地方から東京に移り住んで、アイドルとして活動する女の子たちの東京やふるさとに対する思いや日常をうかがう「アイドル上京ものがたり」。今回のインタビューは沖縄のアイドルグループ・RYUKYU IDOLに所属する“もかろん”こと須崎萌花さん。最近ではミスiD2018ファイナリストにも選ばれるなどソロ活動も積極的な彼女、現在は東京で生活しながら定期的に沖縄に帰ってはライブやレッスンに参加している。もともと高校時代にRYUKYU IDOLのデビューから参加、脱退した後に東京でアイドルグループ・PIP(Platonics Idol Platform。既解散)に加入。そこから卒業後、再びRYUKYU IDOLに所属という珍しい経歴を持っている。
『前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48』(ちくま新書)などの著作を持つ熱烈なAKB48オタクの社会学者・批評家の濱野智史さんが総合プロデュースということでデビューから話題になったPIP。その所属当時の裏話もうかがいつつ、東京にいながら沖縄のアイドルに所属することを選んだ決意を振り返ってもらった。
中学時代は「東京戻りたい」しかなかった
--須崎さんって沖縄に住んでる時は、東京に対する憧れってありました?
須崎 わたし、もともと小学校まで東京に住んでたんです。
--え、そうなんですか? てっきり沖縄出身だと思ってました。
須崎 いちおう生まれは沖縄なんですけど、保育園のころから東京で。それで中1の1学期まで東京にいたんですけど、親の離婚で超いきなり沖縄に引っ越しすることになって。お母さん側のおばあちゃんちに逃げ込む形だったんですけど、その頃は沖縄が本当にイヤで。
--友達のいる東京から沖縄に急に引っ越しするとなったら、好きにはなれないのは仕方ないですよね。
須崎 小学校の夏休みとかに遊びに行ってた時期は好きだったんですけど。沖縄の離島で、毎日プール行って、おばあちゃんの畑手伝ったりして。夏休みになったら帰れるって感じで楽しみにしてました。
--東京のお住まいは都会の方でした?
須崎 都会の方だったと思います。杉並区だったんですけど。でも、周りの子よりかは田舎っぽい子供だったと思います。渋谷とか新宿とかもあんまり行った記憶ないんですよね。地元しか知らなかったです。小学生でもギャルっぽい子っているんですけど、そういう感じじゃなかったですね。普通に公園で遊ぶような、そんな子供でした。
--中1での引っ越しってのは、本格的に沖縄に住むのは初だったんですか?
須崎 いや、それがお母さんが妹を「どうしても沖縄出身にしたい」って言いだして、1年だけ沖縄に帰ってた時期があったんですよ。その時わたしも連れて行かれて、小学校には一度入ってるんです。だから同じ学年の子は30人くらいは知ってました。
--子供をアメリカ国籍にしたい親みたいですね。じゃあまったく知らない土地や人でもないと。
須崎 だから、戻ってきたっていうか、完全な転校生じゃなかった。(学年の)半分くらいは知り合いだったと思います。
--じゃあ転校生といっても受け入れてくれやすい状況ですよね。
須崎 そうなんです。でもその時は、自分の中では「東京戻りたい」しかなかったですね。いきなりの変化だし、学校ももう世界が狭いというか、もう雰囲気が出来上がってて体育会系が仕切ってるとかそういう感じなんで。
--ヤンキー的な社会が。もう小学校の時みたいな無邪気な雰囲気じゃない。
須崎 そうですそうです。わたしはそれがもうイヤで「そういう人とは友達になりたくない!」って思ってましたね。いろいろと感情がおかしかったと思います(苦笑)。それでずっとひとりでいることを選んでましたね。
--中高6年間沖縄にいたわけですけど、そこからひとりの世界ですか?
須崎 中学校の間はずっっとヤでしたね……。で、高校で本島の方に出てきて、そしたら若干世界も広がったんですけど。高校も沖縄の中では進学校に入ったから、周りの子たちもちゃんとしてるし、やっと友達的な子が出来て。だから高校は本当に楽しかったんです。ただ中学校時代を振り返ってみると、小学校まではどっちかというとわんぱくっぽかったんです。中学校で一度おとなしくなったことで、自分の性格もいい方向に転がったかなって(笑)。
--バランスがとれたと(笑)。
須崎 小学校のまま行ってたら怖かったんです。グレちゃってたかどうなってたか……。そこで一度根暗になって良かったかなって今は思います。あとから思うと必要だったなって。本当に中学で人格が形成されました。
--「根暗」とか「ひとり」とか言葉出てますけど、もうぜんぜん周りと話さなかったんですか。
須崎 そうですね。もう周りとは話したくないから話さない。
--趣味とか感性が合わない。
須崎 うん、まわりはレゲエとかヒップホップとか聴いてる人ばかりで。
--もう文化が合わないと。須崎さんはその頃はもうアイドル好きだったんですか?
須崎 保育園のときはモー娘。とか好きだったんですけど、小学校で一旦アイドル離れて。それから中学校の時に知り合った子がAKB好きで。最初は馬鹿にしてたんですけど(笑)、どんどん興味持ってハマっていって。
--中学時代の数少ない友達に教えられたんですね。
須崎 アイドルは……その時に出会って救われた面があると思います。
--時期でいえばいつ頃ですか?
須崎 『涙サプライズ!』(2009年)でハマりましたね。
--AKB48がガーッと勢いよく上がってきた時期ですね。情報はテレビ中心ですか? 住んでた島はテレビ3局しか見れなかったそうですけど。
須崎 もうネットですね、パソコンで。
--じゃあ2ちゃんとか見たりとか。
須崎 そうですね(笑)。
--田舎って情報がないから飢えますよね。それでネットとかむちゃくちゃ見ちゃう。
須崎 パソコンにずっと向かってました。
--地方って街に彩りがないじゃないですか、東京に比べたら。
須崎 うんうん、街に繰り出しても……。
--東京はいらないものも含めて彩りがすごい。
須崎 今は逆にそれがイヤなんですけどね。
--そういう光景に慣れてからの島暮らしだと、情報のなさに愕然とすると思うんですよ。だからこそネットとかあったら食いつくだろうなって感じはしますね。しかもAKB48とか好きなものがあったらなおさら。
須崎 ずっとネットやってましたね……。外に遊びも行かずに子供がパソコンやってたら嫌な感じじゃないですか。おばあちゃんにすんごい怒られながらも見てましたね。動画見たり情報拾ったり……。
--ある意味、東京と沖縄を埋めるものがアイドルだったと。
須崎 そうですね。当時はそうなってたと思います。
頭の中90%くらいアイドル!そしてRYUKYU IDOLデビュー
--そして高校から沖縄本島に住み始めたんですよね。最初に琉ドル(RYUKYU IDOLの通称)に所属したのはその頃ですか?
須崎 高1の11月くらいですね。
--中学からAKB48にハマったっておっしゃってましたけど、「アイドルが好き」から「アイドルになりたい」に徐々に変わっていった感じですか。
須崎 そうですね。中学のときに救われて、その頃は自分の頭の中90%くらいアイドルになってたんで(笑)。知らない人なのに、こんなに人の頭の中を支配するのすごいな! って思って。それでわたしもそのくらい人の人生に関われるようになりたいな、って思いがありました。
--田舎でやることないと、正直視野が狭くなるじゃないですか。「これしかないんだ!」と思いがちというか。東京だといろんな選択肢が見えると思うんです。田舎にいるからこそ「わたしはアイドルになるんだ!」と一直線になったところもあったんですかね。
須崎 あ~、そうだったかもしれない。でも芸能界はずっと昔から憧れがあったから。その前はどっちかというと女優とかだったのが、それがアイドルになったって感じですかね。
--琉ドルの前はアイドルとか俳優・タレントの募集とか送ってたんですか?
須崎 雑誌見てバーニングとワタナベと、あとどこだっけな……。小学校のときに書類送ったりして、書類は通るんですけど二次に行くとなったら、親が「二次まで行かなくていい」みたいな感じだったので、ちゃんとオーディション受けたことはなかったですね。一回ワタナベでとりあえずレッスンとか受けれるってのがあって、それに通おうとしたけど、お金がかかるから、ていうので結局ダメで。
--琉ドルは立ち上げのオーディションから応募したんですか?
須崎 そうです。沖縄にそういうアイドルが出来るって聞いて。
--沖縄のアイドルをやること自体は嫌とかなかったんですか? 正直、それまで東京の方ばかり見てたでしょうし、まだローカルアイドルが流行る前ですよね。
須崎 でも高校1年だったし、2,3年は沖縄にいるから地元で活動できるならしたいなって感じで。
--親も地元だったらいい、みたいなのもあったんですか?
須崎 最初は反対してたかな……。基本、反対はされてますね、ずっと。
--でもやりたいんだと。初期の琉ドルってどんな感じだったんですか。
須崎 もうほんとに今とぜんぜん違くて、最初もうAKB48のカバーユニットって感じだったんですよ。
--オリジナル曲もなくて。
須崎 ひたすらレッスンやって、事務所の2階で定期的にライブしてって感じだったんですけど、ライブするのに憧れてた身としてはそれだけで嬉しくって。でも、その頃はあまりアイドルオタクって人も沖縄にはいなかったから、そんなに盛り上がらないし、不安はありましたね。
--お客さん何人くらい?
須崎 最初の公演はいっぱい来たんですけど、その後は2,3人とかもありましたね。
--メンバーよりお客さんが少ない(笑)。
須崎 (そのくらいの客入りの日は)もうぜんぜんありましたね。それまで沖縄だと「ダンス&ボーカルユニット」ってのはあったんですけど、こういうアイドルらしいのは琉ドルが初めてだったんですよ。そこを開拓するのは大変だったと思います。
--当時の楽しかった思い出というと?
須崎 最初はめっちゃセンターやらせてもらってて、それは嬉しくって。やっぱり憧れだったから。メンバーも結構いたんです。最初は20人くらいだったのがどっと増えて、一番多いときで60人とか。(センター:アイドルグループがメディアに出る時やパフォーマンスする時、グループの中央を任された、ある意味グループの顔であるポジション)
--それはすごいなー。そのセンターですもんね。
須崎 うん、メンバーもいっぱいいて一緒に話すのも楽しかったし。
--まずアイドルをやれることが楽しかったと。
須崎 プロ意識とかいちおう持つようにはしてたけど、そこまで意識高いものは持ててないから、アイドルやれるだけで嬉しい感じはありました。
--ちなみに物販でのファンとの会話とかは大丈夫だったんですか?
須崎 それは自然と出来てましたね。ぜんぜん人見知りのくせに、それはスッと出来たので苦じゃなかったです。
--そういうアイドルになった自分を楽しみつつ、不安はなかったですか。
須崎 最初のころはオリジナル曲が出来るスピードも遅かったから、本当に作られるのか、とか信じられなかったです。
--自分が見てきたアイドルとのギャップみたいな。
須崎 そうですね。
--2011年くらいだと、ローカルアイドルだとまだどこまでやれるかわからない感じですよね。徐々にTOKYO IDOL FESTIVALとかでローカルアイドルが見つかる可能性みたいなのも出てきましたけど。
須崎 その頃はぜんぜん遠征とかも考えてなかったですしね。そこからどう上に行けばいいのかわからなかった。
--単純にテレビとかに出たいってありました?
須崎 それまでテレビに出るのがアイドルだと思ってたから、もっとやれればなってのはありましたね。
--沖縄だと地元アイドルが地元局のテレビ番組に出たりとかあるんですか?
須崎 たまに出たりってくらいですね。ラジオも他のアイドルさんがやってるのにゲストに出たりとか、それくらいでした。自分たちの番組ってのはなかったので。でも地元の番組のオーディションに受かって、ダサい子たちを可愛くしようみたいなコーナーで、準レギュラーみたいな感じで出てたことはあったんですよ(笑)。
--なるほど、じゃあ結構いろんな世界を見れた感じではあったんですね。
須崎 はい、それは嬉しかったですね。
--その後、琉ドルを離れて東京に来ることになるわけですよね。
須崎 琉ドルじゃなくなったのが高2の6月くらいだったんですけど、そこで「やっぱり東京に行きたい」ってのを思って、東京行くために短大を受けようと決めました。大学はもう東京に行く理由づけですね(笑)。
--最初は上京するための脱退ではなかったんですね。
須崎 本当に大学行くつもりなかったので、何も勉強してなかったんです(笑)。あぶなかった!
--そう考えると、辞めたのが高2の6月でよかった(笑)。
須崎 そうですね。高3だと間に合わなかったかも。
--東京に行くっていうのは、やはり芸能界を目指して。
須崎 うん。東京に行った方がチャンスはあるだろうなとか思っちゃって。今は沖縄にいるからこそ、東京からも遠征で来ていただけるんだよなって思うんですけど。
--お母さんは大学で東京に行くことは反対しなかったんですか?
須崎 資格とりなさいとかそういうのは言われたけど、東京に行くこと自体はそんなに反対しなかったですね。
PIPは「AKBを超える!」とか言っててうさんくさいとは思ったんですけど(笑)
--それで6年ぶりの東京暮らしに。「やっと帰ってきた!」ってのはありました?
須崎 その時は思いましたね。やっぱり東京に「帰ってきた!」てのは。
--小学校のころ見ていた東京と、帰ってきて18歳で見た東京は違いましたか。
須崎 あ~、それは違いました。なんだろ、いろんなものがあるのはいいけど、住むのはしんどいな~って思ったり。小学校の時は思わなかったんですけど、島の暮らししちゃったから。
--あれだけ戻りたいと思ってたのに。
須崎 あと上京して最初の頃はお金もないから、縁切れてるんですけど父親のところに住ませてもらってたんです。その父親と性格が合わなくって(苦笑)。わたしに対してだけ当たりが強くて、金銭的援助と住ませてもらっていた事は本当に感謝してるんですけど、早くバイトでお金貯めて出て行こうって思ってましたね。
--じゃあ戻りたい戻りたいと思ってた東京にやっと戻ってこれたものの……。
須崎 嬉しかったけど、すぐにそんな楽しい生活になったわけじゃなかったですね。
--そんな中でPIPに加入するわけですよね。
須崎 そうです。募集してるのを友達が教えてくれて。
--それまでは他のアイドルの応募とかしてたんですか?
須崎 いや、ぜんぜんですね。上京する前からいろいろ探してはいたんですよ。仮面女子とか、住む所も養成所もあって「超いい~!」とか思ってましたね(笑)。
--仮面女子行ってたらぜんぜん違うアイドル人生があったでしょうね(笑)。その中でPIPに。
須崎 その頃、濱野さんが48系に携わってて、AKBの番組とかで見てたし、「AKBを超える!」とか言っててうさんくさいとは思ったんですけど(笑)、でも名前もあるし、コンセプトも面白そうだったんで受けてみようと思いました。
--PIPが動き始めたのが2014年の6月、もう東京だとライブアイドルのシーンが出来上がってきた時期ではあるんですけど、怪しいのも多かった。今も多いですけど(笑)。その中ではちゃんとして見えたってのはあるんでしょうね。
須崎 そうなんですよねー。
--その時、須崎さんがやりたいアイドル像は?
須崎 うーーん。地下アイドルっていうのはあんまり考えてなかったです。
--あくまでメジャーに手が届くことをやりたくてPIPを選んだと。そしてそこでも琉ドルに続いてセンター的な位置だったんですよね。
須崎 センターっていうかエース、みたいな感じでした。
--琉ドルに比べて環境は違いましたか。
須崎 ライブとかも会議室借りてそこにお客さん入れてやってたんで、そこがまず他のアイドルとは違うなあって(笑)。あとレッスンも琉ドルの頃は毎日やってたけど、それが週2になってたんで、ぜんぜん違うなーとは思ってましたね。
--ファンの空気とかは?
須崎 沖縄の時はけっこう距離感が近かったんですよ。ファンの人も身内感っていうか。PIPはそういう感じでもなくって、変わったコンセプトのグループだから、来るファンの人も頭がいい人が多くて。けっこうファンは違いましたよね。
--PIPも初期は主に48グループのカバーでしたよね。須崎さん的には琉ドルを通過してるから「やれれば嬉しい」って時期は過ぎてたと思うんですが。
須崎 そうですね。
--正直、最初の頃はメンバー見てどう思いました?
須崎 やっぱりぜんぜん経験ない子の方が多かったから、その中では経験ある分引っ張る立場になるかなってのは思いましたね。アイドルに興味ない子もいたり、次のステップのきっかけにって子もいたし、いろいろでした。濱野さんも「PIPはプラットフォームだ」って言ってて、踏み台にして出ていっていいよって言ってましたけど。
--その濱野さんは最初に会った時の印象はどんな感じでした? オーディションの時からですよね。
須崎 本当に熱意があって、ちゃんといろいろビジョンもあって、私のことも「もっと行けると思う」って言ってくれたりして、この人ならついていけるかなーって最初は思ってましたね。
--最初は(笑)。琉ドルとは違う楽しさはありました?
須崎 けっこうトークイベントとかが多くて、わたしはそういうの凄く好きなので、その点では向いてたなーってのは思います。
--そんな中、約1年で須崎さんはPIPを卒業することになりますけど、その理由は?
須崎 なんかもう、だんだんメンバーも辞めていっちゃって。周りが辞めていったのは決め手じゃないんですけど、そのことによって周りのメンバーも気分が落ちてきちゃって、レッスンに毎回3人しか来ないみたいな感じになっちゃったんです。メンバー10人以上いるのに。その来てる3人がフロントの3人だったので「推されてるからレッスン行くんでしょ」って思われてたと思うんですけど、わたしたちとしては「推されてるからとかじゃなくて、ちゃんとしてるからレッスンに来てるんだ!」みたいな葛藤もあったりして。それでもう先がないなって感じちゃって。
--もうグループの中の雰囲気が悪くなった。
須崎 そうですね、プロデューサーに対しても思うこともあったけど、意識の違いも大きかったです。
--ではプロデューサーの濱野さんに思うこととは。
須崎 「やる」って言ってたことをやらないことも多かったし、あと給料ですよね。やっぱり払わないっていうのが一年以上続いてるのはまずいと思ったし。
--「いつかは払う」が続いた感じですか。
須崎 ですね。「ぼくは一銭ももらってないから」って言って、外に向けて言ってることと違いすぎたことも多くて。一部メンバーには暴言っていうか失礼なことも言ってたり、人間的にまずい人だなって思う部分もとかもあって。
--イベントでも暴言で炎上してたこともありましたしね。自分の中で「もっとこうしとけばよかった」って思いはありますか?
須崎 今考えたら……。うーん、面白いことしてたなとは思うんですよやっぱり。イベントとかもアイドルの枠を広げるようなことしてたし。だからメンバーのパフォーマンスがもうちょっとついてきてたら、というのもあるし。わたしもあそこでめげずに続けてたら、ってのも思いますしね。わたしが辞めた後はメディア露出とかも増えたりしたんで、もっと引っ張る力があればもう少し上に行けてたかな…とか。
--後半はオリジナル曲も増えて、初期やらなかった対バンイベント出たりしてましたもんね。
須崎 番組でお世話になってたWALLOPさんが面倒みてくれるようになって、それからは変わりましたね。(WALLOP:インターネット放送局。観覧可能なスタジオを持ち、アイドル番組も多い)
--自分としてはやれることはやった。
須崎 うん。それは思います。出会いになることもありましたしね。メンバーでセンターだった橋田唯ちゃんとか、年下でけっこう歳も離れてるんですけど仲良くなれたし、あとそこで出会ったファンの方も大きいです。今も来てくれたりするし。
今のメンバーたちから受け入れてもらえないだろうな
--PIPを辞めた須崎さんですが、琉ドルに再加入します。その後もアイドルやりたいってのは思ってたんですか?
須崎 まだやりたいとは思ってましたね。
--そこで琉ドルって選択肢が出てきたのはなぜでしょう。
須崎 萌花が抜けた後の琉ドルも見てくれてて、PIPも応援してくれてた人から「琉ドルに戻るってのはないの?」って聞かれて。自分は戻れるってぜんぜん思ってもいなかったんですけど、その人が「萌花がちゃんとやれるんだったら可能性あるんじゃない」って言ってくれたのをきっかけに、本当に戻りたいなって思うようになったんです。
--正直、東京在住なんだから東京のグループに入る方がいろいろと都合がいいじゃないですか。普通、東京にいながら沖縄のグループに所属するとかありえないっていうか、むちゃくちゃハードル高いですよね。
須崎 PIPやってみて、やっぱり琉ドルのライブと、ライブの空間が好きなんだなーって思ったんです。PIPの時は全力って感じじゃなかったんですけど、わたしが好きなのは全力でぶつかっていくステージなので。それがいちばん私には向いてるし、やりたいステージだったなって。
--外を一回経験してやりたいことがあらためてわかったと。
須崎 ただ、PIPの頃に沖縄で琉ドルと対バンして絡む場を作ってくれたので、濱野さんがそういう機会を作ってくれたから戻りやすかった。本当に感謝してます。
--ただ琉ドル優先となると目標だった東京の芸能界というのは遠ざかりますよね、正直。
須崎 それでいいとは思わなかったですけど、まず一度琉ドルをちゃんとやらないとなって思ったんです。
--その頃のRYUKYU IDOLは辞めた時とは運営も変わってますけど(結成からは㈲サミットプロ運営、13年11月からはプロデューサー・骨っ子の個人運営に)、相談する時怖くなかったですか。
須崎 えー、もうめっちゃ怖かったです。
--一度嫁に出た娘が、また実家に戻るみたいな感じですよね(笑)。
須崎 そんな感じですよね(笑)。それで骨っ子さんに聞いたら「本当に萌花次第」って。その時は骨っ子さんに対して怖かったのもあったけど、それ以上にメンバーに対して「受け入れてもらえないだろうな」って。もうそこは本当に自分が誠意を見せていくしかないから、どれだけ自分がそれをやれるかだな、最初は受け入れてもらうことを頑張ろうって思ってました。
--最初のメンバーとのレッスンの時とか覚えてますか。
須崎 前にいたときにやってたオリジナル曲を思い出すのはもちろんだし、わたしがやったことのないオリジナル曲も振りを覚えて行って。とにかく姿勢で見せなきゃな、って思ってました。
--メンバーの反応は?
須崎 最初に会った時は「あ~!」って感じで笑顔で迎えてくれたけど……なんだろな、内心気まずさと「なんで?」てのはあるだろうし、複雑な気持ちはあるだろうなっていうのがあって、自分から歩み寄っていかなきゃいけないのはわかってるけど、どうやって歩み寄っていけばいいかわからない……そんな状態でしたね。
--それが打ち解けた瞬間みたいなのって覚えあります?
須崎 でも普通に話してっていうよりは、自分のステージとレッスンをただただちゃんとやることかなあ……。それでメンバーもだんだんってなったのかな。
--ステージで証明するしかない。
須崎 うん。言葉より絶対にその方が。
--どのくらいで気にしなくなったとかありますか。
須崎 えーー? 正規メンバーになったのが……。
--2016年5月ですね。研究生としての再加入からだいたい9ヶ月くらい。
須崎 でも正規メンバーになっても、まだわだかまりあるなってのはありましたね。一年くらいかなあ、たぶん。
--メンバーから具体的に言われたことは?
須崎 それはないですけど……そうだ、まいちゅう(天久舞子。RYUKYU IDOLリーダー)が生誕のときのお手紙読むみたいなコーナーで正直なこと書いてくれたんです。「受け入れられないし、受け入れられない自分もいやだ」みたいなところもあったって。
--そういう機会じゃないとなかなか言えないですよね。それで東京に住む形で琉ドルに参加することになります。
須崎 最初は琉ドルに入るとなると一回沖縄に戻らないとなって思って、大学卒業したら沖縄戻るつもりだったんです。でもやっぱり東京にいたほうが、自分がいることでできることとかいろいろあるんじゃないか、広がりもあるんじゃないか、と思ったんです。あと沖縄に戻るたびに母親に就職の話をされて、沖縄戻ったら琉ドル一本じゃやらせてもらえないなと思って。沖縄に帰ることで琉ドルできなくなるのは本末転倒なので、東京にいて両立させようって思いましたね。
--再加入して1年半になりますけど、今は沖縄にはどんなペースで帰ってますか?
須崎 最低月に一回は行ってて、だいたい2回は行く感じですかね。地元のライブにもちゃんと出たいし、レッスンもちゃんと受けたいから。
メンバーは東京に住みたいとは絶対思ってないんじゃないかな(笑)
--ちなみに今東京ではひとり暮らしですか? お父さんの家から出て。
須崎 そうです。やっとひとりで暮らせるようになりました。料理とかはちゃんとやるけど、洗濯とか忙しいとすぐ溜まっちゃいますねー。
--ちなみに得意料理は?
須崎 得意料理は……ピーマンの肉詰め? 自分が好きだからよく作ります。あと沖縄のだと、にんじんしりしりを作り置きしていつも食べてます。
--ちゃんと沖縄の味も。では今の須崎さんから沖縄に対してどんな感情がありますか? 中高6年間「ここから戻りたい」と思ってたわけですけど。
須崎 最初離婚で帰ったときは嫌になって、最初琉ドル辞めたときにまた嫌になったんです、沖縄のことは。
--そこでまた沖縄嫌いになったのは?
須崎 沖縄って狭いし、琉ドルやめたことで怖くてもういられないと思って。
--それは周囲に「あの子辞めたらしいよ」って噂が広まるとか、そういう事が?
須崎 うん。本当にいられないし嫌だなって。
--地方ならではの街の狭さみたいなところはあったんですかね。いやがらせとかは?
須崎 具体的にはなかったんですけど、ずっと怖かったです。でも琉ドルをやり直せたことで今は好きになれたんです。
--沖縄に対して“ふるさと”って感覚ってあります?
須崎 なんか私は実家っていうものがなくって。自分的には小学校のときに住んでたところが実家みたいな感覚ではあるんですけど、もう帰れない家だし、いま母親が住んでるのは
わたしが高校の時一人暮らししてたところなんで、実家っていうより「高校のころの家」って感じだし。唯一実家って思えるのは中学校の時に住んでたおばあちゃんちなんですけど、そこも実家ってよりは「おばあちゃんち」って感じで。沖縄っていったらおばあちゃんち、ですかね。
--普通に生活していて、自分の中に沖縄の要素を感じるところってあります?
須崎 自然が好きー、とか?(笑) でも元々の性格なのか、沖縄に住んだからなのかわからないんですよ。人混み嫌いだし、電車も嫌いだし、自然の方が好きだし。沖縄っぽい……。時間にルーズなところ?(笑)
--もともと東京生まれで、沖縄を好きになったり嫌いになったりして過ごしてきて、今は自分の中にはどっちの要素が多いと思いますか。
須崎 精神的なところは東京の部分が多いのかな。見た目的にもぜんぜん沖縄ぽくないし、沖縄の言葉とかもメンバーと会ったりすると訛るんですけど、それくらいで。人混み嫌いとかもあるけど、それは沖縄の影響とかよりも性格なんだと思います。沖縄住んでたからとはあんまり関係なくて。
--アイドル好きでありアイドルである須崎さんから見て、東京生まれであることはアイドルとしてプラスだと思います?
須崎 うーん……特にプラスにはならないかな?メンバーを見てて、田舎から出てきた子の方がいいなって思います。
--それはハングリー精神的な?
須崎 それもあるし、都会に染まってないってのは凄く的魅力だなって思う。亀田(阿依音。RYUKYU IDOLメンバー)とか本当に「ザ・沖縄の子」って感じで、東京には絶対いないタイプじゃないですか(笑)。染まらないでほしいなって本当に思います(笑)
--琉ドルってローカルアイドルとしてはかなりの回数で東京遠征してますけど、メンバー自身は東京に来ること自体はどんな気持ちなんでしょう。
須崎 東京遠征自体は大きいライブの時も多いし、ライブ自体は東京でできるのことやファンの人と会えるのは嬉しいと思うんですけど、東京自体はいやだと思います(笑)。
--あははは。
須崎 東京来たらバタバタもするし、人混みとかいやだと思う。
--原宿とかTDLとかそのくらいの歳の子だと興味あるのかなって思ってたんですけど。
須崎 興味は多少あると思うんですけど、東京に住みたいとは絶対思ってないんじゃないかな(笑)。そこは変わらないでほしいですね。
--ちなみに沖縄でアイドルになりたい子ってどういう子なんでしょう。
須崎 どうなんでしょうね……。東京の子ほど「自分からなりたい!」って意思の強い子は少ない気がします。東京だとアイドルいっぱいいるから擦り切れちゃうと思うんですけど、沖縄だと東京ほどは擦り切れずにやっていけるのがいいのかなって思います。
--じゃあ今住んでる須崎さんから見て、東京の楽しい部分や魅力というのは。
須崎 やっぱり刺激がいっぱい溢れてるから住んでるだけで頑張ろうって思えるし、本当に色んな人がいるな~って思いますね。面白いですね、それは。東京にいた方がやれることも多いし。
--今の須崎さんにとっては沖縄は沖縄で必要、東京は東京で必要。
須崎 うん。今はそんな感じですね。
--東京に住んであらためて思った沖縄のよさってなんでしょう。
須崎 月並みですけどやっぱり人のあたたかさかな~。でも本当にこれがいちばん思います。東京にいるとずっと張り詰めてる感じ。沖縄行ったら羽を伸ばせる、みたいなのがあるんで。わたしにとってふるさとだからというのもあるけど、観光できた人にとっても、のんびりした気分になれるところだと思うんで。好きですねー。
--そういう沖縄成分を月に1度か2度取りに帰ると。今日はあらためて須崎さんの琉ドルと沖縄に対する複雑だけど大切な思いが分かった気がしますね。個人としてはミスiD2018ファイナリストにも選ばれましたけど、これからの琉ドルや個人としての目標はありますか?
須崎 あります。あるけど……目標とか夢とかはあんまり持ちたくないし、そういうのは持たなくなったんですよ。目の前のことをやり切るってことを頑張りたくって。ただ、自分が25か26歳くらいまでには琉ドルを一回バン! って盛り上げられたらいいなと思います。いま応援してくれてるファンの人たちが「琉ドルここまで来たな!」って喜んでもらえるような、そういう恩返しができたらって思います。
■RYUKYU IDOL告知
◆RYUKYU IDOL公式サイト:https://ryukyuidol.jimdo.com/
◆RYUKYU IDOL公式ツイッター:https://twitter.com/ryukyuidol2011
◆須崎萌花公式ツイッター:https://twitter.com/m0kar0n
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(執筆者: 大坪ケムタ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか
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