私たちは日々、音楽を聴きながら生活しています。
お気に入りの曲が流れると、ふと過去の思い出がよみがえってくることも少なくありません。
でも、音楽が単に記憶を呼び起こすだけでなく、記憶そのものを変える可能性があるとしたらどうでしょうか。
ジョージア工科大学(Georgia Institute of Technology)の心理学研究者リン・レン(Lynn Ren)氏とそのチームは、音楽が記憶や感情に与える影響について革新的な研究を発表しました。
彼女らは「音楽を聴くことで、過去の単なる記憶をポジティブな思い出にできる」と報告したのです。
この研究の成果は、2024年7月2日付で『Cognitive, Affective, &Behavioral Neuroscience』誌に掲載され、大きな注目を集めています。
目次
- 記憶と感情に働きかける音楽の力
- 音楽は過去の記憶に伴う感情を変化させる
- 今聴く音楽が思い出に色を添える!
記憶と感情に働きかける音楽の力
映画を観ていて、BGMが場面の感動や緊張感を引き立てる経験をしたことはありませんか。
例えば、主人公の成功シーンに力強い音楽が流れると、そのシーンが特別な意味を持つように感じられます。
映画を見終わってしばらくしてからも、その音楽を聴くたびに、映画の特定のシーンを思い出して気持ちが昂るはずです。
このように、音楽は感情や記憶に深く働きかける力を持っています。
それは、音楽が脳の感情を司る扁桃体や記憶を形成する海馬といった部位を活性化させるためです。
これまでの研究でも、音楽がその時の感情に影響を与えたり、さらに過去の出来事を想起させる強力な引き金になったりすることが示されています。
そこでレン氏ら研究チームは、音楽にこの2つを組み合わせたような効果があるかもしれないと考えました。
つまり、「音楽を使って、呼び起こされた記憶に感情的な上書きをする」という仮説を提案したのです。
この仮説は、既存の「記憶は再生時に更新される」という理論を基盤にしています。
この理論によれば、記憶は再生されるたびに一時的に不安定な状態になり、新しい情報や感情的要素が加えられる可能性があるのです。
では、音楽はそのような可能性を秘めているのでしょうか。
研究者たちは、この仮説を検証するために、実験的に調べました。
音楽は過去の記憶に伴う感情を変化させる
研究チームは、44名の学生を対象に3日間にわたる実験を行いました。
まず1日目は、参加者に感情的に中立な短い物語を覚えてもらいました。
この”中立的な記憶”を基盤にすることで、音楽が記憶に与える影響をより明確にするためです。
そして2日目、参加者は物語を思い出す際に、ポジティブな音楽、ネガティブな音楽、または無音のいずれかの条件下で再生しました。
ここで使用された音楽は映画のサウンドトラックであり、感情を引き出す力が高いものが選ばれました。
最終日には、再び音楽なしで物語を思い出してもらい、その内容がどのように変化したかを分析しました。
加えて実験中にはfMRI(機能的磁気共鳴画像法)を使って脳の活動を観察し、どの部位がどのように関与しているかを調べました。
その結果、ポジティブな音楽を聴きながら物語を思い出した場合、その記憶がよりポジティブな感情要素を含むようになり、逆にネガティブな音楽を聴いた場合はネガティブな感情が付加されていることが分かりました。
しかも、これらの変化は翌日になっても持続し、たとえ音楽を聴いていなくても、感情は残っていました。
音楽が記憶に与える影響が一時的なものではないことが明らかになったのです。
さらに、脳の活動データから、音楽を伴う記憶再生時に扁桃体と海馬、さらには視覚や情報処理に関与する領域の結びつきが強化されていることが確認されました。
これは、音楽が感情と記憶を結びつけるだけでなく、記憶の再構築そのものを助ける役割を果たしている可能性を示しています。
つまり私たちは、音楽を使って、呼び起こされた記憶に感情的な上書きをすることができるのです。
例えば、ポジティブな音楽を聴くことで、過去の単なる記憶をポジティブな思い出に変換できる可能性があります。
この結果を応用するなら、私たちの日常は大きく変化するかもしれません。
今聴く音楽が思い出に色を添える!
この研究が示唆するのは、音楽が記憶や感情を柔軟に変える力を持っているという点です。
例えば、何気ない日々であったとしても、それらの出来事をポジティブな音楽を聴きながら振り返ったり思い出したりすると、それがよりポジティブな思い出として残る可能性があります。
逆に、ネガティブな音楽を頻繁に聴いていると、過去の些細な出来事が否定的な感情と結びついてしまうことも考えられます。
また、この知見は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)やうつ病など、ネガティブな記憶に苦しむ人々への音楽療法の応用にもつながる可能性を秘めています。
適切な音楽を使えば、辛い記憶に新しいポジティブな感情を加えることで、心理的な負担を軽減できるかもしれないのです。
私たちが耳にする日々の音楽が、瞬間的な楽しみではなく、私たちの人生そのものを形作る存在であることを、ぜひ意識してみてください。
次にお気に入りの曲を再生するとき、それが思い出にどのような色を添えるのか、想像してみるのも楽しいかもしれません。
参考文献
Can music heal emotional wounds? New research suggests it might
https://www.psypost.org/can-music-heal-emotional-wounds-new-research-suggests-it-might/
Neuroscientists explore the intersection of music and memory
https://medicalxpress.com/news/2024-08-neuroscientists-explore-intersection-music-memory.html
元論文
Affective music during episodic memory recollection modulates subsequent false emotional memory traces: an fMRI study
https://doi.org/10.3758/s13415-024-01200-0
ライター
大倉康弘: 得意なジャンルはテクノロジー系。機械構造・生物構造・社会構造など構造を把握するのが好き。科学的で不思議なおもちゃにも目がない。趣味は読書で、読み始めたら朝になってるタイプ。
編集者
ナゾロジー 編集部