今回はメロンぱんちさんのブログ『どーか誰にも見つかりませんようにブログ』からご寄稿いただきました。
※元記事タイトルは「カストロとゲバラ~3」です。
カストロとゲバラ~(どーか誰にも見つかりませんようにブログ)
カストロ、モンカダ兵営を襲撃する
青年弁護士カストロがバチスタ大統領の告発状を出してみせたのは、キューバの1940年憲法第41条に「暴政に対しての反乱の権利の保証」が謳われていた為であった。弁護士でもあるカストロの告発に対して、キューバ憲法裁判所は何ともバツの悪い判断を導き出した。憲法裁判所は、「バチスタは革命という手段によって大統領になったのだから、そもそもからして憲法違反に問う事は出来ない」という混乱著しい判決を出した。それは、裏返してしまうと、革命の為なら暴力を用いても憲法違反にならないという意味合いにもなり、つまりは、フィデル・カストロのように革命思想の者に対しては、その暴力を用いての決起を正当化する口実を認めたようなものでもあった。
これは、革命を巡っての矛盾、その本質の話を孕んでいますよね。歴史を眺めれば、クーデターのようなものは実は正当化されている。日本の明治維新にしても事実関係からすれば、反体制派が現行体制に対しての武力蜂起が起こって、そのまま権力を奪取したのであり、つまりはクーデターだと言えばクーデターなんですよね。しかし、何となく、現代人は、それをクーデターではなく、英傑たちが「日本を洗濯をしてくれただけ」であるかのように捉えていたりする。「反乱分子は如何なる理由があっても許されるべきではなく、極刑を課すべし」と本気で考えているのであれば、それは、その人が体制側の人間であるか、もしくはダマされているかでしょう。
さて、フィデル・カストロは、その後、本格的に武装闘争を展開させ、モンカダ兵営を襲撃するという計画を立てる。政治家を狙うのでもなく、高級官僚を狙うのでもなく、はてまた資本家を狙って要人テロをするでもなく、企業に爆破テロを仕掛けるでもない。フィデル・カストロが選んだのは、軍隊、兵士が起居している兵営を襲撃するという破天荒な計画であった。この民衆蜂起によって組織されたゲリラ部隊が国家の管轄する軍隊に対して攻撃を仕掛けるという手法は、少なくともラテンアメリカ史上初の出来事となる。
1953年7月26日、カストロは準備に一年以上も費やし、自らがリーダーとなって150名の若者を率いて、モンカダ兵営襲撃を起こす。このモンカダ兵営襲撃事件こそが、キューバ革命の最初の一歩となる。
モンカダ兵営とは、つまりは兵舎であり、そこには1000名以上の陸軍部隊が駐屯していた。この7月26日というのはモンカダ兵営から程近い場所にあるサンチャゴ市、そのサンチャゴ名物のカーニバルの日程に合わせたものであるという。年に一度だけ行われるカーニバルであり、三日間行われるが、その中日(なかび)を決行日に選んだ。大勢の観光客で賑わうので、150名からなる決起部隊が人混みに紛れて移動するには都合が良いと考えた為であった。
モンカダ兵営は、ハバナから東に190キロほどの場所で、仮にハバナから増援部隊が派遣されたとしても丸一日はかかる位置にあり、襲撃に失敗した場合にはキューバ南東部にあるマエストラ山脈に逃げ込み、ゲリラ戦に持ち込めるという具合に戦略を立てていた。また、軍服は百着以上、武器は人数分を揃えていたが、それらは決起部隊のメンバーらがアルバイトをして稼いだものであったという。
このモンカダ兵営襲撃には、フィデル・カストロの実弟であるラウル・カストロ(現キューバのトップ)も参加したが大失敗に終わる。キューバ陸軍創立史上初となる戦死者、将校3名、兵士16名を出したものの、相手は軍隊であり、到底、150名程度の若者を集めて挑んだところで、戦果を挙げられるものではなかった。カストロ兄弟を含めて多くの者は逃げおおせたが、19名が軍に拘束され、その内の女性2名を除く17名は怒れるキューバ軍によって虐殺されたという。このときに虐殺された17名の中にはフィデル・カストロの親友であったアベル・サンタマリアが含まれている。
モンカダ兵営襲撃は、バチスタ大統領の怒りを買い、バチスタ統制下のキューバ軍は苛烈な反乱分子狩りを展開する。反乱軍を手助けしたりした者は老若男女を問わず射殺するという血の虐殺を展開した。(足掛け6年間で実に2万人が犠牲になったとされたという。)
事態を憂慮して、大主教が仲介に入り、サンチャゴ軍司令官に対して、反乱軍が降伏してきた場合には虐殺を辞めて裁判で裁くよう約束を取り付けるという事態になった。しかし、そんな約束が守られる保証はなく、実際に多くのキューバ軍兵士は「主謀者のカストロを発見した場合は即座に射殺しろ」という命令を受けていた。
ペドロ・サリア中尉の役割
キューバ革命の始まりはフィデル・カストロが150名の若者を引き連れて行なったモンカダ兵営襲撃事件であったが、そのモンカダ襲撃は大失敗と呼べる内容であった。その展開次第では、キューバ革命というものは、はじまりさえ無かったという歴史になっていてもおかしくない、そうした最悪の状況となった。
8月1日、モンカダ事件から6日後の朝、モンカダ兵営のパトロール隊長のペドロ・サリア中尉は17名の兵士を従えて、逃亡する反乱軍の捜索に出掛けた。このサリア中尉は当時53歳の黒人であった。どこの国にも差別問題というものは転がっており、キューバにあっても肌の色を考えた場合、サリア中尉は充分に出世した軍人であると言えた。
サリア中尉率いる捜索隊一行はトラックに乗って農場で降りて捜索を始めた。双眼鏡で辺りを見渡していると、三キロほど先にある山の中腹に一件の山小屋がある事に気付いた。サリア中尉は部下たちに山小屋を包囲するように指示し、自らも、その山小屋に向かう事にした。
包囲した山小屋内には、サリア中尉と数名の部下が一緒に立ち入ると、なんと、そこには反乱軍リーダーのフィデル・カストロと、他2名が疲れ果てて眠っていた。兵士らは巨躯のカストロの姿を視認し、即座に射殺しようとしたが、サリア中尉が、それを遮るようにして、その山小屋で寝ていた三人に名前を問い掛けた。
フィデル・カストロ以外の二人は正直に本名を答えた。そしてフィデル・カストロはというと、名前を問われて、
「ラファエル・ゴンサレス」
と偽称し、その難を乗り切ったという。何故なら、このとき、捜索隊の隊長であったサリア中尉はカストロに対して、小声で
「本当の名前を決して言ってはいけない」
と忠告した為であるという。
このペドロ・サリア中尉の逸話は、神話めいており、後から挿入された話のようにも聞こえるが、実話であるという。サリア中尉は、直感的に、主犯のフィデル・カストロを庇い、傍らの兵士によって射殺される事を防ぐために「本当の名前を決して言ってはいけない」とカストロに聴こえるように囁いたという。
キューバの人々は、この話が大変に好きで目を輝かせながら語るという。黒人のサリア中尉の咄嗟の判断が若き日のフィデル・カストロの絶体絶命のピンチを救ったという偶然――、その偶然にこそ、「神の采配」を見い出す為であるという。
【ペドロ・サリア中尉】という人物が、その時、その場所で捜索隊の隊長でなかったなら、キューバ革命の芽は消えていたかも知れない。となると、キリスト教ではない日本人の私にしても、こういう奇跡的な巡り合わせというものが【天の配剤】というものなのかな、と思う。
運命のような偶然。いや、偶然のような運命か。後から考えてみると、重大な役割、歴史的大役というものは、そこら辺の一個人だって、案外、無意識に背負わされたりしているのかもね。私には私の、あなたにはあなたの役割というものを全うすることに意義があるのかもなぁ。
参考:三好徹著『チェ・ゲバラ伝~増補版』(文春文庫)、オリバー・ストーン&ピーター・カズニック著「オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史」(ハヤカワ文庫)1~2巻、別冊宝島「独裁者カストロの素顔」(宝島社)ほか。
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執筆: この記事はメロンぱんちさんのブログ『どーか誰にも見つかりませんようにブログ』からご寄稿いただきました。
※元記事タイトルは「カストロとゲバラ~3」です。
寄稿いただいた記事は2019年2月25日時点のものです。
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