「実家に帰りたい」悩む人妻の切望を聞いた貴公子は
夫・匂宮との今後を憂う中の君は、ついに薫に「宇治に連れて行ってほしい」と頼みます。宮の新たな妻は夕霧右大臣の愛娘・六の君。今後、なんの後ろ盾もない自分がどれほど惨めな立場になるかを悲観した中の君は、そのまま宇治にこもって、出家したいくらいに思いつめていました。
気の毒だとは思いますが、薫もさすがに同意できません。「どうしてそんなことができるでしょう。気軽な男でさえ、道中が険しく大変な山道ですから、僕も気になりながらずいぶんご無沙汰しています。
でも、八の宮さまの命日の次第については、あの山寺の阿闍梨にしかるべきことを頼んでおきましたから、ご安心ください。
僕は、あの山荘はお堂にして建て替えるのがいいと思うのです。行けば悲しみに襲われるところですから、八の宮のご持仏だけを残して、せめてもの供養になればと思うのですが、いかがですか。
あなたのご意見に沿いたいと思っていますので、どうぞ何なりとお言いつけください。どのようなことでも親しく承れれば、僕はそれだけで結構です」
薫は中の君が宇治へ帰って引っ込んでしまいたい気持ちを察し、そんなことはいけないとやんわりと制して、話を宇治山荘の今後にすり替えます。いくら後見人とはいえ、人妻をこっそり連れ出すなんてもってのほか。しかし、いたわしい彼女の胸の内を知った薫の心はきしみます。
誤解を招かぬようアリバイ工作…密かな横恋慕の苦しみ
朝顔片手に早朝の訪問もお開き。日も高くなってきたため、薫は座を立ちました。
帰る前に侍所(警備員詰め所)に立ち寄って「昨夜、宮さまがお戻りだと聞いて伺ったがまだお留守だった。宮中へ行けばお会いできるだろうか」と、留守とは知らずに訪問したかのようにアリバイ工作。夫の留守を知って人妻を訪ねたとは思われないように気を使います。
余計な憶測を避けるためとはいえ、こんなことをしないといけない自分の密かな横恋慕。それにつけても、彼女は本当に姉の大君に似ている気がする。御簾の向こうの佇まいを思い出しては「どうして僕はこう、いつもいつもあとで後悔することばかりなんだろう」。
こっちももう聞き飽きたよ! というおなじみの後悔を繰り返しつつ、薫は自宅(三条院)で勤行三昧。見かねた母の女三の宮が口を出します。
「そう先も長くないと思いますけど、私がいる間はどうか普通の姿のままでいてちょうだいね。尼の私が言うのも変だけれど、あなたが出家したらどんなに寂しく辛いでしょう。そのような心の迷いを生むのもまた、罪作りなものですから」。
いつまでたっても子供っぽくおっとりした女三の宮の心配。薫はそんな母がいとおしいような、哀れなような気がして、なるべく母の前では屈託のない様子を見せるのでした。年はとっても頼りないママ、なおさら心配をかけたくないですね。
しかし、同じ勤行三昧とはいえ、最初に宇治に通い出した頃と今では、随分その心持が変わってしまいました。あの頃の清い理想はどこへやら、今や抑えがたい不倫の夢にムラムラしながら自らの不覚を嘆く薫です。
ついに今夜は結婚式!肝心の花婿はどこ行った?
さて、匂宮と六の君との婚礼の当日がやってきました。六条院では花婿のお越しを今や遅しと待ち受けていますが、十六夜の月が登ってもちっともその気配がありません。
(どうにも気乗りしないご様子だったからな。もしや…)不安を感じた夕霧が手を回してみると、案の定、夕方宮中を退出したあと、二条院に戻っているとの情報が。本来なら宮中をでたらこちらに直行という手はずだったのに!
(例の宇治から呼び寄せたお気に入りの愛人のところにいるわけか。まったく面白くない、けしからん)。夕霧は不快ですが、とにかく滞りなく結婚を進めなければなりません。息子を迎えに送ります。
宮はついに、当日の今日まで婚礼のことを伝えぬままにきてしまいました。が、中の君から宮中に届けられた手紙を見て(かわいそうだ。やっぱりこのまま六条院に行くのはよそう)と翻意し、いったん引き返してきたのです。
中の君はうすうす今日がその日だと知りつつも、あくまでも感情を表に出さず、おっとりと素知らぬ風。それもまた愛おしく、いたわってあげたい気がします。
二人は仲良く月を眺め、宮は来世まで続く末永い愛を誓います。しかし夕霧側から「月も大空に宿りましたのに、宵が過ぎてもまだおいでくださいませんね」と伝えられると、さすがにいかないわけにもいきません。
「すぐに帰ってくるからね。ひとりで月を眺めてはいけないよ。不吉だからね。ああ、心ここにあらずで辛い……」と、真正面から出ていくこともできず、こっそり裏口を通って出ていきます。
その後姿を見送るにつけ、なにがどう、とは思いませんが、ただただ涙が溢れて枕が浮くほど泣いてしまいそう。「本当に嫌なのは人の心ね……」。頼りにならないあの人の愛の誓いは、今宵別な女性に贈られる。浮気な人とはわかっていたけど、いざそうなると辛くてたまりません。
「亡くなられたお父様やお姉さまに比べて、宮さまとはいくらなんでも時折はお逢いできるかと思うけど……こんな風に置いていかれる夜の辛さが、過去も未来もなく悲しい。こんな自分をどうにも晴らしようがない。でも自然と生きていれば、また違う流れがくるだろう……」。
女房たちがこの件に関してグチグチと文句をつけるのを聞いても、中の君はうんざり。(ああ、もう誰にも話さず、自分の心におさめていよう)。限りなく悲しく不安だけれど、それでもいつかは違う日がくるはずと、一人自分を励ますのでした。
昨夜の件が気まずくて…夫婦のギクシャクした空気
さて、気乗りしないまま六条院の花婿になった匂宮。中の君がかわいそうと思いつつ、もともと華やかなことは大好きなので、ご自慢のお香をたっぷり焚きしめ、バッチリおしゃれをして向かいました。申し分のない当代一の貴公子だと褒めてありますが、どうにもチャラいのが玉に瑕です。
さて、噂の六の君は、華麗な美女といった感じの方でした。年は二十歳すぎ前後。当時は“小柄=高貴”のような風潮があり、特に身分の高い姫君には、少女のような小柄な方もいたようですが、こちらは体つきも程よく、立派に大人の女性です。
とはいえ(中身はどうかなあ。気位が高くて上から目線の、嫌味な性格だったらやりづらいなぁ)。しかしそんな心配は杞憂に終わります。明るく快活で機転も利く新婦に、宮は(これは思ったよりアタリかも)と思わざるを得ませんでした。
新婚初夜が明け、宮は寝乱れた髪のまま二条院に戻りましたが、すぐに中の君のいる対屋へはいかず、一度寝殿で休憩。そこで新婦の六の君宛の後朝の文を書きます。
嫌がっていた割にまんざらでもなさそうな宮の様子に、人々はつつき合います。(中の君の今後がお気の毒ね。どんなに宮さまの寵愛があっても、右大臣家には気圧されてしまうわ)。
新しい妻とのやり取りを中の君の前で行うのも気の毒なので、返事もこちらで待ってから……と思いますが、やはり様子が気がかりで急いで彼女の部屋へ。
中の君は夫が来たのに臥せっているのも大人げないと身を起こします。彼女の顔がほんのり赤らんでいるのは、昨日泣き明かしたせいでしょう。宮は可憐な様子に見入り、いたたまれなくなって涙がこみ上げてきます。
じっと見られて恥ずかしく、面を伏せる中の君。さすがにきまり悪く、いつものような調子の良い愛の誓いが出てこない宮。照れ隠しのぎこちなさで出てきたのはこんな言葉でした。
「どうしてこうもずっと具合が悪いんだろうね。暑さのせいだと思っていたから、やっと涼しくなってちょっとは良くなると思っていたのに。祈祷なんかもさせているがあまり効果がない気がする。期間を延長するほうがいいね。
もっと霊験あらたかな僧侶はいないだろうか。〇〇僧都とかいう有名な人にお願いすればよかった……」。
こういうことも本当に上手に仰ること、と中の君は内心面白くない気持ちでしたが、まったくスルーというのも普段と違うし、「私は以前からこんなふうでしたの。特に何もしなくても自然に治りますわ」。
「なんだ、ずいぶんさわやかだな」宮は冗談めかしてそう言い、「あなたへの愛は少しも減らない、減るどころか未来永劫変わらない」と、お得意のセリフを続けますが、中の君の目からはポロポロと涙が……。こんなところを見せるまいと普段は気を配っていたのですが、さすがに今回の件では思い悩むことが多く、とめどなく涙があふれてきます。
苦しそうに顔を背ける彼女を、宮はあえてこちらに向き直らせます。「ふたり変わらぬ同じ心で愛し立っているとばかり思っていたのに、あなたの心にはまだ隠しごとがあったんだね。それとも、昨日一晩で気持ちが変わってしまったのかい?」
「今の一言で、あなたの方こそ一晩で心が変わられたんだとわかりましたわ……」。中の君はそういって少し微笑みます。その様子の優しく愛らしいこと、この人に勝るものはない。それにしても見事なお返しです。
宮は自分の立場と身分が思うようにならないこと、将来は皇太子や帝位につくかもしれないが、その時は中の君に后の立場を与えたいことなどを伝えます。将来のことは今のところ可能性にしか過ぎないので、軽々しくは言えないが、と前置きした上での話です。
関係が近いからこそ思ったことがうまく言えない気まずさが凝縮された、身につまされる場面。しかしそう言いつつも、宮の心は六の君にも興味津々。夜になって新婦に逢いたいなあ、と言う気持ちも捨てていません。目の前の中の君を愛おしみながらもそんな事を考えていると、ちょうど六条院から手紙の使いが戻ってきました。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
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源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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