その方向に何があるのでしょうか?
アメリカのコロンビア大学(CU)などの研究チームが、実験の末に「一方向に移動しているときだけ有効質量を持つ」という、これまでにない奇妙な粒子を発見しました。
研究者たちは「たとえば北へまっすぐ進んでいる間は“質量ゼロ”なのに、東や西へ90度曲がった途端に“質量”が発生するような状態」と、その異様さを表現しています。
この不思議な性質は、16年前に理論的に予測されていた「セミディラックフェルミオン」と呼ばれる準粒子と一致するもので、今回はそれが初めて実際の固体材料で確認されたのです。
セミディラックフェルミオンは、私たちになじみ深い電子と、有効質量ゼロのディラック電子(理研でも観測例がある)を“掛け合わせた”ような存在といえます。
研究者らは、この特性を解き明かすことで、物理学の新次元へと踏み出すとともに、バッテリーやセンサーなど、既存の技術概念を覆すような新しい応用への道が開けると期待しています。
とはいえ、「進行方向で有効質量が出たり消えたりする」という話は、直観的には受け入れ難いもの。いったいどんな手品で、この不可思議な観測結果が得られたのでしょうか?
本研究の詳細は、2024年12月5日付の『Physical Review X』に掲載されています。
目次
- 一方向に向かう時だけ質量が消える粒子
- 質量が消える仕組み
一方向に向かう時だけ質量が消える粒子
これまでにも、世界中の実験室でさまざまな「変わり種の粒子」たちが見つかってきました。
しかし、セミディラックフェルミオンが放つ奇妙さは、その中でもとびぬけています。
2008~2009年ごろ、複数の理論家が「運動方向によって有効質量が変化する準粒子があり得る」と提案していました。研究者たちはこれを、「北や南へ動いているときは質量ゼロ、東や西へ進むと質量が生じる」と例えています。
物理学的な観点から見ると、「光速で移動する粒子は質量を持たない」とされています。
アインシュタインの特殊相対性理論によれば、光速で飛ぶものに質量を付与することは不可能なのです。
一見すると、セミディラックフェルミオンはこうした理論に反する“変わり者”に見えるかもしれません。
しかし、これは誤解です。
セミディラックフェルミオンは「複数の粒子が集まった準粒子」であり、単独の粒子が負う制約とは異なるふるまいを示すのです。
たとえるなら、一人で100メートルの距離をロープで結ぶことは絶対に不可能ですが、100人が手をつなぎ合えば、その地点とゴールを一瞬で「繋いだ」状態が作れてしまう――ちょっとズルをしているようで、実はこれが準粒子の魅力であり、粒子本来の制限を越えた現象を可能にする力を秘めているのです。
もし粒子の制御ではなく準粒子の制御を焦点に当てた技術を開発できれば、粒子ベースの技術では不可能だったことが実現できるなどの利点もあります。
もっとも、セミディラックフェルミオンの「質量が消えたり現れたりする」性質を実際に観測するのは、そう簡単ではありません。
そこで研究チームが注目したのが、ジルコニウム、シリコン、硫黄から成る半金属ZrSiSでした。
この結晶は平時は金属的な電気伝導性を示しますが、極限状態においては内部で電子があたかも“渦”を巻くような量子効果が期待されていました。
さらに、セミディラックフェルミオンはグラフェンのような2次元的構造で現れるとされていましたが、ZrSiS結晶もまた、極めて薄い2次元層を形成する特性があることが知られていたのです。
そこで研究者たちは、ZrSiS結晶を絶対零度近くまで冷却し、超高磁場をかけるという過酷な条件を用意しました。
その結果、結晶内部には量子効果が顕著に表れ、電子がさまざまな方向に流れ出すような状態が生まれたのです。
こうして結晶内部で量子効果が目覚めると、電子たちは「あたかも渦を巻く」ような複雑な流れを示し始めました。
その結果、セミディラックフェルミオンの存在を示す鍵となる、「あらゆる方向へ流れ出す電子たち」が出揃ったのです。
ここで重要なのは、この電子たちがどの方向に動いているのか、その状態がどうなっているのかを正確に見極めることです。
もしこれに成功すれば、セミディラックフェルミオンが実在する決定的な証拠をつかむことができます。
研究者たちは、この結晶状態に光を当てて“光学的応答”を測定することにしました。
光がどう反射・透過されるかを調べることで、内部の電子配置やその振る舞いを読み解く手法です。
すでに数々の研究で実績があり、物質内部の異常な状態をあぶり出すのにも向いています。
その結果、通常では考えられない観測データが得られました。
特に、電子の進む経路と「交差点」に注目すると、面白い現象が浮かび上がったのです。
磁場をかけている方向(N-S極)に沿って電子が動くと、有効質量が消失したかのような状態になる一方、直行する方向に向かうと、今度は有効質量が発現するかのように見える——まさに理論で予測されていたセミディラックフェルミオンの特徴そのものです。
こうした不思議な観測結果を前に、研究者たちは実験と理論の両面から徹底的な分析を敢行。
その結論は、2008~2009年にかけて理論的に示唆されていたセミディラックフェルミオンが、現実の結晶内部でついに初めて確認された、というものでした。
もっとも、電子が「質量を失う」ように見えるこの現象は、私たちの日常感覚からすれば到底理解しがたいでしょう。
次のページでは、研究者自身の言葉を交えながら、結晶内部でどのようにして「質量が消えたかのような」状態が生まれるのかを、研究者たちの言葉をもとに噛み砕いて説明していきます。
質量が消える仕組み
なぜ、結晶内部の電子は「質量を失った」ように見えるのでしょうか?
プレスリリースでも研究者たちは、「もし粒子が本質的に高速で移動する“純粋なエネルギー”の状態にあるなら、その粒子は質量を持たない可能性がある」と指摘しています。
もっと平たく言えば、ある方向へ動く電子のエネルギー状態が、普通なら質量を持つはずの「電子的な状態」から、質量を持たない「光子的な状態」へと切り替わり得る、ということです。
つまり、一方向に向かうときだけ粒子が急激に加速して、別の方向では遅くなるような状況を作り出せば、理論で予想されていたセミディラックフェルミオンが「顔を出す」可能性があるわけです。
今回の実験では、ZrSiS結晶を極限的に冷却し、超高磁場をかけることで、内部の電子がいろいろな方向へ自由に流れる不思議な環境を用意しました。
さらに、結晶内部の「電子の交差点」に焦点を絞ることで、磁場方向に沿って走る電子と、その直角方向へ逃げる電子を、細かく観察できるようにしたのです。
その結果、ある地点までは電子が高速ルートを駆け抜け、まるで「質量ゼロ」の粒子のような超高速状態を示すにもかかわらず、交差点で方向転換した途端、抵抗に遭い、「質量を持つ」状態へ戻ることがわかりました。
研究者たちはこの現象を、「高速鉄道に乗っていた粒子の列車が、交差点で普通の線路に逸れて減速し、質量を再びまとったようなもの」と、特殊相対性理論になぞらえつつ解説しています。
もちろん、結晶中の電子が本当の光速で飛び回っているわけではありません。
あくまでエネルギー状態が光子のような性質へ近づいたり、遠ざかったりしているにすぎません。
しかし、アインシュタインの相対性理論をイメージすると、この現象が「なるほど」と思えるはずです。
(※つまり光速なら質量ゼロ、止まれば質量有り、という単純な対比で理解できるのです。)
今回の研究により、結晶内部という特殊な舞台で、電子は「質量を失い」そして「質量を帯び直す」――まるで相対性理論の一幕を模倣したかのような不思議なふるまいを見せることが明らかにされました。
理論が唱えられて以来、誰も実証できなかったセミディラックフェルミオンの姿が、ようやく現実の物質中で確認さのは大きな前進です。
研究者たちは、この発見がすぐに実用化へ直結するとは限らないとしていますが、全く新しい概念にもとづくバッテリーやセンサーの開発の基礎になり得ると述べています。
参考文献
Particle that only has mass when moving in one direction observed for first time
https://www.psu.edu/news/research/story/particle-only-has-mass-when-moving-one-direction-observed-first-time
元論文
Semi-Dirac Fermions in a Topological Metal
https://doi.org/10.1103/PhysRevX.14.041057?_gl=1*1dwb3ya*_gcl_au*MTQ1MjgyNDczMS4xNzMyNjY0MTEx*_ga*NDc0MDg5NTkwLjE3MjAzOTI3NTM.*_ga_ZS5V2B2DR1*MTczNDA3ODk1NC40NC4wLjE3MzQwNzg5NTQuNjAuMC43MTEwMTc5NTg.
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部