「あなたがいて嬉しい」優しい姉に妹は……
異母姉・中の君の住む二条院で密かに過ごしていた浮舟。しかし女に手の早い匂宮に見つかりさあ大変。幸い、乳母が恐ろしい形相で宮をにらみ倒し、事なきを得ます。
中の君は夫の女癖の悪さに呆れ、妹を慰めようと自室に招きます。ショックと申し訳なさでぐったりしていた浮舟ですが、対面を避けると帰って誤解を招くという乳母のアドバイスに従い、気まずい想いで姉の前にやってきました。
普段は中の君が一番だと思っている女房たちも、うちしおれた浮舟の上品な様子に(やっぱり、こんなきれいな人を見たら無理ないわ)(そうよ。大した美人でなくても、すぐに手を出すんだから)。
涙の跡の残る妹を見て、中の君はとても優しく「来てくれてありがとう。どうかリラックスしてね。私は、お姉さまが亡くなられてから、ずっと悲しくてつらくて、心細くて。私ほど悲しい運命の人間はいないと思って来たの。……でもこうして、お姉さまによく似たあなたを見ていると、本当に心が慰められるのよ。
私はもうずっと一人ぼっちだとばかり思ってきました。でもあなたという妹がいてくれて嬉しいわ。だから、あなたもそんな気持ちでいてくれたら、とても嬉しいわ」。
田舎育ちの浮舟は、こんな時に上手に返す語彙がありません。ただ遠慮がちに「長年、遠くからずっとお姉さまをお慕いしていました。こうしてお目にかかれるだけで、すべてが報われる気がします」と、子供のように言うのがやっとでした。
本当によく似てる!妹を取り巻く感慨と疑惑
中の君は二条院所蔵の絵巻を取り出して、浮舟に見せてあげます。かつて紫の上が集めたのコレクションの一部でしょうか、今それを孫世代が見ているのだとすれば、感慨深いものがあります。
浮舟は美しい絵巻に夢中。普段は恥ずかしがり屋なのに、顔を隠すのも忘れて熱心に見入っています。一方で、中の君の視線は絵巻ではなく妹の顔に注がれます。
(本当にどうしてこんなに良く似ているの。きっと、この子もお姉さまもお父様似なんだわ)。薫は似ているといいますが、大君は父親似、中の君は母親似。そして浮舟の頭から顔のライン、目元の雰囲気は大君そのものといってよく、その面影からは男性ながら優美で繊細だった父・八の宮の懐かしい顔が浮かび上がるようです。
顔は似ているとしても、その他の点はどうでしょう。(お姉さまは芯はお強くて、とても気高くいらっしゃったけど、なんともたおやかで、なよなよとした柔らかい雰囲気の方だった。
浮舟はまだ稚い雰囲気だけれど、もう少し大人びて洗練されてくれば、薫の君とも不釣り合いではないわ)。中の君もすっかりお姉さん気分。
ふたりは夜明け近くまでおしゃべりし、その日は(かつて大君とそうしていたように)枕を並べて休みました。彼女の知らない父のことを、少しずつ……。浮舟は真剣に耳を傾けながら、ついに生きて会うことが叶わず残念に思います。
すっかり心を許して浮舟を可愛がる中の君に、女房たちは(あんなに大事になさっていいの?もうお手つきになっているかもしれないのに)(そこまでは行ってないでしょう、乳母も必死だったようだし)などと、噂しあって気の毒がるのでした。微妙なところですね~。
“イタチのように”パニクる母、急転直下の別れ
さて、この一件が浮舟の母の耳にも入りました。「なんてこと!中の君さまにも女房たちにも何と思われたか」と、取るものもとりあえず慌てて二条院に参上。
浮舟を引き取りたいと言う母に、中の君は穏やかに応じます。ここで気もそぞろな様子を「まるでイタチがいるようで」とちょっとおもしろい言い方をしています。人を疑わしく思う表現として、”いたちのまかげ”と言う言い方もあったようです。
「そんなにご心配になることはありませんよ」と、微笑む中の君。でもお腹の底でどう思っているやらと思うと、母親としてはやはり気が咎めます。「宮の手の早さは周知の事実なので、皆で気をつける」と言う中の君の言葉にも耳を貸さず、「明日あさっては厳しい物忌にあたるので、方違えを」と、浮舟を連れ出します。
中の君の浮舟への愛情は本物でしたし、中将の君もそれを疑ったりはしていませんが、このお母さんは興奮するとパニックになり、後先考えられなくなるタイプ。今回も突然のことに驚いて、お礼もそこそこに二条院を飛び出したのでした。
中の君は(かわいそうな妹。せっかく仲良くなれたのに)と思いますが、親が娘を連れて行くのを止めることもできません。つかの間の姉妹対面はこうして幕を閉じます。親戚づきあいって、いつの時代も大変ですね。
浮舟が連れてこられたのは三条付近にある小さな家。方違えなどの一時的な住まいとして用意しておいた隠れ家です。でもまだ造りかけで、あちこち出来上がっていません。
「本当に、この姫のために苦労が絶えないわ。あのまま二条院で不祥事が起きたらそれこそ世間に笑われてしまう。物足らない家だけど、ここでひっそりとお過ごしなさい。そのうち何とかするから」。
母がまた自分を置いて帰ろうとするので、浮舟は心細く、行き場のない自分の身が悲しくて泣き沈みます。母は母で彼女以上に悔しい。田舎者と蔑まれるような思いは自分だけで十分。浮舟にはぜひ晴れがましい身になってほしいと思うからこそ、二条院での一件が表沙汰になるのは避けたい所です。
常に母娘で密着してきたので、お互いに離れて暮らすのは辛いものがあります。「ここはまだ出来上がっていなくて不用心よ。お気をつけなさい。お道具はお部屋にありますからね。警備の宿直なども言付けてあるけど、心配だわ。でも、家に戻らないとあの人(常陸介)がうるさいから……」。
母は泣く泣く夫と子供の待つ家に帰っていきました。
所変われば品格も変わる?裏切り者の新婿をウオッチ!
家では、夫の常陸介が相変わらず婿の少将をもてはやしています。当然ながら、(あいつが浮舟に恥をかかせた張本人)と恨んでいる母は、夫に文句を言われても知らん顔。まったくのノータッチを貫いています。
二条院では貧相でパッとしなかった少将ですが、この家での姿はまだ見ていません。(ここではどう見えるかしら)と、中将の君はおばさんならではの野次馬根性を再び発揮し、ちょっと覗いてみました。おばさん、好きね~!
少将はくつろいで庭を眺めています。流行りのファッションに身を包んでいる様子は、なかなかどうしてイケメンです。妻となった娘の方はまだ女らしさもなく、ぼ~っとそばに付いています。……しかし、匂宮と中の君の美男美女カップルと比べると、どうにも物足らない夫婦の姿です。
娘はともかく、リラックスして女房たちと会話する様子などを見ても、少将はなかなかいい感じ。(本当に二条院で見た、あの男と同一人物かしら?)と思っていると、彼はこういいました。
「二条院の萩は本当に素晴らしかったなあ。どうしたらあんな萩ができる種が取れるのだろう。枝ぶりが本当に見事だった……」。余談ですが、二条院の萩といえば、紫の上が死の直前に眺めた花がまさにこれでした。絵巻といい、萩といい、何かと紫の上を偲ぶアイテムが登場するのも面白いです。
やっぱり同じ少将だと確信した母は(所変われば品変わると言うけど、品格も違ってくるのかしら?でもその利己的な心はどうなの)と、カマをかけてみます。
「しめ結ひし小萩が上も迷はぬに いかなる露に映る下葉ぞ」。大切にしていた浮舟には何の落ち度もなかったのに、どうしてあなたは心変わりしてしまわれたのですか、という非難です。
少将もスルーすることはできず「宮城野の小萩がもとと知らませば 露も心を分かずぞあらまし」。宮家の血を引く方とわかっていたら、私もおろそかには致しませんでした、なんとか自分で釈明させていただきたいものだと答えます。
宮城野(宮中の管轄区である野原)と、実際の宮城野(今の宮城県)をかけ、縁語の萩を浮舟に例えています。宮城県といえば萩ですが、当時から有名だったことがよくわかります。宮家の血を引きながら東北ゆかりの人となった浮舟のプロファイルが凝縮されたようなやり取りです。
少将も事情を知っていると思うと、ますます浮舟に良い結婚を!と力む母。そうなると思い浮かぶのは薫の爽やかな姿です。匂宮の華麗な姿にもポーっとなっていましたが、あんな風に気安く言い寄ってくるのは論外。
薫の重々しく立派な様子と並んでも、浮舟なら遜色ないはずと思う一方、先程の少将のごとく、それも我が家だけのことで、いざ上流階級に混じっていけばお話にならないレベルだろうとも思いやられます。ましてや薫の正妻は皇女さま。そんな方を日頃見慣れている方には、とてもとても……。
母の心は今日も膨らんだかと思えばあえなくしぼみ、しまいには考え疲れて朦朧としてしまうのでした。
「私って一体なに?」この世のどこにも居場所のない娘
一方、仮住まいの中途半端な家に取り残された浮舟は退屈でした。庭は草ボーボー、出入りするのはなまりのキツイ警備のオッサンばかり。若い娘心に、キラキラした二条院の風景と、優しくきれいだった姉の様子が恋しくなります。そしてあの、悪夢のような夕暮れのひとときも……。
(あの時、何と仰ったのかしら。怖くて内容もわからなかったけど……)。若い男から初めて聞いた口説き文句。緊張で細かくは思い出せないけれど、何やら甘く優しい言葉が注がれたこと。そして宮が去った後も、残り香がいつまでも体にまとわりついて、なかなか消えなかったことも思い出されます。怖かったけど、どうしてか忘れられない。
家をあけられない母からは、優しい手紙が毎日のように届きますが、浮舟の心は罪悪感でいっぱいです。(こんなに私を愛してくれるお母さまに、いつもご迷惑やご心配ばかりかけている私って一体何なんだろう、情けない)。
この日の手紙にも「さぞ退屈で落ち着かないでしょうね」とあったのに「大丈夫です、私はこれでいいの」。この世に居場所のない私、このつまらない家も、世の中と別世界ならどんなに嬉しいだろう……。
殺風景な小さな家で浮舟が無聊をかこっている頃、薫は宇治の御堂完成の報を聞き、久しぶりに足を向けます。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
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