私たちは毎年、巨大な台風により大きな被害を受けます。
また突発的な地震や津波によって衝撃的な経験をし、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱える人もいます。
では、そのような辛い経験から立ち直るために、何が助けとなるでしょうか。
最近、筑波大学に所属する征矢 英昭 氏ら研究チームは、習慣的な運動が、トラウマを抱えたラットの恐怖記憶の消去を促し、立ち直らせると報告しました。
もしかしたら、人間のPTSD患者にも習慣的な運動が効果的なのかもしれません。
研究の詳細は、2024年8月付の学術誌『Medicine &Science in Sports &Exercise』に掲載されました。
目次
- 自然災害がもたらすトラウマ
- 習慣的な軽運動がラットの恐怖記憶の消去を促進
- 習慣的な軽運動がPTSDの治療や予防に役立つかも
自然災害がもたらすトラウマ
自然災害が多い日本に住む人は、台風や地震、津波などによって、命の危険を感じたり、家族や友人を失ったりすることがあります。
実際にそのような経験をした人は、災害から一定の期間が過ぎても、その時の体験や記憶を無意識に思い出したり、夢に見たりすることが続くかもしれません。
これにより日常生活に支障が出ることを、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と言います。
例えばある人は津波を経験し、先ほどまで後ろにいた人が流されて消えた時の光景が忘れられません。
それから数カ月も経っているのに、度々、その時の映像や音、ニオイがフラッシュバックし、苦しめられるのです。
私たち自身が、そのような症状で悩むこともあれば、家族や友人がそうである場合もあるでしょう。
では、そのようなPTSDを和らげるために、比較的簡単に取り組める治療方法はあるでしょうか。
近年、運動がPTSDの予防や治療に有効だとする報告が散見されるようになりました。
しかし、その条件やメカニズムについては明らかになっていません。
そこで今回、征矢氏ら研究チームは、ラットを用いた実験により、PTSDと運動の関係性を分析することにしました。
習慣的な軽運動がラットの恐怖記憶の消去を促進
実験では、まずPTSDの動物実験モデルとして、電気刺激によってトラウマを植え付けられたラットが準備されました。
このラットは、過去の経験から、電気刺激を与えずとも、チャンバー内に置かれるだけで立ちすくみ行動(恐怖反応)を起こします。
そしてこのラットには、動物用のランニングマシンを用いて4週間の運動を行わせ、その後チャンバー内に入れるテスト(計2日間)で、立ちすくみ時間の比較を行いました。
ちなみにラットたちは、①低強度運動群、②中強度運動群、③安静群 の3グループに分けられました。
その結果、最初はどのグループのラットも立ちすくみ行動を示しましたが、習慣的に運動を行ったラットは、徐々に立ちすくみ時間が減少しました。
チャンバー内に置かれた直後は、3つのグループすべてで、立ちすくんでいる時間の割合が大きいですが、その後は、運動群と安静群で大きな違いが出ます。
運動を行った2つのグループでは、運動強度にかかわらず、時間の経過と共に、立ちすくみの減少が見られたのです。
しかも運動群の立ちすくみ時間の減少はテスト1日目から有意に見られ、二日目も同様でした。
これらの結果は、たとえ低強度だったとしても、習慣的な運動が恐怖反応を低減することを示しています。
では、どうして運動が効果的だったのでしょうか。
習慣的な軽運動がPTSDの治療や予防に役立つかも
PTSDの治療には、恐怖記憶に関連する過剰な反応を減らすことが重要です。
トラウマや恐怖体験に関連する記憶を完全に忘れさせるのではなく、その記憶に対する恐怖や不安の反応を軽減することが大切なのです。
そしてこの過程を「恐怖記憶の消去」と呼びます。
これを生じさせるには、恐怖を引き起こす刺激を安全な状況で繰り返し体験し、脳がその刺激を「恐怖を感じるべきではない」と再学習しなければいけません。
例えば、恐怖体験をした人が、特定の音に対して強い恐怖を感じる場合、その音を安全な環境で徐々に体験していくことで、彼らの脳は音に対して恐怖を感じなくなります。
この再学習では、記憶や学習に関わる海馬が大きな役割を担っています。
そしてPTSDの原因の1つに、海馬の機能不全が挙げられています。
海馬が正しく機能しないゆえ、いつまで経っても再学習が進まず、恐怖から解放されないというわけです。
過去の研究により、低強度の運動が海馬を活性化させると判明していました。
そして今回の研究では、低強度の運動で、実際に恐怖記憶の消去が促進されることも分かりました。
これらの結果からすると、ラットでは、習慣的な運動が海馬を活性化させて再学習効果を高め、結果として恐怖記憶の消去が促されると考えられます。
さらに今回の研究では、運動による海馬の活性化において、BDNF(脳由来神経栄養因子)と呼ばれる脳内タンパク質の作用の高まりが関係していることも分かりました。
こうした結果は、人間のPTSD治療にも役立つ可能性があります。
習慣的な運動を導入した新たな「治療・予防プログラム」が、人々を辛い症状から解放するかもしれないのです。
PTSD患者はうつ症状を併発していることが多く、彼らは習慣的に運動することを難しく感じているため、比較的継続しやすい軽運動の効果は、彼らの希望となりえます。
人間にとっての軽運動は、運動中に乳酸が急激に増加しないものであり、ウォーキングやジョギング、軽めのサイクリングなどが該当します。
毎日、少しずつ歩いたり、ジョギングしたりする時間を確保するなら、自分や家族、友人の苦しみを和らげることができるかもしれません。
参考文献
習慣的な軽運動が恐怖記憶の消去を促進、PTSDの予防に期待
https://www.tsukuba.ac.jp/journal/medicine-health/20240829140000.html
元論文
Accelerated Fear Extinction by Regular Light-Intensity Exercise: A Possible Role of Hippocampal BDNF-TrkB Signaling
https://doi.org/10.1249/MSS.0000000000003312
ライター
大倉康弘: 得意なジャンルはテクノロジー系。機械構造・生物構造・社会構造など構造を把握するのが好き。科学的で不思議なおもちゃにも目がない。趣味は読書で、読み始めたら朝になってるタイプ。
編集者
ナゾロジー 編集部