キレッキレ!毒舌女房の口撃にタジタジ
紫の上の発病で源氏は二条院に詰めたきり。人少なになった六条院に取り残された正妻・女三の宮はすっかり忘れ去られた存在です。長年、彼女への片思いをこじらせている柏木は、これはチャンスと、宮の女房・小侍従を呼び出します。
「お前という便利な手づるがあるのに、まったく進展しないのが辛い。朱雀院も三の宮の結婚は後悔が多い。逆に柏木と結婚した二の宮のほうが幸せかもしれないなんて仰って。
そんなことなら僕に決めてくれたら良かったのに。血のつながった姉妹とはいえ、二の宮さまはやっぱ別人なんだよな」。
愚痴をこぼす柏木に小侍従は「なんて恐れ多い。二の宮さまとご結婚されながら、まだそんなことを?今更どうしようって仰るの」。話題は7年前の結婚話にもどります。
「あの時は僕の名前も候補に入れてもらったみたいだったけど、なんせ若すぎたから。もう一歩だったよな」「そうかしら。源氏の君が候補にいる限り、誰も太刀打ちなんて出来なかったと思いますけど。今でこそ、お宅もご出世なさいましたが」。
何を言ってもズケズケと、遠慮なく返してくる小侍従の口撃に柏木もタジタジです。主人の女三の宮がぼんやりさんだからなのか、小侍従のキレッキレのツッコミは他の女房たちの追随を許しません。
「過ぎたことはもういい。問題は今だよ。六条院に人がいない今は絶好の機会だと思うんだ!どうか宮さまに直接お話するチャンスをくれ。ただこの気持ちをお伝えする……本当にそれだけでいいんだ。なあ頼むよ」。
無茶ぶりをしてくる柏木に小侍従は猛反発。「ただそれだけって、それ以上のことがあってたまるもんですか!!ああ、どうしてこちらに伺ったのかしら」。
柏木は怒って帰ろうとする彼女に持論をぶつけます。「そこまで言うことないだろう。帝の后妃であっても不倫スキャンダルを起こした例はある。まして、宮は六条院の飾りものの正妻だ。お前はそれをお気の毒だとは思わないのか?
朱雀院最愛の皇女さまが、六条院では他の女性たちの下で薄情なお扱い。なんておかわいそうなんだろう!でも、運命がどう転がるかはわからない。一方的なことを言うなよ」。
柏木は、もし紫の上に万が一のことがあった場合、源氏は出家するだろうから、そのあと宮をいただこうなどと『取らぬ狸の皮算用』もしています。が、自分の思い込みに終止するあまり、彼女をディスっていることに気が付きません。
「だからって、今更あなたとどうなればいいって言うんです?それに殿は宮様の保護者代わり、最初から普通のご夫婦ではないんです。お二人ともそのおつもりですから、ケチを付けられるいわれはありませんよ」。
ますます怒った小侍従に、柏木は「絶対におかしな真似はしない!ただ物越しにお話するだけでいい」と粘り、あらゆる神仏に壮大な誓いを立てて頼み込みます。「何もしない」というのはまったく信用できないワードですが、源氏も何度もそう言ってきましたよね、デジャヴ。
「わかりましたよ。もしチャンスがありそうならご連絡します」。小侍従は仕方なくこう言って柏木の元を去りました。
恋愛脳の女房が引き起こした「やってはいけないこと」
一旦引き上げてきたものの、小侍従の心は揺れていました。密会のセッティングをするなど絶対にあってはならないとわかってはいる。でも、長年宮への愛を訴えてきた柏木に感化されるところもあって、なんとかしたい気もします。
しかし源氏の留守とは言え、宮の周りにはいつも女房たちがぎっしり。柏木が忍び込めるような隙はなさそうです。が、彼女の困惑をよそに、柏木は連日「今日はどうか」「今日は」と執拗な催促を繰り返します。
季節は初夏、いよいよ葵祭が迫る中、そのお手伝いに身分の高い女房らが派遣され、それより下の女房たちは、お祭り見物で着る衣を縫ったり、お化粧の用意をしたりと浮足立ってバタバタ。いつになく宮の周りはひっそりとしています。
また、いつもは帳台(ベッド)の側近くにいる按察使(あぜち)の君という女房も、彼氏に呼び出されて不在。いるのは小侍従のみです。彼女はついに柏木に連絡します。
柏木は喜び勇んでやってきました。この行動自体が大きな間違いとはわかっていますが「宮にこの想いを告白し、一言でもお返事がもらえればそれだけで」と思いつめ、後先のことは全く考えていません。
あろうことか、小侍従は柏木を宮の帳台のすぐ下に案内しました。物越しどころか至近距離です。このはからいについては「果たしてそうまですべきことだろうか」と地の文でもツッコミが入っています。柏木自身も一応、話だけでいいと言っているわけですしね。
派手で遊び好きでだらしない宮の女房たち、そしてしっかりしているように見えて、実は結構恋愛脳な小侍従。彼女の同情心とおせっかいがこのような行動を取らせたと言えるかもしれません。しかし、それはどう考えてもやってはいけない事でした。
「見知らぬ男が私を」恐怖で冷や汗!お姫様の大ピンチ
宮は何も知らずによく眠っていましたが、何やら男性が来た気配に「殿が来たのかしら?」と勘違い。ところがその男は、自分をベッドから抱きおろそうとするではありませんか!
びっくりして目を見開くと、それは夫ではない知らない男。しかもわけのわからない話をくどくどと語り続けています。まるで悪夢の中で魔物に襲われているようで、怖くてたまらない!必死に声を上げたものの、誰一人駆けつけるものはありません。
恐怖のあまり冷汗を流し、ガタガタと震える宮。事態が飲み込めずにいる彼女に、柏木は愛の告白を続けます。「どうかそんなに嫌わないでください。私は長い年月、あなたをお慕い申し上げている男。過去には恐れ多くも結婚を申し込んだ者です。
あなたとの結婚が叶わず、どうにか諦めよう忘れよう、と思ってきましたが、その想いは薄れるどころか深まるばかり……とうとう抑えきれなくなって、こうして来てしまいました。どうか非礼をお許しください。決してこれ以上のことは致しません」
宮はこの言葉からようやく男が柏木であることを理解します。でも恐怖が薄れるわけもなく、「なんてことするの、ひどい人」と思って返事もしません。
「お怒りはごもっともです。でもどうか一言、ただ“哀れな奴め”とだけでも仰って下さいませんか。そのお言葉を胸に、私は退散いたしましょう」。
何を言ってもただ少女のように怯えているばかりの宮。彼は近くによったらビシッとはねつけられそうな高貴なお姫様をイメージしていたのですが、実際の宮はふわふわなよなよと頼りなく、近寄りがたい感じはゼロです。
むしろ撫でて可愛がりたいようないとおしさがあり、この上なく上品で可愛い。「宮さまというのは、もっと近づきがたい威厳があって、ご立派な方だとばかり思っていたのに。なんだフツーに可愛い女の子じゃないか……」。
彼女の汗で湿った柔らかい肌を抱きしめているうちに、柏木はムラムラしてしまい「もうこの人を連れてどこか遠くに逃げ隠れ、ふたりだけで暮らしたい!!」と、激情に身を任せてしまいます。あーあ。
いわくありげな夢…一言を巡る男女の攻防
思いを遂げたあと、少しうとうとした柏木の耳に、あの例の猫が可愛く鳴く声が聞こえます。二人の出会いの緒を作ってくれたあの猫を宮にお返ししよう、と思ったところで目が覚めました。
「今の夢は一体……」と思う彼の隣で、宮はしくしく泣いていました。柏木は「これも前世からのご縁だと思って下さい。私自身、魔が差したようです」と、夢に出た猫が御簾を巻き上げた春の日を回想します。
宮は「ああ、そのせいでこんなことに」と運命を呪い、もう殿のお顔も見られないと、子供のように泣くばかり。自分のせいで嘆き悲しむ宮の涙を拭いながら、柏木は恐れ多くも愛おしくも思います。
次第に夜が明けていきますが、柏木は帰る気がしない。辛い後朝の別れに、こなければよかったと思うほどです。「私のことをお恨みですね。もうこれきりだと思って、どうか一言だけでも……」。なんと、この間に宮は一言も喋っていなかった!
しかしどう声をかけても宮はものを言いません。柏木も音を上げて「なんだか気味が悪くなってきました。こんなことってあるのでしょうか」。いや、勝手に押し入っておきながら、お前が言うなよ!
柏木は宮を抱き上げて、自分が昨日入ってきた戸口のあたりまで連れて行きます。明け方の薄明かりのなかで、宮のお顔を拝見しようという魂胆です。
「ああ、もう気が変になりそうだ。ここまで嫌われたらもう死んだほうがマシですね。あなたに嫌われて、生きている意味なんかありません。でももし、ほんの少しでも気の毒だと思ってくださるのなら、どうか一言お言葉をください」。
それでも宮はダンマリを決め込んでいます。そも、いきなり寝込みを襲った男に「かわいそう」なんて声を掛ける女がどこにいるのか、という感じですが……。この間にもどんどん空は明るくなり、さすがにもう限界です。
「実は気になる夢を見ました。その事も詳しくお話したいのですが今日はもうこれで。帰る先もわからない朝に、一体どこの露が袖にかかって濡れるのか」。
彼女の涙を拭って濡れた袖を見せて言うのに、宮もやっと帰ってくれるのかとほっとして「夜明けの空に私も消えてしまいたい。何もかも夢だったらいいのに」とようやく言葉を発します。
その声を背中で聞いた柏木も、切なさに魂だけが体を抜け出て、あとに残るような気がしました。
「どこにも喜びがない」悲しい2人の恋路
こうして源氏の正妻・女三の宮と柏木が通じてしまいました。しかしその有様は今まで登場したカップルとはまた様相が違います。
まず、二人の接点と気持ちです。源氏と藤壺のケースでは、2人が一緒に過ごした時間があり、源氏は幼い日の憧れが恋心に変わってのこと。また藤壺の方も源氏を憎からず思っており、2人は両思いであったと言えます。
対して柏木と三の宮は、まったく彼の一方的な片思いで、接点と言えば猫が御簾を巻き上げたあの事件のみ。柏木は猫まで手に入れて宮を想い続けましたが、彼女の方はなんの意識もしていませんでした。
そのあたりの齟齬がよく出ていたのが、この一夜における“一言”の重みです。柏木は一方的に自分がどれだけ宮を想ってきたかをとうとうと語り続け、彼女から言葉を引き出そうと躍起になります。彼としては長い間、宮を愛し続けた労いの言葉がどうしても一言欲しかったというところでしょう。
一方、宮はひたすらに沈黙を守ります。これも前半は恐怖と混乱、事後は傷つけられた悔しさと怒りという印象です。しかし皮肉なことに、宮が頑なに無言を貫いたために柏木が事に及んでしまったのも事実。初動の一言の有無や、その内容が機転の効いた内容であったなら、その後の柏木の行動も変わった可能性は大いにありそうです。
また、いきなり髭黒に襲われた玉鬘の嘆きも悲痛なものでしたが、あの時の髭黒には少なくとも「意中の女を手に入れた!手引きした女房にも石山の観音様にも伏し拝んでお礼を言いたい!!」という、破裂せんばかりの喜びがありました。
しかし今回の柏木にはそういった喜びはまったくなく、むしろ「魔が差して行為に及んでしまった」後悔と、隣で泣き沈む宮への申し訳なさ、そしてこうまで嫌われるならもう死んだほうがいいんじゃないか、という暗い真面目さすらあります。彼の言動は恋に手慣れた父世代の口説き文句とも違い、真剣に思いつめまくっているからこそ、逆に怖いのです。
長年の愛執が実ったものの、通い合わず、喜びというものが存在しない柏木と女三の宮。恋人たちの別れを美しく演出するはずの夜明け空さえも、何だか救いのないものに感じてしまいます。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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