数学者の人生とは、どんなものを想像するでしょうか?
暴力とは無縁の、机で日々難しい計算問題を考えるような人生でしょうか?
しかし数学者ガロアに関して言えば、それはまったく当てはまりませんでした。
彼は19歳のとき、恋人を掛けた銃の決闘で命を落としたのです。
しかも彼はその若さでこの世を去る前、決闘の前夜に、ある数学のアイデアを書き残していたのです。
それが現代でも高く評価され続ける数学の重要理論「ガロア理論」です。
相対性理論も量子力学も、ガロア理論がなくては語れません。そして、数学界の超難問とされてきたフェルマーの最終定理の証明でもガロア理論は重要な鍵を握っています。
まるで小説の主人公のような波乱万丈の人生を送った天才ガロア。
彼のドラマチックな人生を知れば、意味はわからなくても数学が好きになるかもしれません。
目次
- 10代で思いついたガロア理論
- 天才だが説明は下手だったガロア
- 壮絶な死因
10代で思いついたガロア理論
エヴァリスト・ガロアはフランスの数学者で、10代の若さでなくなりながら、未だに世界に影響を及ぼすガロア理論の提唱者です。
この彼の考え出したガロア理論とは、方程式の性質調べるための理論です。
こんな数式を覚えているでしょうか? これはおそらく多くの人が高校生のとき覚えるのに苦労したと思われる、2次方程式の解の公式です。
苦しんだとはいえ、方程式の解がこうした公式で必ず得られるというのはかなり驚くべきです。
ただ解の公式は3次以上の方程式になると、恐ろしいほど複雑な式になります。そのため19世紀になるまで4次方程式までしか解の公式は見つかっていませんでした。(これらの公式は貼ると頭が痛くなる人がいるかもしれないので気になる人は横のリンクを開いてください→4次方程式の解の公式)
とはいえ当時の数学者たちは、5次以上方程式にも解の公式はあるはずだと考えていました。
しかし、先に結論を述べてしまえば5次以上の方程式に解の公式は存在しません。そして、それを証明したのがガロア理論なのです。
ガロアはそんな方程式の検証をするために、ある性質の数ごとにグループを作り、そのグループごとの対称性を調べるという方法を使いました。
対称性という言葉を、私たちは普段、左右が同じ形というような意味で使っています。しかし数学における対称性はそれとは少し違う意味を持っています。
数学でいう「対称性」とは、「ある変換をしても変化が生じない性質」を意味します。
例えば監視カメラで、テーブルに置かれた食器を真上から監視しているとしましょう。
この中央の丸いお皿を、あなたが目を離した隙に誰かが回転させた場合、あなたはその事実に気づくことはできるでしょうか?
おそらく無理でしょう。なぜなら円は回転させても何も変化が起きないからです。けれどその横にあるフォークやナイフなら反対向きにされればすぐに気が付きます。
この場合数学では、円は回転という変換に対して極めて高い対称性を持つ、と表現されます。もしこれが正方形のお皿だったら、90度の回転に対しては対称性を持つことになります。
ガロアはこの図形(幾何学)における対称性の問題を、数に当てはめてグループを作り、これが変換を施して変化するかしないかを見ていくことで、解ける方程式と解けない方程式の性質を調べたのです。
これが恐ろしくざっくりしたガロア理論の説明です。
フェルマーの最終定理の証明においても、楕円曲線とモジュラーという2つの方程式を比べる際にガロア理論が用いられています。
彼の理論の内容を理解するにはかなり多くの知識が必要です。そのため一般の人には何を言っているのかさっぱりわからないでしょう。
そのため一般にはあまりなの知られていないガロアですが、彼の生涯は伝記として聞く価値があるものです。
天才だが説明は下手だったガロア
ガロアは数学の天才でしたが、どうも自分の考えを説明することは下手だったようです。
それは彼の数学に関する考え方が先進的すぎて、ほとんどの人に理解できなかったことも原因があったのでしょう。
志望学校の口頭試験では、面接官に回答を理解してもらえず、キレて黒板消しを投げつけて落第したと言われ、第一線の数学者に送った論文は説明がよくわからないと突っ返されてしまったといいます。
残念なことに彼は生前正しく評価してもうことは出来なかったのです。
壮絶な死因
ガロアの生涯を聞いたとき、誰もが最も驚くのが彼の死因です。
ガロアは19歳のとき決闘によって命を落とすのです。
決闘と言われても今の時代あまりピンとこないかもしれません。しかしガロアは実際に、一人の女性を巡って銃の決闘をすることになってしまい、その勝負に敗れて死んでしまうのです。
この決闘については陰謀であったという説があります。ガロアは父の影響で政治的な活動に傾倒しており、当時のフランスを支配していた王制に対してかなり批判的でした。
これを快く思わない者たちによって理不尽な決闘を申し込まれる状況に追い込まれたというのです。
真実がどうであったにせよ、この決闘相手は銃の名手で、ガロアは決闘の前から自分が勝負に敗れて死ぬことになると自覚していました。
そこで彼は「僕にはもう時間がない」という走り書きと共に、決闘前夜に徹夜で現在ガロア理論と呼ばれている革新的な数学のアイデアを手紙に書きまとめ、親友シュヴァリエへ託したのです。
それはかなり断片的で読み取ることも困難な走り書きや殴り書きも多かったと言われます。
ガロアはそれを書き残した後、決闘に向かいそこで19年という非常に短い人生の幕を下ろしました。
残された親友のシュヴァリエは、彼の数学のアイデアをなんとか手紙から読み解き、それを論文にまとめて発表しました。
この親友の成した仕事もかなり驚くべきものです。評価されることの少なかったガロアですが、しかしきちんとした理解者も存在していたのです。
ただその後、シュヴァリエはガロアの論文を発表しますが、難解過ぎるその理論はすぐには理解してもらえなかったといいます。
しかし、現代ガロア理論は広く世界へ知れ渡り、ガロアは偉大な数学者の一人として、歴史にその名を記される存在になっています。
たとえ思うように評価が得られずとも、死が目前に迫ろうとも、自らのアイデアをきちんと世に書き残したガロア。彼が天才であるかどうかに関係なく、そんな彼の生き様には数学以外にも学ぶべきところがたくさんあります。
この記事は2019年5月公開の記事を加筆修正したものです。
参考文献
ガロアが広げた数学の自由 —革命を志した青年が起こした数学上の一大革命—
https://www.kyoto-su.ac.jp/project/st/st08_01.html
フェルマーの最終定理 (新潮文庫) サイモン シン (著)
https://amzn.to/4bdBGTg
La vie d’Évariste Galois
https://www.galois-group.net/dupuy/
元論文
Le mémoire d’Évariste Galois sur les conditions de résolubilité des équations par radicaux (1831)
https://doi.org/10.4000/bibnum.616
ライター
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。