こともなく、無情に時だけが過ぎていきます。
「私だってあの方が京を追われた時、自分のことのように悲しんで、どうか無事に戻ってほしいと祈り続けてきたのに……。もうお終いよ。どうして世の中はこんなに不公平なの」。末摘花は悔しくて悲しくて、人知れず声を上げて泣き続けました。
大したこともしてない人たちは、必死にアピールしては恩恵のおこぼれに預かっているけど、自分には何のいいこともない。いつの世でも、(大した実績はなくても)アピール上手な人が得をし、真面目だけど不器用な人がワリを食うのは、なんとも切ないです。
叔母さん大喜び…”高貴な姫としての誇らしいあり方”とは?
一方、意地悪な叔母さんは大喜び。「そらご覧!あの姫を源氏の君が思い出すわけないわ。あんなボロ屋敷に居続けているくせに、親が生きていたときと全く変わらず、偉ぶっているんだから。現実が見えていなくてお気の毒だこと」。
そう思いつつ、叔母さんは九州行きの勧誘を忘れません。言葉巧みな誘い文句に、貧乏疲れした女房たちは「もう九州にお行きになったらいいのに」。末摘花が頑固に源氏を待つ気持ちがわからず、影でブーブー言っています。
そして、乳姉妹の侍従まで「姫さまとお別れするのは嫌ですが、夫の転勤についていかなくてはいけないのです。お残しするのはとても心配ですから、是非ご一緒に」。彼女はダブルワーク先の叔母さんの家で、その甥といい仲になってしまっていました。
しかし、誰が何と言っても、末摘花は動きません。「あれほど私に固く愛を誓ってくださったんだもの。今は忘れられているかもしれないけど、いつかきっと、風のうわさにでも私の現状を聞いて、きっとここへ来てくださるわ」。いや、源氏はあちこちで愛を誓いまくっているんですよ。
更に「貧乏暮しに耐えかねて由緒ある品を売り飛ばした、などというのが、もし源氏が来たときにでも知られたら恥ずかしい」と思い、女房たちから家宝を守ると心に決めます。食うに困ろうがプライドは絶対に売り渡さない、これが彼女の思う高貴な姫君らしさなのです。び、貧ぼっちゃま…!
毎日泣いてばかりの末摘花の顔は、いよいよ酷いことになり、まるで赤い木の実を顔の真ん中にくっつけたよう。泣きすぎて赤い鼻が腫れてしまったらしい。作者は「普通の男であればとても耐えられないような見た目であるが、お気の毒なので詳しく書くことは避ける」と締めています。
白雪姫よりずっと前に、『いつか王子様が』を地で行くお姫様が、こうして源氏物語の中に存在しています。でも残念ながら、一致点はお姫様であることと、藪というか森で暮らしていること、源氏は本当に皇子であること、くらいなもの。場所は可愛い小人の家ではなく、崩壊寸前のオンボロ邸だし、ヒール役に嫉妬されているのは、美貌ではなく高貴な生まれです。
そして何より呪わしいのは、毒リンゴではなく赤い鼻。当時、リンゴはなかったと思いますが、目立つような赤い木の実…ザクロあたり?作者が何をイメージしたのかがちょっと気になります。
一方的にしゃべるのは会話じゃない…コミュ障兄妹の体面再び
何の音沙汰もないまま、季節は冬に。相変わらず侘しい毎日を送る末摘花の元へ、ひょっこり現れたのはお兄さんの禅師。「いやぁ、本当に素晴らしかった。舞楽も極楽浄土のようだった!私は源氏の君の主催なさった御八講に参加させていただいたんだよ!あの方は本当に、仏様の生まれ変わりじゃないのかね」。
なんと、源氏が帰京後に主催した法華八講に、末摘花のお兄さんも参加していたのです。ところが、妹と源氏の仲を知らないはずはないのに、浮世のことは関知しないお兄さんは、ただ言いたいことだけ言って帰ってしまいました。そもそも、一方的にしゃべるのは、会話じゃない。
お兄さんはいろんな法会で人に会う機会もあるんだから「源氏の君に私のこと、それとなく言っといて」とか言えたらよかったのに…。言えるようならこんな苦労もしていないでしょうけれど、揃いも揃ってコミュ障兄妹です。
兄の話を聞いた末摘花は「どうして仏様(=源氏)は私を助けてくださらないのだろう。ずっとずっとつらいのに…」。源氏が仏様だったら、恋愛沙汰で須磨に行ったりしないよ~!。岩のように固いと思われた彼女の信念も、もはや砕けようとしていました。
叔母さん最後の猛襲!侍従に贈った精一杯のプレゼント
次に、末摘花を訪ねてきたのは叔母さんです。事前の連絡もなく、これ見よがしに立派な牛車で乗り付け、倒れ掛かった門をドタバタやって大騒ぎ。叔母さんらしい下品なアポなし訪問の仕方、グッジョブ!
「これから九州に発つので最後のご挨拶に上がりました。侍従、一緒に行きますよ!」。侍従は長年の苦労ですっかりやつれていますが、その中にも小ぎれいな所があり、作者は「失礼だが、姫君と取り替えたい気がする」と書いています。
叔母さんにしては珍しく作ってあげた、末摘花用の新しい衣などを見せながら「そういえば、源氏の君はまだいらっしゃってないんですって?こうなると却って私のような者のほうが、気楽で生きやすいですわね~。ほんと、お気の毒なあなたを置いて遠くへ行くのがかわいそうで、かわいそうで…」
上流コンプレックスをこじらせている叔母さんは、本当は栄転するのが嬉しくてたまらないので、言葉が全部嘘くさい!末摘花の心が動くはずもなく、「お気持ちはありがとうございます。人並みにできない私は、ここで朽ち果てるつもりです」というようなことを、侍従に上手く言ってもらいました(コミュ障)。ここで叔母さんの召使いになる方を選択すると、白雪姫からシンデレラになってしまいますね。
「思いつめるのもごもっともですけど、生きてる人間でこんな不気味な場所に住んでる人なんて居やしない。まあ、万が一源氏の君が来てくださったら綺麗に立て直してくださるでしょうけどね。
ご存知?源氏の君は京に戻られてから、紫の上とかいう美しい奥様以外には、他の女性とお付き合いなさっていないそうよ。もう以前の女からはすっかり心が離れたってウワサ。そんな方が、こんな草ぼうぼうのボロ屋敷にいるような人を、「操を守って自分を待ち続けている」なんて思い出すわけありませんわね、オホホホホ」。すごい嫌な人ですが、昔の少女漫画の悪役みたいでお見事。
心を折られた末摘花はまた泣き出し、ますます縮こまってしまいました。こんな嫌なこと言われたら仮に行く気があっても萎えると思うのですが、叔母さん逆効果では?
なだめすかしの甲斐もなく、ついに日もくれ始めたので、叔母さんは諦め「しょうがない、侍従だけでも連れて行きます」。急き立てられた侍従は「姫様、どうかお許し下さい。私も板挟みになってつらいのです……」。ああ、ついに侍従も見捨てて行ってしまう…。
末摘花は餞別に自分の抜け毛をカツラにしたもの(鬘/かづら)と、由緒ある箱に名香を一つ入れて渡しました。今でこそ手頃なウイッグもいろいろありますが、当時、抜け毛で作るかつらはとても貴重なものでした。末摘花は髪だけは長く豊かで素晴らしかったので、自分があげられる一番いいもの、自慢の髪をプレゼントしたのです。
泣いて別れを惜しむ2人に、叔母さんは「もう暗くなってきたわよ。侍従は何をしてるの!」と、もぎ取るように侍従を連れて去って行きます。残った女房たちも「侍従さんが行くのももっともね。私達ももう我慢の限界よ」。
枯れた雑草の上にはこんもりと雪の山。今は下人ですら、姿を見せることはありません。ずっといてくれた侍従ももういない。末摘花は埃のつもった邸の中で、一人寂しく寝起きしました。源氏が来たときでさえも冬は寒そうで気の毒でしたが、その何倍もボロボロになった今、どれだけ寒くひもじかったでしょう。もう生きていることが奇跡です。
その頃の源氏はと言うと、紫の上に再会できたことが嬉しく、他の女とどうこうという発想がない時期でした。たまに「あの鼻の赤い末摘花の君はどうしているかなぁ」程度のことは思わないでもなかったのですが、積極的に探そうとか、会いにいってあげようという気持ちにはならないまま。結局、今度は源氏の代わりに、新年がやってきました。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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