは、永吉さんの、COO・CFO・CSOというマルチXですね。
銀行の使命や矜持を忘れてはいけない
永吉 皆さんの意見や考えが色々とあって興味深いですね。私は、みんなの銀行のミッションやビジョン、バリューを煎じ詰めていく過程でやはり、私たちには頭取がピッタリかなと思うようになりました。その思いは以下の二点です。
まず第一に、我々が創るのは、あくまで銀行であるということです。みんなの銀行が掲げる3つのバリューの一つに、「『銀行らしさ』からの脱却~銀行がやらないことを考える~」というのがありますが、この意味は、「銀行は創るが、これまでの銀行のネガティブ(お堅い、敷居が高い、面倒くさいetc.)なイメージは払拭する。既成概念、固定観念に捉われない“銀行らしくない”銀行を目指す。」というものです。足元では、みんなの銀行のメンバーは元々の銀行員が40%、キャリア採用組が60%で、「従来の銀行では……」といった枕詞が良い意味で通じない、それを良しとしないというカルチャーが浸透してきています。しかしそれは、我々が銀行であるという使命や矜持を忘れて良い、ということではありません。最近は、ともすると我々の議論の中で「『銀行』からの脱却」と履き違えている場面もあったりしますが、それは違うということです。もちろん新しいビジネスや提供価値を創っていく過程で、議論の飛躍をするという観点では、多いに銀行からも脱却したいところですが(笑)。
よって、どんなに「新しいものを創る! デジタルだ! 銀行の三大業務・三大機能をRe-Designする! Re-Defineする!」と言っても、銀行であることを忘れてしまっては、我々の存在価値そのものを否定することになります。銀行として、銀行員としての矜持を持っていたい。その象徴が「頭取」という呼称である、というくらいの説明がちょうどいいかなと思います。
第二に、頭取という呼称が世の中に与えるイメージについてです。冒頭に申し上げたように、お客さまにとっては銀行のトップの名前や顔すら知らない以上に、頭取などという呼称には、興味も関心もない、ということがあります。言うなれば頭取の呼称に、対外的な意味合いやブランド価値に与える影響はほとんどない。そうであれば対外的イメージよりも、中にいる人たちの想いや銀行員としての矜持を大切にしても良いのではないかと思う次第です。
役員D 意見を言っていないのは私だけになりましたが、特に主張はありません。皆さんの意見を聞くと、それぞれに「なるほど」と思いますので、頭取でもCEOでも良いと思います。ヒヨリミですみません。
「横田社長」「横田頭取」と呼ばれるムズガユイような居心地の悪さ
横田(議長) 役員の皆さんの意見は、頭取説、CEO説に分かれました。私は前々から、社長でも頭取でも何と呼ばれても、ムズガユイような居心地の悪さを感じていました。みんなの銀行の中では、みんなが「横田さん」と呼んでくれることに感謝しています。私自身も副頭取を「永吉さん」と「さん」付けで呼ぶことを心がけています。長い付き合いなので議論がエキサイトすると、つい「永吉!」と呼び捨てにすることもありますけど(笑)。社内的には「さん」付けで通す。あくまでも、対外的に代表取締役を何と称するかが問題です。
みんなの銀行のコンセプトである「みんなの『声』がカタチになる」にならって、「全従業員に、頭取・社長・CEOの3択から決めてもらう」というのはいかがでしょうか。頭取・CEO等の合わせ技もありますが、ここはスパッと3択でいきます。どうでしょうか。
全員 異議ありません。
従業員のみんなの『声』で決めるべく、「社内総選挙」の実施へ
横田(議長) それでは、みんなの声委員会の事務局に社内総選挙の実施を指示します。また、転んでもタダでは起きないみんなの銀行なので、頭取から他の呼称に変更しても、変更しなくても、この経緯を対外的に公開して、ブランディングとして良いメッセージを出していければと思います。どうでしょうか。
全員 賛成です。
――このようなドラマティックなストーリーが展開され、みんなの銀行とゼロバンク・デザインファクトリーでは、急遽「社内総選挙」が開催されることになりました。従業員みんなにその審判が委ねられたわけですが、その結果は果たして……。
近日公開 みんなの銀行「社内総選挙」前夜(後編)に続く
(執筆者: みんなの銀行)