「見たことのある字」妻への恋文の送り主は…
久々に帰った六条院で懐妊した正妻・女三の宮に引き止められ、そのまま連泊してしまった源氏。それでも二条院の紫の上が気がかりでよく眠れないまま一晩を過ごし、朝早くに帰ろうとします。
「昨日の扇子はどこにやったかな。これでは風がぬるい」。源氏は愛用の扇子を探して室内をウロウロ。すると昨日、宮とゴロゴロしていた居間の敷物の端がヨレています。
見てみると、そこにはきれいな浅緑色の手紙が。良い香りが焚きしめてあり、どうやらラブレターのようです。「どこかで見たことある字だ……」何気なく読み進めるうち、源氏は送り主が誰か思い当たりました。
朝の支度を手伝う女房たちは、源氏が真剣に手紙に見入っているのを「何か大事な御用のお手紙なのだろう」くらいにしか思っていません。ところが、そこへ通りかかった小侍従は息が止まりそうになります。
「あのお手紙の色!昨日、柏木さまが送ってきたお手紙と同じ!!まさかそんな……」。小侍従は必死で不安を打ち消しながら、宮の帳台(ベッド)へ。宮はまだ眠っていました。
「昨日のお手紙はどうなさいました?先ほど殿が、よく似た色のお手紙をご覧になっていましたけど」。宮はハッと仰天し、言葉もなくポロポロと涙を流します。
「もうこれだからこの人は!」と、小侍従はイライラをつのらせ「だから、お手紙はどうなさったの?ちゃんとお隠しになったんですよね?」「ううん、違うの。読もうと思ったら殿がいらしたので、とっさに敷物の下に入れたの……」。
そんなところに隠すなんて、呆れてものが言えない。念のため例の敷物の下を捜索しますが、もちろん影も形もありません。
まだ始まって何ヶ月も経たない関係だというのに、事もあろうに一番バレてはいけない人に手紙を見られてしまった。それもこれも姿を見られたり、手紙の扱いをしっかりしない、宮の脇の甘さが招いた不祥事だと、小侍従は自分が一枚も二枚も噛んでいるのも忘れてズケズケと言い募ります。
「まったくもうあなた様ときたら…柏木様も発覚を死ぬほど恐れていらっしゃるのに!ああ、どうしてこんなことになったんでしょうね。誰にとっても不幸なことですわ」。頼りない妹を叱るお姉さんのような小侍従の焦れったさが爆発! それにしても乳姉妹とはいえ、口の減らない女房です。
宮は返す言葉もなく、よよと泣き伏し、後悔に打ちひしがれるのみ。何も知らない女房らは「放って置かれてお気の毒」「こんなにお苦しそうなのに」「紫の上はずいぶん良くなったらしいのに」と、源氏に文句を言っていました。
「今どきの若者は」ちょっとズレてるツッコミどころ
源氏は手紙を二条院でも繰り返し読んでいました。どう見てもこれは柏木の字です。
その事がまだ信じられず「宮の女房の中に柏木そっくりの字を書くものがいるんじゃないか」とすら思いますが、言葉遣いは男のもので、本人にしかわからないことが細々と書いてあります。何よりも決定的だったのは、はっきりと相手と自分を特定できる内容であることです。
ただの恋文として読むなら、積年の恋が叶った喜びと叶った後の逢えない切なさが見事に表現されていて、読むものの胸を打つ文章です。しかし過去にいろいろ秘密のラブレターを書き送った源氏先生とは、最近の若者の詰めの甘さが目につきます。
「こういった手紙はいつどこで人目に触れるかわからない。そのリスクを避ける意味でもできるだけぼかし、細かいところは省略して秘密を守るべきなのに」。まったく、リスクマネージメントがなっていない! 今どきの若者はラブレターの書き方も知らんのか! ……ちょっとポイントがずれている気もしますが、柏木はそれほどくっきり書いていたのでしょう。
「それにしても拾ったのが私で良かった。噂好きの女房の口から世間に知れたらと思うとゾッとする。柏木ともあろう優秀な若者が、迂闊な真似をしたものだ。さて、今後、宮とどう接していけばいいだろう……」。
宮の振る舞いには前々から懸念があり、何かやらかすのではと思っていましたが、それが現実のものとなり、あろうことか妊娠まで。息子同然にかわいがっていた若者に、いつの間にか妻を寝取られていたとは、なんとも情けない限りです。
大して好きでない女でも、他の男に走ったら不愉快だと思うのが人情。ましてや宮は(お飾りとは言え)押しも押されもせぬ正妻として、また半分娘を育てるようにして丁重に扱ってきた存在なのに……。
正妻の密通に悩む源氏が最後に思い至ったのは、自分の若き日の過ちでした。もしかしたら父上は私と藤壺の宮のことをご存知で、最後まで知らないふりを通していらしたのだろうか?
父と同じ立場に立たされて初めて、かつての恋の罪深さを思い知らされた源氏。彼に柏木を責める資格はないのです。因果応報の恐ろしさを、源氏は宮の裏切りに痛感していました。
愛妻の気遣いも空しく…忖度ばかりの薄情夫
平静を装いつつどこか陰鬱な様子の源氏を見て、察しのいい紫の上は「こっちに戻ってきてくれたけど、本当は宮が心配なのだろう」と感じ、「私はだいぶ元気になりました。宮さまの方がお加減が悪いのに、こんなに早く戻られてはお気の毒です」とフォローします。
「ああ、多少気分が悪そうだったけどね。悪阻は病気じゃないし、大したことはないと思って。帝も朱雀院もとにかくご心配なさって、いつもいつもお手紙が来る。今日も来たらしいよ。だからその手前、お見舞いにいっただけだ」。妊娠の原因を知ったとはいえ、さすがにこうまであからさまに世間体の配慮だけだと言い切っていいのか?……という感じです。
紫の上はなおも「でも、お二方へのご配慮よりも、宮さまご自身が辛い思いをされることこそお気の毒でしょう。周囲には私を悪く言う者もいるはずですわ」。
源氏は苦笑して自虐気味に「あなたはうるさい親兄弟のいない代わりにいろいろと気がつく人だね。我ながら帝や朱雀院へ忖度してばかりの私は、まったく薄情な夫だ。ともかく六条院には一緒に帰ろうね」。
しかし紫の上は「先にお戻りになって。私はこっちでしばらくゆっくりしたいの。宮さまのご気分が良くなった頃には戻りますから」。
10歳の時に連れてこられてから長く暮らした二条院は、紫の上の心のふるさと。少し元気になったところで、もうちょっとゆっくりしたいと思うのも納得です。それに彼女としては、源氏のいない一人の時間も持ちたいのかも……。
しかし、事の次第を知った源氏にとっては帝や朱雀院への配慮すら煩わしく、当の宮を疎ましく思う気持ちでいっぱいです。それを紫の上は知りません。
密通発覚!「俺の人生は詰んだ」で引きこもり
手紙の件以降、宮は悪阻と心労でますますぐったりし、ろくに食事も摂れません。今までは源氏のほったらかしを「ひどい」と思った事もありましたが、こうなった以上源氏が来ないのは当然だとも思い、万が一もしお父様(朱雀院)のお耳に入ったらどうしようと、怯えきっています。
柏木はしつこく逢いたい逢いたいと言っていましたが、小侍従から事情を聞いて絶句。こういう秘密はいつかバレるものとは聞いているが、まさかこんなにあっさり露見するなんてと、暑い時期なのに身も心も凍りそうです。
子供の頃から限りなく世話になり、可愛がって下さった人を裏切ってしまった。しょっちゅう遊びに行っていた六条院にももう行けない。でもあれだけ頻繁に出入りしていた六条院にパッタリ行かなくなったら、それはそれで怪しいだろうし……。
こんな状況でも世間体をあれこれ気にするのが日本人らしいなと思いますが、とにもかくにももう終わった、俺の人生は詰んだと、柏木は仕事にも行かず引きこもってしまいます。
「そもそも道を踏み外したのは、あの猫の一件からだ……でも冷静に考えてみれば、宮さまともあろうお方が、あんなハプニングでお姿が見られるようなことがあってはならないはず。夕霧もそのあたりを見下げていたようだった」。
柏木は今更ながら宮の軽率さを思い返すものの、それで愛しい気持ちが消えてしまうわけでもなく、こうなっても宮への恋しさは募る一方です。
「ああ、宮は世間知らずなあまり、自分の女房がどんな危険をもたらすかもご存じなかったのだ。私のせいでなんとおいたわしい。お気の毒な宮……」。あばたもえくぼといいますが、柏木は宮を悪く思うことがどうしてもできません。
とうとう源氏の知るところとなった2人の密通。宮も柏木も、源氏の怒りとその制裁を震えながら待つばかりです。小侍従の言う通り、一体どこでどう運命が狂い始めたのか……誰にとっても不幸でしかない恋は、ますます悲惨な方向へと転がり落ちていきます。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか
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