競技者同士の激しい接触があるスポーツでは、頭部への強い衝撃により脳がダメージを受け、認知機能が低下したり、身体麻痺を起こすリスクがあります。
アメフトやボクシングなどの荒々しいスポーツでは、そのリスクもイメージしやすいでしょう。
しかし、そんな激しい接触には見えなくても、頭部への衝撃は十分危険である可能性があるようです。
英マンチェスター・メトロポリタン大学(MMU)の研究によると、サッカーのヘディング練習が認知機能を低下させ、脳しんとうの症状を引き起こすと指摘されているのです。
研究の詳細は2023年4月20日付で科学雑誌『Frontiers in Human Neuroscience』に掲載されています。
目次
- ヘディングが原因で死亡したサッカー選手も
- 短時間のヘディングでも認知機能が低下した
ヘディングが原因で死亡したサッカー選手も
サッカーにおけるヘディングの衝撃は、私たちが考えている以上に深刻なものです。
スウェーデン・カロリンスカ研究所(KI)の調査では、ヘディングによる衝撃の繰り返しが後年の神経変性疾患のリスク増加と関連していることが明らかになっています(The Lancet, 2023)。
神経変性疾患とは、脳や脊髄の神経細胞が徐々に失われることで、手足がうまく動かせなくなったり、物忘れが多くなる病気です。
同チームの研究によると、ゴールキーパーを除くサッカー選手は一般人の集団に比べて、神経変性疾患にかかるリスクが3.5倍も高かったといいます。
またヘディングの頻度が高いディフェンダーの選手ですと、リスクは約5倍にまで跳ね上がっていました。
実際にヘディングを原因としたサッカー選手の悲劇的な死が過去に報告されています。
イングランドのプロサッカー選手で、ファンから「キング」の愛称で親しまれたジェフ・アストル(1942〜2002)は、ヘディングでゴールを量産した英国の名選手でした。
現役時代はクラブで通算361試合に出場し、174ゴールを決めています。
しかし彼はヘディングをし過ぎたことが原因で脳に深いダメージを負い、2002年に59歳の若さでこの世を去りました。
アストルは晩年、自分の孫の名前も思い出せないほど重篤な認知障害に苦しめられていたといいます。
このようにヘディングにより蓄積した長年のダメージは、選手の尊い命をも奪いかねないほど危険なものです。
またヘディングの悪影響は、アストルのように何度もヘディングを繰り返した場合だけでなく、短時間の練習でも現れることが近年の研究でわかっています。
これは部活動や趣味レベルでサッカーを楽しむ人々にも同じように脳への危険があることを示唆するものです。
短時間のヘディングでも認知機能が低下した
マンチェスター・メトロポリタン大学のスポーツ科学研究チームは、サッカーのヘディングを短時間繰り返すことが脳にどのような影響を与えるかを調べました。
この調査では、日常的にサッカーをプレイする参加者60名(男女同数、平均年齢24歳)を対象としています。
そのほとんどは趣味レベルでサッカーをしている人で、6名はセミプロのサッカー選手です。
またポジションとしては、キーパー5名・ディフェンダー24名・ミッドフィルダー26名・フォワード5名でした。
実験ではまず、この60名を「実際のボールでヘディング練習する群」と「VRヘッドセットでヘディングを仮想的に練習する群」(ともに男女半数ずつ)に分けます。
内容は13メートルの高さから投げられたサッカーボールをジャンプせずにヘディングでクリアするディフェンス用の練習です。
これを全部で20回繰り返し、一方は仮想空間で同じことをします。
そして参加者はヘディング練習の前後に、スポーツ関連の脳しんとうや認知機能の変化を評価する「キング・デヴィック検査(King-Devick Test)」を受けました。
これは紙に書かれた数字の羅列をすばやく読み上げていくもので、正常な認知機能であれば、同じ検査を繰り返すごとにスピードが速くなっていきます。
また脳波と筋電図の測定、および脳しんとう症状の有無に関するアンケートにも答えてもらいました。
まず脳波と筋電図を調べた結果、脳と筋肉活動の間の接続性は事前の予想通り、実際のボールでヘディングをした群で上昇していました。
これは実際にボールと頭部が接触しているので、脳と筋肉との間のコミュニケーションが上昇するのは当然の結果と考えられるでしょう。
しかし一方で、キング・デヴィック検査を比較したところ、VR群が2回目のテストにおいて読み上げの完了速度が上がっていたのに対し、実際にヘディングをした群はスピードに変化がなかっただけでなく、数字の読み上げを間違えるエラーの回数が多くなっていたのです。
加えて、アンケート調査では、練習後に脳しんとう症状を示した割合はVR群でわずか10%だったのに対し、実際にヘディングをした群は90%でした。
以上の結果から、短時間のヘディング練習でも脳にダメージを与え、認知機能を低下させるには十分であることが示されました。
一回のヘディング練習が脳に決定的なダメージを与えることはありませんが、これが長期間にわたって繰り返され、ダメージが蓄積すると、深刻な認知障害が起きる可能性もあります。
これはヘディングの機会が多いプロのサッカー選手だけでなく、部活動や趣味レベルでサッカーを楽しんでいる人にも、脳への悪影響が起こり得ることを示唆するものです。
ヘディングはサッカーにおける魅力的なプレイの一つではありますが、選手の命と健康を守るために何らかの取り組みが必要かもしれません。
参考文献
Soccer heading found to impair cognitive function
https://www.psypost.org/soccer-heading-found-to-impair-cognitive-function/#google_vignette
Football heading immediately alters brain function, shows study
https://www.mmu.ac.uk/news-and-events/news/story/15963/
元論文
Soccer heading immediately alters brain function and brain-muscle communication
https://doi.org/10.3389/fnhum.2023.1145700
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。