栄華の豪邸も様変わり!光が失せたその後の世界
光源氏が死んだ後、世界からはまるで火が消えたようになり、世間の人はもちろんのこと、妻子と孫、仕えた女房たちは限りない悲しみに包まれました。
源氏が築き、この世の楽園のように謳われた六条院も様変わりしました。以前から六条院を出たがっていた正妻・女三の宮は父・朱雀院の遺産の三条宮へ。
源氏の信頼厚く、常に穏やかで優しかった花散里は遺産として与えられた二条東院に移り、春の御殿で生まれ育った娘の明石の中宮(ちい姫)は宮中ぐらし。冬の御殿の主だった彼女の生母の明石の御方も付き添って宮仕えなので、六条院に住む人はぐっと減ってしまいました。
父が丹精こめて作り上げたこの美しい邸を荒れさせるのは忍びない。せめて自分がいる間はこの邸を守ろう!と夕霧は思い、妻のひとりとした落葉の宮を六条院の冬の御殿に住まわせます。
親友・柏木の未亡人だった落葉の宮と強引に結婚したために、正妻の雲居雁が子どもを分散して実家に帰ってしまったのも昔の話。今は「ふたりの妻の間を一晩置きに交互に通う」ことで折り合い、なんとか離婚の危機は脱しました。
二人の間の子どもたちも続々と成人し、すでに長女は皇太子妃、次女はその次の二の宮の正妻と、どんどんと結婚させています。それにしても、妻と過ごす時間をいやにきっちりわけているあたりが理屈屋の夕霧っぽいですね。
小野の山荘から一条邸に落葉の宮を連れてきた時は部屋に立てこもって大変でしたが、今は二人の仲も円満。夕霧は末娘の養母としても彼女を大切にしています。
紫の上が暮らした春の御殿の新しい主になったのは、彼女が養育した女一の宮。かわいがってくれた祖母を偲んで、部屋の飾りもそのままに、朝夕紫の上を懐かしんで暮らしています。寝殿を時折の休憩所として使うのは、今上帝の二の宮。幼い三の宮と一緒に、源氏と夕霧に抱っこをせがんでいた皇子です。現在は第一皇子が皇太子になっていますが、しっかりした性格が信頼を集め、その次の東宮候補として名前が挙がっています。
そして紫の上が格別にかわいがり、最晩年の源氏の遊び相手になった可愛い三の宮は、今は兵部卿宮と呼ばれていました。
あんなに可愛かったのに……成人した孫の残念な実態
兵部卿宮は祖母の紫の上に「宮が大人になったらこの二条院に住んでね。特に梅と桜の季節は花を見て楽しんでね」と言われたとおり、二条院を自邸として暮らしています。幼い頃のヤンチャで愛嬌ある性格はそのままに、祖父の源氏にも似た華麗な美貌の皇子です。
両親の帝と中宮も大変可愛がり、世間の人も何かと注目しているので宮中ぐらしをするように勧めているのですが、堅苦しいのが嫌いな彼は、二条院での暮らしが好みの様子。娘のいる貴族たちはもとより、夕霧も宮に娘を娶ってもらいたいと思っていますが、本人はお見合い結婚なんかまっぴらだと取り合いません。
実はこの宮は無類の女好きで、気に入った女はゲットしないと気がすまず、たとえ女房クラスでも実家まで追いかけていって想いを遂げ、飽きたらすぐに姉の女一宮の女房に追いやってポイ捨て、というかなり残念な男でもあります。
祖父の源氏は宮中の女房たちがどんなに美人でも見向きもせず、より困難な恋、面倒くさい相手を追い求めて苦労し、一度関わった女は見捨てないという情に篤いところがありました。
が、こちらは女と見ればあたりかまわず、ヤリ逃げヤリ捨ては当たり前。胸をかきむしられる葛藤や、重苦しい情念故に恋をするのではなく、ただ下半身に正直に生きているチャラ男です。おばあちゃんが聞いたら泣くよ!
政治に関わるわけでもなく、ただ二条院で女と風流にかまけて暮らしている彼のとっておきの趣味は香合わせ。庭に植える植物も見た目よりも香り重視で、春は梅、秋は菊、フジバカマ、ワレモコウといった匂いの強い植物を植えて鑑賞する他、自分でもオリジナルブレンドを開発してはいつも強く焚きしめています。
そのため、人びとは彼を「匂(におう)宮」と呼ぶようになりました。匂うは臭うと違ってポジティブな意味合いですが、側にいただけで匂いが移ってしまう、宮仕えの女房なんかがつけていてはいけないくらいのキツさなので、今でいうとスメハラ気味?いい匂いもほどほどにお願いしたいですね~。
作者は「このように放縦で、世間の人は宮を軽薄だと思っていた。光源氏はどれか一つのことに肩入れして異様に熱中するということはなかった」と注を入れていますが、匂宮がこれほどまでに匂いにこだわるのはある理由がありました。
生まれつきいい匂い! 特異体質の次男坊
匂宮がやたらに匂いを焚きしめてまで対抗したい相手、それは女三の宮が産んだ薫です。年も近く、兄弟のように六条院で育った2人は、成人しても大の仲良しで、最大のライバルでもありました。かつての源氏と頭の中将、夕霧と柏木同様の構図です。
源氏の晩年に次男坊として生まれた薫は、匂宮とは対照的に物静かな性格。若いのに浮ついたところは微塵もない、妙にどっしり落ち着いた青年です。
顔立ちも具体的にどこがどうイケメン、というわけではないのですが、なんとも優雅で気高くて、ちょっとミステリアスな感じもし、なにかこの世のものでないものが人の姿を借りてやってきたのではないかと思わせる、神秘的な雰囲気がありました。
おまけに生まれつき良い香りがするという特異体質で、人びとは姿が見えなくても、その香りで「薫が来た!」と察することができました。おかげで薫は、生まれてこの方お香を焚きしめていい匂いをつける、ということをほとんどしたことがありません。
この不思議な香りはお香だけでなく、花の香りとも調和し、それぞれの匂いをより引き立ててしまうというすごい効果も。匂宮が人為的なお香のブレンドに躍起になったのは、この特異体質に対抗したかったからです。しかし、その特異な体臭のせいで隠れていてもすぐバレる、というマイナス面も持っています。
晩年の源氏が「遅くに生まれてあわれな子だ、成人するのも見届けてやれない」と将来を頼んだのもあって、薫は帝や中宮、兄の夕霧、そして冷泉院にもたいそうかわいがられて育ちました。が、彼の心には一点、誰にも言えない悩みがありました。
「本当の父親は誰?」誰にも聞けない出生の秘密
それは薫がまだ子供の頃に小耳に挟んだ「あの子は光源氏の子ではない」というウワサでした。かすかに聞いたその話がいつまでも心に引っかかり、真相を知りたいと思いつつ誰に聞けばいいのかもわからない。
母の女三の宮は決められた通りの日課を過ごし、年に何度かの法事を行う以外は特にすることもなく、相変わらずおっとりしています。薫が成人してからは逆に、息子を親のように頼りにしているくらいです。
薫の目から見ても、うら若い母がなぜ出家したのかは不可解でした。道心篤いというならまだしも、僧侶としての修行が進んでいるふうにはどうにも見えない。
母上には若い身空でどうしても出家せざるを得ないような、何かとてもつらい出来事があったのだ。でもその詳細を話してくれる人はだれもいない。それはどうしても隠しておかなくてはならない事情であるに違いない。そう思うと、「僕の本当のお父さんって誰なの?」なんてとても聞けません。
自分が出生について疑問を持っていると気取られてはいけない。でもどうして自分は生まれてきたのか、ウワサ話の端に出てきた『柏木』という人の名前も気になります。もしかすると僕の父親はその人なのではないか。そう考えだすと止まらなくなり、薫は次第に自分の内側にこもるようになります。
いっそ僧侶になって世を捨ててしまえば、若くして亡くなった柏木という人にも来世で会えるのではないかと思い、薫は元服するのすらイヤでした。
誰にも言えない出生の秘密を抱え、俗世の人間であることを今すぐにでもやめたい青年貴公子、薫。しかし源氏の晩年に生まれた次男坊で、母は高貴な女三の宮という血筋はそんな勝手を許しません。
愛されキャラなのに無責任?貴公子の表と裏の顔
在位中、子に恵まれなかった冷泉院はその後、弘徽殿女御(頭の中将の長女)との間に皇女が生まれたものの、男の子には恵まれなかったため、薫を特に大切にしました。冷泉院は実は源氏の子、薫を我が弟とも思っての配慮でしょう(でも皮肉なことに、薫は源氏の子ではないのですが……)。源氏の養女で正妻格の秋好中宮も子がないために薫を頼りにし、元服式などもすべて冷泉院の御所で行わせたほどです。
その寵愛ぶりはちょっと異常なほどで、御所の近くにわざわざ”薫専用ルーム”を作り、中でも特に器量もよく優秀な女房たちを特別に仕えさせ、冷泉院のバックアップで異例のスピード出世も遂げさせます。そのあまりの特別扱いに「どうしてそこまでするの?」と思われるほど。夕霧があれだけガリ勉させられてたのってなんだったんだろう?
若くして地位も名声も手に入れ、更には不思議な魅力で誰からも愛されキャラの薫は、帝と中宮からも、母親の女三の宮からも、兄弟同然の宮たちからもいつもお声がかかり、もうひっぱりだこ。自身も「体がもう一つほしい」と嘆くほどの忙しさです。
しかし周りから特別扱いされ、大事にされればされるほど、薫の心は暗く沈み、世のすべてが虚しいものに思えてきます。その厭世観は恋愛にも及び、「結婚なんてしたら出家がしにくくなるだけだ」と結婚願望ゼロ。結婚話に発展しそうなきちんとした家の令嬢とはまったく付き合おうとしません。それでもまったく草食系というわけでもないのが薫の面白いところ。
その不思議な体臭が性フェロモンとしての機能を果たすのか、薫には女性が寄り付いてくるのです。匂宮は自分で追いたいタイプですが、受け身な薫は気の向くままに女房たちと関係を持ちます。別に心から好きというわけでもなく、はっきり別れるでもないので、なんとなく中途半端な愛人たちがあちらこちらにちらほら。
匂宮が飽きて捨てた愛人たちを姉宮の女房に送り込んだのとは違い、薫のお手つきになった女たちはモヤモヤしつつ自然発生的に母宮の女三の宮の所へ集まり、「万が一、薫が来てくれた時に自分を思い出してくれたら」と一縷の望みをかけているというのです。
すっかり捨てられるよりはまだ希望のあるほうがいい、逢えば薫はとても優しいので、こんな惨めな境遇になっても女の側はつい許してしまう……らしいのですが、なんだか無責任だなあという気がします。夕霧の不器用さともちょっと違う、受け身な恋愛ゆえの問題という感じでしょうか。
ポイ捨ての匂宮もイヤですが、変に期待をもたせるあたり薫は罪が重い。そのくせ出家したいんだからタチが悪いですね。そういう意味でも、源氏が愛人女房たちも含めて、関係した女性たちのアフターフォローをしっかりしていたことは改めて貴重だったんだな、と思います。グッジョブ!
結局は過大評価?源氏の七光の残照
源氏の外向的で明るい部分を集めたような匂宮と、反対に内向的で悩ましい面を煮詰めたような性格の薫。(表向きは)源氏の息子と孫として世間を賑わす2大貴公子ですが、光源氏の輝きをそのまま伝えている人はいないと作者は記します。
世間がふたりをもてはやすのは、光源氏の七光も手伝ってのことであって、その思い込みから過大評価されているのに過ぎないというのです。確かに普通の人に比べれば立派で優雅かも知れないが、それは光源氏に及ぶべくもない。
宮の香に対する異常な執心やふたりの女性に対する態度などもディスり気味に紹介してあるのも、オールマイティな源氏に比べてのこと。とはいえ、源氏がそれほど品行方正だったかと言われるとそうでもないのですが……。
そして忘れてはいけないのが、明石の上の存在です。六条院には女一宮と二の宮、二条院には三の宮(匂宮)が住んでいて、源氏の輝かしい遺産である邸宅はみんな明石の上の孫たちのもの(!)と言ってもいいくらい。
当の本人もまだまだ現役で、今は孫たちの後見人としてバリバリ活躍しています。まさにサクセスストーリー、なんという強運なお方でしょう。彼女が健在なのを見るにつけ、夕霧は「紫の上がこんなふうにお元気でいらしたら、僕はどんなことをしても誠心誠意お仕えしたのに」と、物足らなく思うのでした。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか
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