海外メディアMedicalPressは、「トロッコ問題」をVRを使って解明しようとした論文を紹介した。
トロッコ問題とは
同メディアによると、イギリス・レディング大学の学際的研究グループは、心理学および倫理学において有名な「トロッコ問題」について、VRを活用して思考実験ではなくリアルに体験した場合のヒトの反応を調査した実験結果をまとめた論文「倫理的行動をシミュレートする:バーチャルな倫理的ジレンマにおける個人への強制力に関する考察」を発表した。
同論文で論じられている「トロッコ問題」とは、一人のヒトを犠牲にして多数のヒトを助けられる状況における行動の矛盾を突いた思考実験である。
この問題は、まず以下のような状況を想像するところから始まる。
(状況1)線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。
この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?
以上のように想像してもらったうえで、次の質問に答えてもらう。あなたは道徳的に見て「分岐器を動かす=B氏を犠牲にして5人を助ける行為」が「許される」か、あるいは「許されない」か。なお、A氏は分岐器を動かしたとしても、法的責任は発生しないものとする。
問われているのは「5人を助ける為に他の1人を殺してもよいか」という問題である。「最大多数の最大幸福」を標榜する功利主義に基づくなら一人を犠牲にして五人を助けるべきである。しかし、「いかなる場合でもヒトの命を奪うべきではない」と唱える義務論に従えば、何もするべきではない。
次に、類似した以下のような状況を想像してもらう。
(状況2)A氏は線路の上にある橋に立っており、A氏の横にC氏がいる。C氏はかなり体重があり、もし彼を線路上につき落として障害物にすればトロッコは確実に止まり5人は助かる。だがそうするとC氏がトロッコに轢かれて死ぬのも確実である。C氏は状況に気づいておらず自らは何も行動しないが、A氏に対し警戒もしていないのでつき落とすのに失敗するおそれは無い。C氏をつき落とすべきか?
状況2を想像してもらった後、再び次のように質問する。あなたは道徳的に見て「C氏をつき落とす=C氏を犠牲にして5人を助ける行為」が許されるか、あるいは「許されない」か。なお、状況2では「A氏が自ら犠牲となる」という選択肢は、A氏がC氏より体重が軽いため実行できないものとする。
以上のような倫理的ジレンマに陥るふたつの状況について判断してもらうと、多くのヒトが状況1では功利主義的判断(分岐器を動かす)を容認するのに対し、状況2では義務論的判断(C氏をつき落とさず、5人を救わない)を支持する。
トロッコ問題で重要なのは、ヒトは置かれている状況によって、異なった道徳律に従う傾向が認められる、という点だ。この傾向を角度を変えて見れば、「ヒトはひとつの道徳律に従わない、主義一貫性に欠ける行動規範を持っている」と言うことができるのだ。
「トロッコ問題」をリアルに体験する
レディング大学の研究チームは、以上のよなトロッコ問題を思考実験ではなく、バーチャルに体験したらヒトはどのように行動するか、という実験を行った。
その時、ヒトは分岐器を動かすか?
実験では、まずトロッコ問題における状況1(分岐器を動かすことによって、一人を犠牲にして5人を助ける)をバーチャルに再現する以下のような実験環境を用意した。VRヘッドセットこそ使われていないまでも、ディスプレイにリアルに線路の映像が映し出され、実際にバーチャルな分岐器も被験者に持ってもらう。
被験者には、事前にトロッコ問題における状況1の思考実験を行ったもらったうえで、思考実験ではなくバーチャルに状況1を体験してもらった。
バーチャルに状況1を体験した時のリアクションを、思考実験の回答と比較してグラフ化したのが、以下の画像である。
思考実験の段階では、「分岐器を動かす=一人を犠牲にして5人を救う」という判断を容認したのが30%程度、実際に分岐器を動かすだろうと答えたヒトが40%弱だったに対し、バーチャルに体験した場合は60%弱のヒトが功利主義的行動=分岐器を動かすを実行した。
その時、ヒトは背中を押すか?
状況1と同様に、状況2についてもバーチャルに体験できる実験環境を構築した。その実験環境の模式図が以下の画像である。
状況2に関する実験環境は、次のようなものである。まず被験者にはOculus Riftを装着してもらって、陸橋の前に立っていて近くに(突き落とすかも知れない)ヒトがいるバーチャル映像が見えるようにする(本記事トップ画像参照)。
実験環境では、ヒトをつき落とす感触をリアルに体験してもらうためにゴム製のトルソー(胴体部分だけの彫像)を用意して、被験者がヒトをつき落とす時には実際にこのトルソーを押してもらうようにする。ちなみに、トルソーはスプリングで固定されているのでつき落とす時には、大きな力を加えないとならない。
実験では、トルソーのほかにジョイスティックを操作すれば、バーチャル空間内のヒトをつき落とすことができる仕組みも用意した。
被験者には、事前にトロッコ問題における状況2の思考実験を行ったもらったうえで、以上のような実験環境を使ってバーチャルに状況2を体験してもらった。バーチャルに状況2を体験した時のリアクションを、思考実験の回答と比較してグラフ化したのが、以下の画像である。
実験した結果、思考実験の段階では状況2において功利主義的判断(一人をつき落として5人を救う)を容認するヒトの割合、および実際に「5人を救う=一人をつき落とす」功利主義的行動をすると答えた割合が10%前後だったのに対し、バーチャルに状況2を体験するとトルソーを押す割合は60%弱、ジョイスティックでつき落とす操作をする割合に至っては60%を上回った。
実験結果からの帰結
以上の実験結果から、以下のような帰結が得られるのではないだろうか。
思考実験の段階では道徳律に関する首尾一貫性の欠如(状況1では功利主義を支持し、状況2では義務論を支持する)が認められたのに対し、よりリアルに近いバーチャルな実験環境では、どちらの状況でも功利主義的行動を選択することが認められた。言い換えれば、バーチャルな実験環境では、道徳律に関して首尾一貫性があったのだ。
まとめると、「トロッコ問題」に見られる道徳律にまつわるジレンマとは、実は思考実験が生み出した幻想なのではないか、と言うことができるかも知れない。
いずれにしろ、VRテクノロジーを活用すれば、今までは思考実験に基づいて論じていた事柄をよりリアルに近い状況に基づいて考察することが可能となるのだ。この「思考実験をバーチャル実験に置き換えて検証する」アプローチは、今後大きな成果が期待できるのではないだろうか。
ソース:MedicalPress
https://medicalxpress.com/news/2017-10-vr-psychopathic-traits-greater-good.html
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