いい暮らしも束の間…森と同化する邸でのワイルドライフ
ここから、話は少し遡り、源氏の須磨明石時代に戻ります。当時、紫の上や花散里など、源氏が大事にしている彼女たちは、手紙のやり取りや生活の保証もあり、悲しい中にも安心して暮らすことが出来ました。一方で、大変な思いをしていた女性も……。真っ赤な鼻とセンスの無さで源氏を驚かせた、末摘花の姫君でした。
ずっと侘しい暮らしぶりだった末摘花。ろくな食事も取れず、ガリガリに痩せ、雪の日などとても寒そうだった様子を見て、源氏は「愛しいとは思えないが、こうなったのも亡き父宮のご縁だろうから、出来る限りお世話をしよう」と生活の面倒を見たのでした。
人並みの暮らしになったのも束の間、源氏の離京で再び生活は困窮。源氏のおかげで少しいい思いをしたあとだったので、その零落ぶりは余計にこたえます。女房や使用人たちも、辞める者、逃げる者、年寄りの中にはそのまま息絶える者もあり、日に日に人が少なくなっていきました。
もともと荒れてはいたものの、人少なになった邸はもうボロボロ。草木は不気味に生い茂り、朝夕フクロウが鳴き、木霊などが姿を現して驚かせます。「木霊がいる森はいい森だ」と『もののけ姫』で聞いたような気がしますが、家が森と同化してきてます。
庭の雑草は軒の高さに届くほどで、蔓草がはびこって屋敷の門は開けられない。こう書くと厳重そうですが、壊れた土塀を踏みつけて、牧童が牛馬やを勝手に放牧したりしています。まさに「お前んち、お化け屋敷!」状態。
それでも、物好きな人はいるもので、この邸に目をつけ「ぜひ譲って下さい」などと申し出る者も出てきました。受領(地方官)などでお金をためた成金中流貴族が買い取って、別荘か何かにしようという魂胆です。
わずかに残った女房たちも、いい加減この暮らしにウンザリ。「こういう話も来ていますので、お引っ越しを考えてはいかがですか」と持ちかけるのですが、末摘花は「とんでもないことです。ここは思い出が詰まった私のお家。今はこんなになったけれど、それでも私には懐かしい住まいなの」と、泣いて話を聞こうとしません。やれやれ…。
末摘花の父・常陸宮は趣味豊かな人だったので、名品・珍品なども色々ありました。そのウワサを聞きつけて「見せて欲しい」「買い取りたい」といった骨董ファンも現れます。
女房たちは「仕方ありませんよ。生活に困ったらモノを売らなくてはならないんですもの」と末摘花を説得しますが「いやです。これは私のために作ってくださったお道具なの。それを物好きな人のインテリアにしようなんて、お父様がお気の毒だわ」。
末摘花は世間知らずで、金銭感覚や生活力ゼロのお姫様。ある意味、邸まるごとヴィンテージという見方もできるので、まとめてうまく売りつけたら結構いいお金になったかも…などと思うのですが、それも下々の思いつきでしょう。女房たちがどれほど困ったか、なんだかそっちが気の毒です。
何もしてくれない兄、あまりにボロさに盗賊も素通り
末摘花には、兄がいました。禅師(ぜんじ)という名の僧侶で、山で修行をしていますが、京へ来る時には顔を見せます。この人も、妹に負けず劣らず浮世離れした人で、草ぼうぼうの邸に来ても「ちょっと草を刈ったらどうか」とも言いません。結局、具体的になんの援助をしてくれるわけでもなく、ただ本当に「顔を見て」帰るだけ……。
ほったらかしの邸の荒廃は進み、夏の終わりの台風で渡り廊が倒壊。板葺きの建物は骨組みだけになりました。下働きはとっくに逃げ出し、台所で煮炊きの煙も上がらない。あまりのボロさに、空き巣狙いや盗賊たちも素通りするという、なんとも悲しい有様です。
他の棟がボロボロになっても、寝殿だけは昔通りに整えてあり、末摘花はその中で暮らしていました。チリは積もっても格式だけは立派、でも掃除をしてくれる人はいない。まるで末摘花そのもののような室内です。何を食べてしのいでいたのかすごく気になる…。
「手紙を出す友達もいない」末摘花のぼっちライフ
こんな状態で、日々、末摘花のすることといえば、”かぐや姫などの古い物語絵を眺める”。”和歌集から好きな歌を抜き出して書く”。これだけ。物語や小説の類には興味なし。
和歌の書き写しも、編集にこだわって、きれいな色紙などにおしゃれにまとめれば素敵ですが、末摘花は誰もが知っているありふれた和歌を、厚ぼったく湿っぽい紙に真面目に書くだけ。事務的すぎて何の面白みもなく、遊びとか趣味とはいえないような感じ。不器用なので、紫の上や花散里のようにお裁縫などはしないみたいです。また、当時の人が誰でもやっていた読経なども「女性がするのはみっともない」という前時代的な考えを持っているのでしない、と書かれています。
心を打ち明けられる友だちがいれば気も紛れそうですが、彼女は父宮が「人付き合いには注意するように」と言い残したことを忠実に守り、手紙を出す友達もいませんでした。今だったら連絡先登録がゼロで、ラインする人がいないみたいな感じでしょうか、要するに、本当にぼっち。お父さんは娘を大事に思うあまり言ったのでしょうが、これなら友達の一人も作れるように教育したほうがよかったのかも…。
孤独な時間もやり方しだいでは有意義に過ごすことも出来るはず。でも、末摘花は一人でいるのが充実するタイプでもなさそうですし、かといって友達付き合いをしても楽しいかどうかは疑問です。須磨での源氏が嘆き悲しみ、京を懐かしがりながら、絵を描き、歌を詠んだのとは対照的です。一人の時をどう過ごすか、それを自分の糧に出来るかはその人次第、ということなのかもしれません。
「召使いにしてやろう」口先だけの性悪叔母さんの目論見
末摘花を見放していく人が多い中、侍従という女房だけは忠実に仕えていました。彼女は乳姉妹で、源氏との初夜に、ろくな返事ができない末摘花に変わって、気の利いた返事をした賢い女房です。
侍従は母の遺言にしたがって、末摘花を守っていましたが、ここの仕事だけでは食べていけないのでダブルワーク中。その仕事先が、末摘花の叔母の家でした。この人は末摘花の母親の妹で、高貴な生まれのくせにどこか卑しいところがあり、受領と結婚。この件で末摘花の両親から軽蔑され疎遠になりました。今も縁の薄い親族です。
「お姉様は私のことを家の面汚しだと思って亡くなられたので、姫君が一人ぼっちでもお世話するのがはばかられてねぇ」。叔母はそのことを根に持っていましたが、侍従を通じてたまに連絡を取っていました。それも、同情や親切心からではなく「あの姫をうちの娘達の召使にしてやろう。ちょっと古臭いけど、育ちはいいんだし、まぁ安心だわ」という、見栄と復讐が入り混じった気持ちから。ろくでもない叔母さんです。
表向きは「ときどき家にお出でになって下さいまし。娘達にお琴などを聞かせてやって下さい」と下出にでますが、コミュ障の末摘花が出かけるはずもなく、叔母さんの目論見は大外れ。思い通りにならないイライラが募ります。
そのうち、叔母の夫が太宰大弐に出世して、九州へ栄転することになりました。出立を前に「遠くに行きますから、あなたをここに残すのが気がかりで。一緒に参りましょうよ。今までは近くにいる安心感もあって、なかなかお見舞いもしなかったんですよ」などと体の良いことを言って、なんとか連れ出そうとします。
それでも末摘花は首を縦に振りません。なかなか頑固な彼女に叔母さんは「本当にムカつく。ずいぶんお高くとまっているようだけど、あんなオンボロ屋敷に埋もれた人を、源氏の君が大事にしてくださるものか」。
そう、末摘花は「源氏が帰って来た時、私のもとにきっと来てくれる」と固く信じていました。源氏にとっては大誤算で、「あの顔じゃ自分以外の男は逃げ出すだろう」と思って、生活の面倒を見ていただけですが、彼女からすれば源氏は「生涯でただ一人の夫」なのです。
親の言いつけを忠実に守り、世間ずれすることなく、ただひたすら真面目に夫(自分で思い込んでいる)を待つ。コミュ力もセンスも友達もないぼっちの末摘花は、草深い森のなかでついに、源氏帰京の一報を聞きます。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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