「出かける気になれない」突然の心細き留守番
浮舟を亡くなった娘の代わりと可愛がる僧都の妹尼君は、再び初瀬詣でへ。死んだ娘のことを忘れかねていた所にこの浮舟に巡り会えたことが嬉しく、お礼参りをすることにしたのです。
「さあ、あなたも一緒にいきましょう。誰にも知られたりしませんよ。同じ仏さまでもね、あそこでお籠りすると良い結果が得られることが多いのですよ」。
浮舟は(昔、お母様や乳母に勧められて何度も参詣したけれど、私は何もかも思うように行かなかった……。それに、知らない人たちと一緒に遠出するのは、なんだか不安)。
「まだあまり気分が良くないので、旅をしても大丈夫か心配で」と、素直に言うと、尼君も無理もないだろうと、それ以上無理には誘いません。
「はかなくて世にふる川のうき瀬には たずねも行かじ二本の杉」。初瀬の古川に生えている二本の杉を、浮世を辛く思う私は訊ねていく気になれない……。
これを浮舟が書き付けているのを尼君が見て、「あら、二本というのは、お会いになりたい方がお二人いらっしゃるのかしら?」。単なる当てずっぽうだったのですが、浮舟は図星をつかれてはっと顔を赤らめます。
「あなたの会いたい人たちのことは知りませんけれど、私はあなたを娘の代わりだと思っていますよ」。尼君はこう言って出かけていきます。人目につかないようにとは言うものの、退屈しているここのおばさん尼たちは我も我もとお供を申し出、結局この庵に残ったのは少将の尼ともうひとりの女房と、女の童のこもきだけでした。
「これはびっくり!」意外な特技発覚も意気消沈
数名と庵で留守番となった浮舟は(今更どうしようもないけど、頼りになる尼君がいらっしゃらないと心細いわ)。そう思っていた矢先、あの中将からまたラブレターが。
少将の尼が「御覧ください」と持ってきますが、見るわけもありません。いよいよ暗く沈み込んで、来し方行く末を悶々と思いつめます。
「見ているこちらが苦しくなるほどの落ち込みようでいらっしゃいますね。せっかくですから、碁でも打ちませんか?」
浮舟は「とても下手で……」と言いつつも、ちょっと打ってみる気になりました。少将の尼は自分のほうが強いだろうと浮舟に先手を譲ったものの、意外や意外、浮舟の強いこと強いこと。先手と後手を入れ替えてもう一番打ちます。
「まあ~、奥様(僧都の妹尼)が早くお帰りになればいいのに、姫君の強さをお見せしたいわ! 奥様はたいそうお強いんですよ。
僧都さまも若い頃からたいそう碁がお好きで「そなたには負けん」とごきょうだいで勝負されたことがあったのですが、その時も奥様がお勝ちになったんですよ! でもお姫様はきっとそれ以上ですわ、まあ、これはびっくり!」。
いいトシをしたおばさんがこういってゲームに熱中する姿を見て、浮舟はどんどん引いてしまい(やらなきゃよかった)。気分が悪いと横になります。
取り柄のなさそうな浮舟にも碁という意外な特技があるのがちょっと面白いですが、少将の尼ばかりがエキサイトして、本人は夢中になれないという矛盾。
「お姫様、時々はこうやって気晴らしをなさいませんと。せっかくお若い身の上で、そんなにふさぎ込んでばかりではもったいないですよ」。元気なおばさんの励ましも、物思いの多い浮舟にはまったく響かない。彼女は鬱々と、ただ夕風の音に過去を思い起こして涙がにじませていました。
またもやピンチ! 彼女が避難した“最後の砦”
夜になり、美しく月がさしのぼってきた頃、中将がやってきました。(昼間の手紙は無視したのに、これは一体どういうつもり?)浮舟は警戒し、奥に入ろうとします。
でも少将の尼は「それはあんまりですよ。あちらのお心を汲んで、ここでお言葉だけでもお聞きなさいまし。まだ何事もないじゃありませんか」。
中将は尼君が不在で、浮舟がひとり残っているのを知って来たのです。「あなたも物思いをしているんでしょう、僕だってとても胸が苦しい。物思いをする者同士、自然とわかり合えると思うのですが」などと勝手に言っています。
少将の尼にも責められた浮舟は、返事ともなしに「私は何もわからずに過ごしているのに、どうしてあなたに私がもの思いしているとわかるのでしょう?」。これを伝えられた中将は喜び「もっと、もう少しこちらに来てほしいと伝えてくれ!」。
こうなるといつ彼が侵入してこないとも限らない。浮舟は普段は足を踏み入れない、80過ぎのおばあちゃんの大尼君の部屋へ逃げ込みました。
宵の口からすでに眠りこけている大尼君と、同じ年頃のふたりの老尼は、まるで地鳴りのような恐ろしいイビキをかいて眠っています。怖がりの浮舟に見慣れぬ老人たちは不気味で、ただただ恐ろしく(この人達にとって喰われてしまうんじゃないかしら)。
たとえとって喰われたところで惜しい身の上でもないのですが、今日の心細さはいつにもまして「一本橋を危ながって引き返した」ような気分です。臨場感のあるたとえですね。
お供には女の童のこもきを連れて来ていましたが、彼女もお年頃で、京から来た中将に色めき立って、そちらへ行ったきり。(こもきはどこ? いつ来てくれるの?)とそればかり気にしますが、そんな気配は毛頭ありません。だめだこりゃ。
さて、中将はさんざん粘ったものの、結局は諦めて帰っていきました。若いふたりの野次馬をしたかったおばさん尼たちもがっかりし、悪態をつきながらその場でふて寝。浮舟は老婆たちのイビキの中で、ひとり深夜を迎えます。
孤独な一夜が明け……勇気を振り絞って頼んだ「ある事」
誰も助けに来てくれないまま、老婆たちの部屋で浮舟がうずくまっていると、ゴホゴホと咳き込みながら、おばあちゃんの大尼君が寝ぼけて目を覚ましました。そして浮舟を見つけ「おや? これは誰じゃね?」。額に手をかざし、ジロジロと見る様子がまさに自分をとって喰うかのように思われて、浮舟は震えます。
(以前、鬼にさらわれた時は何もわからなかったから、かえって怖くなかったわ。私、これからどうするんだろう。死ぬに死ねず、今では記憶も戻って、過去のあれやこれやに苦しめられてばかり……。でも死んだ後の世界では、これよりもっと恐ろしい魔物の中にいたのかしら?)
眠れぬままに、浮舟は自身の半生を振り返ります。
(生まれたときから父宮さまには見放され、継子として遠く東国をさすらい、ようやっと中の君のお姉さまにお会いできたと思ったら、不本意にもそのご縁は切れてしまった。
そして薫の君に見初められ、あの方に護られてようやく人並みになれると思った矢先に、匂宮が……。ああ、あの時、どうして宮さまのことが思いきれなかったのかしら?それが一番の間違いだった。そのために、私は死のうとして、今こうしてここに流れ着いて……)。
そう思うと、あの橘の小島で愛を誓ってくれた永遠の愛の言葉も、今ではなんとも思わない。どうしてあの時、彼のことがあんなに好きだと思ったのか、もう全然わからない。恋の情熱はすっかり冷め、代わりに薫の気長な愛情のありがたさがしみじみと思われます。
(薫さまにだけは、私が生きていると知られたくない……。でもどこかでは、生きていれば、赤の他人としてお姿を拝することがあるかも知れないと思ってしまう。でもやっぱり、そんなことを期待するのはやっぱり良くないわ。考えないようにしないと)。
親切だけれど無理解なおばさんたち、そして関わり合いになりたくない男から逃れるために、これまた迫力満点の老婆の部屋に逃げ込むしかない惨めな自分。無力で、何もできない、いつも誰かから逃げたり、隠れたりしているばかりの人生。
『あさきゆめみし』では絶望した浮舟がわずかにまどろんだその夢に、光源氏の霊らしき男性が現れ、愛の何たるかを説き、彼女を励ますシーンが挿入されていていい感じです。
さて、そうするうちに鶏の鳴き声が聞こえます。恐ろしい一夜を乗り切った浮舟には、その声を非常に嬉しく聞きました。「この上に、お母様のお声が聞けたらどんなにいいかしら」。
とはいえ、お供は来ないし、一晩考え明かしてぐったりした浮舟は、すぐには元の部屋に帰れません。そこへ、おばあちゃんのお供の老尼女房たちが起き出して「お粥を食べなされ」。お年寄りは朝が早いのはいつの時代も共通。
でも、浮舟はお粥なんか食べたくないし、おばあちゃんたちにお世話されるのもイヤ。なのに、やんわり断っても全然通じない。ウンザリ。
母代わりの尼君がいない今、浮舟の砦となってくれたのは、実母でもおつきの女の童でもなく、凄まじいイビキの老婆達でした。皮肉といえば皮肉ですが「これが現実」という感じがすごくします。そしてこの、おばあちゃんたちの描写のリアルなことと言ったらありません。
それでも浮舟は、部屋に戻る前に勇気を出して、あることを大尼君に頼み込みます。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
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(執筆者: 相澤マイコ)
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