「僕はキリストです」「いやいや、私こそ真のキリスト」「何を若造が、キリストはワシじゃよ」
1959年7月、アメリカで前代未聞の心理実験が行われました。
自らをイエス・キリストだと信じ込んでいる3人の妄想患者を一緒に生活させて、何が起きるかを実験したのです。
これは「イプシランティの3人のキリスト」(The Three Christs of Ypsilanti)」と呼ばれ、1964年には同名の研究書として出版もされました。
もちろんこの実験は面白半分で実施されたわけではなく妄想の治療として実施されたものですが、後に厳しい批判を受けることになります。
いかにも何か良からぬことが起こりそうですが、さて、3人の自称キリストの対面はどんな結末を迎えたのでしょうか?
目次
- 「3人のキリスト実験」を思いついた背景とは?
- キリスト同士の殴り合いが勃発!
- 3人のキリスト実験の結末とは?ロキーチ「妄想に陥っていたのは私の方だった…」
「3人のキリスト実験」を思いついた背景とは?
「イプシランティの3人のキリスト」を主導した研究者は、アメリカの社会心理学者ミルトン・ロキーチ(1918〜1988)です。
ロキーチはある日、文化や政治、芸術を扱うニューヨークの月刊誌『ハーパーズ・マガジン』にて、興味深い記事を目にしました。
そこには自分のことを「聖母マリアだ」と信じ込んでいる2人の女性の対面について記されていたのです。
2人はある精神病院のルームメイトとして同室を割り当てられ、一緒に生活するよう指示されました。
当然ながら最初のうちはお互いに「私がマリアよ」「いや、私こそマリアよ」と主張し合っていましたが、次第に片方の女性が「この人がマリアだとすれば、私は自分のアイデンティティを見誤っているに違いない」と気づき、妄想性疾患から抜け出すことができたのです。
ロキーチはこの記事を読んだことがきっかけで、新たな心理実験の着想を得ました。
彼が焦点を当てたのは、世界史上で最も有名な人物といって過言でない「イエス・キリスト」です。
3人の「自称キリスト」の初対面
そこでロキーチは同じ方法を用いて妄想型統合失調症患者を治療できるかどうかを検証すべく、3人の「自称キリスト」を集めました。
当時ロキーチがいたミシガン州には「我こそキリスト」を名乗る妄想患者が10人ほどいたため、自称キリストを集めるのはさほど難しくありませんでした。
そして1959年7月1日、ロキーチの勤めていた同州のイプシランティ州立病院に3人の”キリスト”が呼ばれます。
1人目は大学を中退した後、統合失調症を患っていた38歳の男性、レオン・ゲイバー。
2人目は20年前まで作家をしていたが、統合失調症を発症して施設に収容されていた58歳の男性、ジョセフ・カッセル。
3人目は認知症を患っており、農業を営んでいた70歳の老人クライド・ベンソンです。
彼らはともに「我こそはイエス・キリストである」と信じて疑っていませんでした。
そしてロキーチは3人を対面させ、同じ病室に寝泊まりさせて、2年間を一緒に過ごさせたのです。
さて、3人はお互いをどう見たのでしょうか?
キリスト同士の殴り合いが勃発!
ロキーチはレオン(38)、ジョセフ(58)、クライド(70)の3人を引き合わせて、各々がイエス・キリストであると紹介しました。
すると案の定、自分こそキリストだと信じ込んでいる3人は互いに相手を嘘つき呼ばわりし、その場が混乱し始めます。
最初に口火を切ったのは元作家のジョセフであり、「私がキリストであり、この人たちは嘘をついている!」と主張しました。
それに対し、レオンは「違うだろ、あんたは偽物だ!」と罵ったり、クライド老人は「ワシが神であり、イエス・キリストであり、聖なる御霊である」と繰り返し続けたのです。
またレオンはこのセッションが精神的な拷問であり、ロキーチが自分たちを洗脳しようとしていると声を荒げました。
最初の顔合わせは混乱のまま幕を閉じましたが、これで終わりではありません。
彼らはその後2年間、隣り合わせのベッドで寝食を共にし、病院内の洗濯室で同じ仕事を任されたため、四六時中、一緒にいなければならなかったのです。
そして3人は誰一人としてお互いの立場を譲り合うことはありませんでした。
顔を合わせれば「私がキリストだ」「だから僕がキリストなんだって」「たわけが、ワシが真のキリストなのじゃ」と口喧嘩をし、次第に不満を募らせていきました。
ついに3人は誰が本当のキリストであるかを巡り、殴り合いにまで発展することもあったといいます。(本当のイエスなら暴力は振るわないと思いますが…)
いつまで経っても事態が進展しないため、ロキーチは3人の間に介入の手を入れ始めました。
3人のキリスト実験は当時から地元紙に取り上げられていたため、ロキーチはこの記事を3人に読ませ、それが自分たちのことだと認識させて、妄想から引き出そうと試みたのです。
ところが3人は共に、記事内で取り上げられている妄想患者が自分たちのことだと気づかず、「変な奴がいるもんだ」と我関せずだったといいます。
さらにロキーチは女性の研究助手に対し「レオンにアプローチをかけるよう」指示し、恋愛関係に発展させることで妄想から解放しようとしました。
目論見通り、レオンは研究助手の女性に恋をしたのですが、のちにそれが嘘だったことに気づき、自分の殻の中に引きこもってしまったのです。
その際、レオンは「真実こそ私の友であり、その他に友人はいない(Truth is my friend, I have no other friends)」と呟いたといいます。
しかし3人は毎日続く口論に疲れ果てたのか、お互いの関係性において変化を起こし始めます。
3人のキリスト実験の結末とは?ロキーチ「妄想に陥っていたのは私の方だった…」
口論に疲れた3人は次第に互いの妄想に合わせて振る舞うようになったり、また「誰が本当のキリストか」といった話題を避けるようになりました。
彼らはそれぞれ「自分がキリストである」という信念を持ちながら、他の2人とうまく共生する方法を編み出し始めたのです。
例えば、クライド老人は「他の2人はすでに死んでしまっており、内側から機械によって動かされているだけなのだ」とロキーチに話すようになりました。
またレオンは2人の主張を「注目を集めるためにわざわざ嘘をついているんだろう」と考えるようになります。
それからジョセフは他の2人について、そのものずばり「妄想性の精神疾患を患ってしまったのだろう」と結論づけました。
その後も3人がそれぞれの信念を曲げることはありませんでしたが、お互いの関係性は実験開始時に比べて大きく変わっていました。
彼らは誰が本物のキリストかを議論するのをやめて、友達にさえなり、毎日のたわいもない会話をし合って、お互いを守り始めたのです。
結局、3人を妄想から解放することはできないと判断したロキーチは2年間に及ぶ実験を終了し、彼らを解放しました。
ロキーチはこの実験内容をまとめ、1964年に『イプシランティの3人のキリスト』(The Three Christs of Ypsilanti )として出版します。
この研究は心理学者の間で話題を集めたものの、一部からはその非倫理的な実験内容について強い批判を受けています。
実際に3人のキリスト実験はレオン、ジョセフ、クライドに精神的苦痛や肉体的疲労を与えただけでなく、ロキーチが3人に心理的揺さぶりをかけようと、多くの不正や介入を行っていたからです。
こうした批判を受けて、ロキーチは自らの過ちを認め、1984年版の同書の後書きにて謝罪の言葉を記しています。
ロキーチは「たとえ科学の名においてだろうと、神のまねごとをしたり、日常生活へ夜昼なしに介入する権利が私にあるはずがない」と述べました。
さらに彼はこの実験で3人のキリストたちを治療することはできなかったが、「患者がその信念を捨てるよう操作できるという、自分を神のごとき存在と考える私の妄想は治った」と話しています。
ちなみにこの物語は2017年に『3人のキリスト』として映画化もされました。
トレーラーはこちらです。
参考文献
The True Story Behind The Failed Psychological Experiment Of The Three Christs of Ypsilanti
https://allthatsinteresting.com/three-christs
Three Thrown Over the Cuckoo’s Nest
https://www.damninteresting.com/three-thrown-over-the-cuckoos-nest/
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
ナゾロジー 編集部