滝のしぶきや海の波打ち際、雨粒が舞う空間……私たちの周りには、想像以上にたくさんの“水の微粒子”が飛び交っています。
アメリカのスタンフォード大学(Stanford Univ.)で行われた研究によって、こうした水滴同士のわずかな衝突や分裂の瞬間に、極小の電撃「マイクロライトニング(微小放電)」が飛び、その放電によって生命の材料となる有機分子をつくり出す可能性が示されました。
生命の元となる有機分子はかつては激しい雷によってもたらされたと思われていましたが、実は小さな水滴の起こす電撃で十分だったのかもしれません。
研究内容の詳細は『Science Advances』にて発表されました。
目次
- 生命材料の構築に必要なエネルギーは強力な雷とは限らない
- 水滴が生命誕生の原動力だった
生命材料の構築に必要なエネルギーは強力な雷とは限らない
1950年代に行われた「ミラー=ユーレイ実験」では、雷のような強い放電とメタンやアンモニアなどのガス、大量の水を組み合わせることで、生命の材料となるアミノ酸などの有機分子を人工的につくれることが示されました。
これは「稲妻がエネルギー源となり、初期地球の大気中で有機物が増えていったのではないか」という説を大きく後押しした実験です。
ただし、実際の地球規模で考えると、あのように激しい稲妻はそれほど頻繁に発生せず、海や大陸上で一定量の有機分子を十分に作り出せたかどうか、長年疑問の声もありました。
一方で、大迫力の雷放電よりはるかに小さなスケールで起こる「微小な水滴が生み出す放電」にも注目が集まっています。
雷が起こる嵐雲の中では、水滴や氷が激しくぶつかり合って電荷が分離し、大気を貫く放電が走ります。
しかし、滝や波しぶきのように水滴が盛んに飛び散る場所でも、大きい水滴がプラス、小さい水滴がマイナスの電荷を帯びて衝突することがあり、その瞬間に極めて小さな“火花”が発生することが知られています。
もしこれが、雷ほど珍しくない頻度で生命の材料を合成しうるなら、地球全体で見た場合、稲妻以上の大きな役割を果たした可能性があるのです。
そこで今回研究者たちは、スプレー状に噴霧した水滴が合体・分裂する瞬間に生じる微小放電に着目し、そのとき発生するエネルギーがどんな化学反応を引き起こすのかを詳細に調べることにしました。

調査に当たってはまず、音響の力で浮かせた単独の水滴を観察するというユニークな手法を用いました。
音波を使った特殊な「アコースティック・リフテーション装置」を使うことで、水滴を宙に留めたまま大きさや変形のタイミングを自在にコントロールし、そこで発生する微小な火花(マイクロ放電)を高感度のカメラや光センサーで直接検出できるのです。
さらに、スプレー状に噴霧した水を高速で飛ばす実験も併行して行い、そこにさまざまなガスを混合して質量分析計(MS)へ送り込みました。
こうして、どのような化学種が新たに生じるかをリアルタイムで解析したのです。
実験では、水滴が分裂するとき、想像以上に強い電場が生じることが確認されました。
例えば、直径の異なる水滴どうしが接近する際には、わずかな距離でもきわめて高い電位差が発生し、目に見えるほどの微光を放つ“マイクロライトニング”が観測されました。
質量分析の結果、この放電によって周囲のガス分子がイオン化されるだけでなく、炭素と窒素が結合した有機分子(アミノ酸や塩基など)が新たに作られていることが示されたのです。
さらに、水をH₂OではなくD₂O(重水)に置き換えると、生成される分子に重水由来の成分が取り込まれていることもわかり、水滴との相互作用が確かに反応に関わっていることを裏づけました。
以上の結果は、雷のように大きな放電を必要とせず、ありふれた水しぶきの衝突だけで生命の基盤となる分子が生まれる可能性を示しています。
滝や波しぶき、さらには日常的に見られる霧や水の噴霧など、地球上あらゆる場所で無数に起こりうる水滴の分裂現象が、実は長い地球の歴史の中で“有機物の創出工場”として機能していたかもしれないのです。
この事実は、これまで雷放電に頼るシナリオだけでは説明しきれなかった「生命の材料が地球上にどのように広まったのか」を理解する新しい視点をもたらす、きわめて重要な発見だといえます。
水滴が生命誕生の原動力だった

今回の研究は、私たちの周囲でごく当たり前に起きているはずの水滴の分裂が、意外にも強力な化学反応のエネルギー源になりうることを示唆しています。
これまで、初期地球の大気中にあった無機分子がアミノ酸や核酸塩基といった「生命の材料」へと変化するには、巨大なエネルギー源(雷など)が必須だと考えられてきました。
しかし実際には、稲妻のような派手な放電はそれほど頻繁には起こりません。
マイクロ放電という小さな現象が、むしろ滝や波しぶき、あるいは雨や霧など、日常レベルで至るところに存在する水滴の衝突を通じて大気中の分子をイオン化し、炭素と窒素の結合をつくり出していた可能性が浮かび上がるのです。
水しぶきが飛び散る現場は地球規模で数えきれないほどあり、雷のように一瞬で高エネルギーを放つ現象より、はるかに広範囲かつ頻度も高いといえます。
つまり、マイクロライトニングが雷放電と同様の化学進化を引き起こしていたとすれば、その総量で見ると稲妻よりも大きな貢献をしたかもしれません。
さらに、水滴同士や水と空気との接触は初期地球だけでなく、いまの地球環境や他の惑星でも普遍的に起こりうるため、生命の起源だけでなく広範な化学反応プロセスの解明に役立ちそうです。
今回の結果からは、生命誕生のシナリオとして従来の「雷がなければ有機物生成は難しい」という仮説を補完する新しい視点が得られます。
自然界にあふれる無数の水滴が合体・分裂をくり返していたとすれば、そのたびに小さな“雷”が発生し、有機分子が合成されていた可能性があるのです。
もちろん、生命を形づくる全プロセスを説明するには、海底の熱水噴出口や隕石衝突など、他の要因も検討する必要があります。
しかし、マイクロ放電という身近な現象がもたらす高エネルギー反応が、地球規模でじわじわと連続的に働いていたと考えると、「どのようにして初期の地球に有機物が広がったのか」という長年の謎に新しい答えの候補を与えてくれるでしょう。
さらにこの現象は、現在の技術開発や環境修復などの分野への応用にもつながるかもしれません。
いま目の前で飛び交う小さな水滴が、生命の物語を紡ぐ大きな力を秘めていると思うと、科学の世界はまだまだ新たな驚きで満ちているように感じられます。
元論文
Spraying of water microdroplets forms luminescence and causes chemical reactions in surrounding gas
https://doi.org/10.1126/sciadv.adt8979
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部