「男性は地図が読めて、女性は地図が読めない」という物言いは誰もが耳にしたことがあるでしょう。
1998年に出版されてベストセラーになった『話を聞かない男、地図が読めない女』という本もありましたが、こうした主張は「男女の違いは脳の構造の違いにある」という考えを根底に置いています。
つまり、地図が読めるか読めないかは生まれつきの性別で決まってしまうというわけです。
このような傾向が生じる理由としては、主に男性は外へ狩猟に出かけていたのに対し、女性は集落に留まる傾向があったため進化上の要因からこの様な性差が生まれたと予想されています。
しかしこの問題に対して、米イリノイ大学(University of Illinois)は最新の研究で、地図が読めるか読めないかは進化上(=生まれつき)の要因ではない可能性があると報告しています。
この研究によると「空間ナビゲーション能力の性差は男児と女児の育ち方の違いに起因している可能性がある」というのです。
研究の詳細は2024年1月17日付で科学雑誌『Royal Society Open Science』に掲載されました。
目次
- 空間ナビゲーション能力の性差は先天的か?後天的か?
- ナビゲーション能力の高さは「生まれた後の経験」で変わる?
空間ナビゲーション能力の性差は先天的か?後天的か?
「地図が読める」=「地理的なナビゲーション能力の高さ」はこれまで、女性より男性において優位であると広く喧伝されてきました。
これは男女の特徴の性差を語る上で、最も有名な俗説の一つです。
実際に従来の多くの先行研究では、男性が女性よりもわずかに優れたナビゲーション能力を持っている傾向が支持されてきました。
その性差を実地で確かめるフィールドテストでも、男性の方が女性よりも地理的感覚に優れていることが一貫して示されています。
つまり「地図が読める男性、地図が読めない女性」はすべての男女には当てはまらないものの、傾向としては確かに見られているのです。
しかし、その原因を”進化上の生物学的要因”に求めるのか、”後天的な育成環境”に求めるのかは決着がついていません。
研究者の中には、前者の”進化上の生物学的要因”を原因とする声が多く見られます。
具体的には、男性(オス)は大昔から狩猟中に広大な土地を移動する必要があったため、ナビゲーション能力に優れた脳が発達した。
反対に女性(メス)は家事や採餌のなかで家の近くに留まってきたため、ナビゲーション能力に関わる脳領域が発達しなかったという仮説に基づいています。
要するに「男女ごとの行動範囲の違いが、長い時間をかけて脳の違いを進化させた」という説明であり、これが正しいとすると、ナビゲーション能力の高さは男女のいずれに生まれるかであらかじめ決定されるということになります。
その一方でイリノイ大学の研究チームは、こうした特徴が男女ごとに受け継がれている遺伝的な証拠は見つかっていないとして懐疑的です。
そこでチームはこの真偽を確かめるべく、様々な動物種のナビゲーションスキルを調べた先行研究を分析しました。
ナビゲーション能力の高さは「生まれた後の経験」で変わる?
調査では66件の先行研究を集めて、21種類の動物の平均的な空間ナビゲーション能力や生息域での移動範囲などを性別ごとに調べました。
対象とした動物種には人間の他に、チンパンジーやウマ、ネズミ、アナウサギ、ジャイアントパンダ、コツメカワウソ、ヤドクガエル、ザリガニなどが含まれています。
そしてデータ分析の結果、どの種においてもナビゲーション能力と行動範囲の関連性に性差はほとんど見られませんでした。
このことからチームは、男女のナビゲーション能力の違いに進化上の生物学的要因は関係しておらず、性別ごとに生まれつきの特性ではないと述べています。
とはいえ、少なくとも私たち人間においては、男性の方が地理的感覚に優れているという傾向が見られるのも確かです。
では、その原因はどこにあるのでしょうか?
チームは新たな仮説として、「男女ごとの後天的な育成環境に理由があるのではないか」と推測しています。
この考えに基づくと、男性でも女性でも生まれた時点でのナビゲーション能力に差はありません。
しかし男児は一般的に、外で遊び回ったり、自転車で遠くまで行くことが多いため、その中で地理的な方向感覚が発達している可能性があるというのです。
加えてチームは「こうした外出行動は仲間と一緒に行われることが多く、男児はグループ全体でナビゲーション能力を向上させているのではないか」と指摘します。
それに比べると、女児は屋内で遊んだり、家から比較的近い場所で遊んだりという傾向が世界的に強く見られます。
そのため、女性は男性に比べると知らない土地へでかけて動き回るようなナビゲーション能力があまり発達しなかった可能性が高いのです。
しかしながら、結局はこの遊び方の違いも性別ではなく、個人の問題に帰着します。
男児であっても外遊びではなく、屋内で遊ぶのが好きな子もいれば、女児であっても自転車に乗って積極的に遠くまで出かける子もいます。
いずれにせよ、ナビゲーション能力の高さは性別ごとに生まれつきのものではなく、個々人の経験の中で育まれるものである可能性が高いようです。
参考文献
Scientists Debunk Myth That Males Are Better at Navigating
https://www.newsweek.com/scientists-debunk-myth-males-better-navigating-1861136
Are Men Naturally Better Navigators Than Women? Study Disproves Old Belief
https://www.iflscience.com/are-men-naturally-better-navigators-than-women-study-disproves-old-belief-72495
Slight male navigational advantage likely due to cultural differences, researchers find
https://phys.org/news/2024-01-slight-male-advantage-due-cultural.html
元論文
Still little evidence sex differences in spatial navigation are evolutionary adaptations
https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rsos.231532
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。