「引っ越して来たのに逢えない…」源氏が大堰に来ない理由
明石一家の別荘暮らしが始まりました。とても風情のある場所で、庭や渡り廊下なども見どころがあります。まだところどころ未完成ですが、慣れればこのままでも問題なく住めそう。無事の到着を祝い、源氏の腹心の家来たちがもてなしをしてくれましたが、肝心の源氏の姿はありません。
することもなく、ただ過ぎていく日々…。(いつお逢いできるのかしら。きっとお忙しいのだろう、でも……)堂々巡りの葛藤が明石の君を襲います。「近くに来たら余計に辛い気がする。これなら美しい思い出を頼りに、明石でお慕いしている方がよかった」。
源氏が別れ際に渡した形見の琴(きん)を取り出し、少し弾いてみると、ざわざわと松林が悲しげな音を合わせてきます。尼君もそれを聞いてしんみりと「松風は海辺と変わらないね。なんだか引っ越してきたという気がしないわ」。「本当ね。お父様はひとりでどうしていらっしゃるかしら」。源氏が「調子が狂う前にかならず再会しよう」と、約束してくれた琴。明石の君は海辺から遠く離れた山里で、琴を相手に孤独を噛み締めます。
その頃、源氏はどうやって大堰に行こうか思案していました。近くにきてくれたのだから早く逢いたい!でも例によって、「明石」と聞くと途端に機嫌が悪くなる奥さんの紫の上には、別荘の件は話していません。これまでも気まずい事は「隠し事はせず自分から話す」方針を貫いてきた源氏。今回も黙ってコソコソして、あとでバレるよりはマシ、と切り出します。
「御堂の方に用があったんだけど、なかなか仕事が忙しくて延び延びになってしまった。…それに近くに、約束した人が来たというからちょっと逢ってくるよ。他にも回る所があるので、2~3日はかかると思う」。腰の引けたセリフです。
察しの良い紫の上はすぐに理解し(なるほど、御堂を建てたのはこういうことのためだったのね。明石の君がついにやってきたんだわ)。「あらそう。あなたの”ちょっと”っていうのは、きっと斧の柄が朽ちるほどの”ちょっと”ね。待ち遠しいこと」。
紫の上が言うのは、中国の昔話で”ある木こりが、仙人が碁を打つのを夢中になって見た後、気がつくと斧の柄が朽ちるほど時間が経っており、知っている人は誰も居なくなっていた”という、浦島太郎みたいな話です。
すっかりむくれてしまった紫の上に、源氏は「またそうやって変に勘ぐる。私はもう昔の私じゃない、浮気心なんてもうどこにもないんだよ」。朝からご機嫌取りが大変で、出かけるつもりがお昼になってしまいました。やれやれ。
親子水入らず、数日だけのマイホーム気分を堪能
源氏がやっとの事で自宅を出、大堰についたのは夕方でした。源氏は明石の君とやっと再会し、初めて娘の顔を見ました。「なんて可愛い子だろう!時間を巻き戻したい…」ちい姫がにこっと微笑んだ時の愛くるしさは、例えようもありません。姫のため派遣した乳母も元気そうで、男に捨てられてうらぶれていたのが、すっかり若返っています。
実際にはかつてのあこがれの人や、恋人との再会でガッカリすることもままあるわけですが、そこは源氏物語。源氏はあの琴を見て「約束通り、調子が変わらないうちに逢えただろう」。「お待ちする間、琴の音色に泣き声を添えておりました」。源氏は男盛り、明石の君は一層美しくなっての、理想的な再会でした。
滞在中は、源氏は日中は御堂の用事に出かけ、夜は別荘へ帰ってきます。その間には庭の手入れを指示したり、ちい姫と遊んだり。まるでマイホームのような、親子水入らずの楽しい時間。源氏はもう2人と離れたくなくなります。
「近いとは言え、来るのには時間がかかる。やっぱり二条に移ってくれないか」。源氏は直接明石の君にもちかけますが、「もう少しここで、京に慣れましたら」。それも仕方ないかと思いつつ、2人のアツい夜は更けていきます。
「今日こそ家に帰らないと」最終日に珍客登場
3日目、いよいよ帰る日。源氏が名残惜しげに寝過ごしていると、何やら賑やかな声が。「源氏の君、こちらにおいででしたか!」「一緒に秋のレジャーを楽しみましょう!」近くでお月見をしていたご機嫌な友人らが押しかけてきました。
源氏は「どうしてここがわかったんだ、ここは怪しい秘密基地じゃないぞ」と冗談を返しつつ、(まっすぐ帰るから、ゆっくり別れを惜しもうと思っていたのに…)。友達を追い返すこともできず、かといってすぐに一緒に行っては明石の君がかわいそう。
戸口でウロウロしている源氏の所へ、ちい姫は乳母に抱かれて出てきますが、肝心の明石の君が出てこない。「我ながらニワカ父親だとは思うが、ちい姫に会えないのは淋しいな。この子のママはどこにいるの?出てきてバイバイしてくれないのかい」。
明石の君は別れの悲しみに暮れ、部屋で打つ伏していました。乳母が呼びに行ってもすぐには来ず、女房たちにも促されてようやっと物陰から横顔を見せる程度。(本物の皇女といってもいいくらい上品な人だが、ちょっとこれはやりすぎじゃないか?)いつも、明石の君を褒める源氏もやや引き気味。
本当のお姫様は、呼ばれたからと行ってサッサと出ていったりしない。身分と中身の食い違いと、明石の君のプライドがよく現れています。西洋の貴婦人も何かにつけよく倒れていますが、平安時代の女性たちもショックを受けては、伏せって出てこないこと多数。高貴なご婦人は倒れてナンボというところでしょうか。
それでもたおやかで奥ゆかしい明石の君は、源氏と並んで遜色のない、世にもまれな女性のひとり。2人は慌ただしく愛の言葉を交わし、明石もようやく顔を出して源氏を見送ります。
行きはお忍びでひっそり来たのに、今度は仲間たちとワイワイ。源氏と一緒に牛車に乗り合わせた若いひとりが「今朝は霧の中をやってきたんですよ。嵐山の紅葉はまだまだでしたが、秋の草花は見頃でした。○○さんはその辺で鷹狩をやってますよ。それで、今日はなにして遊びます?」
源氏は自分の御堂に近い桂周辺で、鵜飼などを召し寄せて月見を楽しみます。お酒が入って合奏がはじまり、自然の中で秋の夜を楽しむ平安貴族たち。源氏が出仕しないので不思議に思った帝にも話が伝わり、「桂でお月見なんて羨ましい」と書かれた手紙まで届けられました。
正式なお使いにはその場で御礼の品を渡すのが決まり、でも急に来たので持ち合わせがない。源氏は別荘まで連絡して、明石に適当な物を用意してくれるよう頼みます。別れに水を差されて悲しかったとはいえ、ここでも明石の君はちょっぴり奥様気分が味わえたかも。
間が悪すぎ…奥さんの目の前で彼女からの手紙を読む
結局、2~3日の予定はオーバー。「本当に今日は帰らないと」と焦る源氏。まだ酔いが残って大声で歌う連中に取り囲まれ、明石の君には手紙も出せずに帰ってきてしまいました。人といると連絡ってしにくいですよね。
「行楽好きの仲間が急に押しかけて来てね。引き止められて大変だった。疲れたから横になろう」。紫の上は相変わらずムスッとしていますが、源氏はわざと知らん振りして「取るに足らない相手だよ、意識することはない。あなたはあなたなんだから」。
といいつつ、自分は早速、明石の君へフォローの手紙をコソコソ書いています。「帰ってきたばかりなのにもうお手紙ね」と、紫の上の女房たちも陰でブーイング。あっちにもこっちにも気を使わないといけないし、周囲からはブーブー言われるし、源氏も楽じゃないですね。
夜になっても紫の上の機嫌は一向によくなりません。本当は宮中で宿直の予定でしたが、取りやめて家に居ることにしました。ご機嫌取りのために。なだめたりすかしたりしている所に、さっき出した手紙の返信が。タイミング悪っ!
「なんでいま持ってくるの」と思いつつ、隠すわけにもいかないのでその場で読みます。特にやましい事も書いていないので、わざと文面を広げて「これは破って捨ててください。やり場に困るからね。もう女性からの手紙が似合う歳じゃないから」と、紫の上の方に差し出します。なんでもないよ、隠し事してないよアピール。
紫の上ははっきり見ようとしないものの、気になって手紙の方をチラチラ。源氏はそんな紫の上が可愛くて「ほらほら、横目で見てるじゃないか」と笑います。そういう時の源氏は愛嬌があって可愛い、と作者は表現しています。
「実はね、あっちで可愛い子を見てきたんだよ。女の子で、3つになる。せっかく生まれたのだから大事にしようと思うのだが、このままでは日陰の子。どうだろう、あなたが育ててくれないか。もしイヤじゃなければ…」。
唐突な申し出に、紫の上はちょっと心が動きます。「私を嫉妬深い意地悪女みたいに思っているみたいだけど、あなたが隠し事ばかりするから、心を開くものですか!と思っていただけなのよ。3つになる姫君、ああ、どんなに可愛らしいかしら。私も子供だから、いい遊び相手になれるはずよ」。
子どもが大好きなのに、子宝に恵まれない紫の上は子育てに興味津々。でも実行するには、明石の君からちい姫を取り上げないといけない。実の母子を引き離すのは、他ならぬ源氏の役目です。
「ちい姫のこと、本当にどうしようか」ひとり悩みつつも、源氏が大堰に行くのは簡単ではありませんでした。御堂の用事にかこつけて出られるのは月2回。七夕よりは短いが、明石の君にとっては長い半月を待たねばなりませんでした。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか