食感は思った以上に音の影響を受けるようです。
2008年の栄養学の分野でイグノーベル賞を受賞した、英オックスフォード大学のチャールズ・スペンスらの研究では、参加者にポテトチップスを食べさせ、食べる時の咀嚼音を操作することで食感が変わるかを検討しています。
実験の結果、同じポテトチップスでも、咀嚼音を変えることで、食感がよりサクサクで、新鮮だと感じる錯覚が生じました。
後続の研究では、柔らかく食べ応えのない介護食を食べる時に、咀嚼音を変えることで、より噛み応えを感じ、食事の満足度を高めることも報告されています。
咀嚼音が食感を変える現象は、ダイエット中に少量の食事量で満足感を得るなどさまざまな領域での応用可能性が期待されます。
研究の詳細は、学術誌「Journal of Sensory Studies」にて2005年の2月28日に掲載されました。
目次
- 五感で食べるレストラン「The Fat Duck」
- ガストロフィジックスは「ポテトチップス」から始まった
五感で食べるレストラン「The Fat Duck」
イギリスのバークシャーに「ファット・ダック(The Fat Duck)」というレストランがあります。
「キッチンの錬金術師」と呼ばれるヘストン・ブルメンタール氏(Heston Blumenthal)がオーナーを務めており、このレストランでは一風変わったメニューを提供しています。
それは「海の音色(The Sound of the Sea)」という料理です。
貝殻の中に入れられたiPodのイヤホンから海の波の音とカモメの鳴き声を聞きながら、タピオカとシラスで作られた「砂浜」の上に盛られたヒラメのマリネなどの海の食材を食べるというものです。
この料理はただ雰囲気を大事にしているだけでなく、魚介料理は海の音を聞きながら食べることで、美味しく感じられるという研究結果を基に考案されたとのこと。
このような試みを行ってきたのはブルメンタール氏だけではありません。
たとえばスペイン北西部のバスク地方にあるサン・セバスチャンにある「ムガリッツ(Mugaritz)」などのレストランでも、料理を口にしたときの脳領域の活動を調べています。
この食べ物を目にしたときや口にしたときの人々の反応に関係する要素を研究する学問を、美食(ガストロノミー)と精神物理学(サイコフィジックス)を合わせ造語で、ガストロフィジックスと呼ばれています。
かつて食の科学は、研究するに値せず、科学でないと言われてきました。
しかしスプーンとフォークどちらで食べれば美味しく感じるかや、料理を盛り付ける皿の大きさは満腹感にどのような影響を与えるかなどの研究が多く報告されるようになり、想像以上に味覚が主観によって左右されることが分かっていきました。
そのガストロフィジックスの先駆者ともいえるのが英オックスフォード大学のチャールズ・スペンス氏(Charles Spence)です。
彼は咀嚼音を実験的に操作し(「パリッ」という音を強調・減衰させる)、食べたポテトチップスの新鮮さが変わって感じられるというユニークな研究で2008年に栄養学の分野でイグノーベル賞を受賞しました。
その研究はどのようなものだったのか詳しく見ていきましょう。
ガストロフィジックスは「ポテトチップス」から始まった
彼らは巷で主張されてきた食感における咀嚼音の影響に疑問を持ち、実際に実験を行いました。
参加者は小さな防音ブースに入り、ヘッドフォンを付けた状態で、ポテトチップスを前歯で噛み、食感(サクサク感と新鮮さ)の評価を行っています。
参加者は咀嚼音を直接聞くのではなく、ヘッドフォンから参加者の咀嚼音を間接的にマイクで拾った音を聞いています。
その際、実験者はヘッドフォンで流れる音声の高周波数領域と全域を操作し、高周波数成分(ポテトチップスを噛んだときの「パリッ」)や音量を増強したりしています。
つまり毎回食べているポテトチップスは同じですが、咀嚼音だけが変わっています。
高周波成分が増強された音は噛んだ時の「パリッ」という音がより強調され、減衰された音は「パリッ」という音が抑制された音になります。
実験の結果、音量がある程度大きい場合は、音は噛んだ時の「パリッ」という音がより強調されほうがポテトチップスの食感がより新鮮だったと感じていました。
また参加者は音が異なるときに同じポテトチップスを食べていることに気付いていなかったのです。
この結果はポテトチップス自体は変わっていないのにもかかわらず、咀嚼音を変えるだけで、食感がよりサクサクで、新鮮だと感じる錯覚が生じたことを意味します。
この現象は後続の研究でも再現されており、リンゴをかじる時の音を操作することで、新鮮さと噛み応えの評価を変えることに成功しています。
ではこの咀嚼音が食感を変える現象にはどのような応用価値があるのでしょうか。
それは柔らかくて食べ応えがない介護食を食べる際に咀嚼音を変え、食感を増し、食事に対する満足感を高める方法が考えられます。
実際に産業技術総合研究所の遠藤洋史氏らの研究では、介護食を食べている参加者に、咀嚼時に動く咬筋の筋電波形を音に変えたうえでフィードバックを与え、食感と満足度が変わるかを検討しました。
結果、音声フィードバックにより咀嚼音を増強された人は、介護食の噛み応えがより感じ、口に運ぶ量が増え、食事に対する満足度が高まったのです。
この結果は、咀嚼音が食感を変える現象がポテトチップスの「サクサク感」を高めるだけでなく、介護食の満足度を向上させるなどの可能性を秘めていることを示唆しています。
湿気ってしまってチップを食べるときも、パリッとしたいい音の動画を探して聞きながら食べたら美味しさを改善できるでしょう。
もしかすると、ダイエット中の食事で咀嚼音を増強することで少ない食事量で満足することができるかもしれません。
参考文献
Crisp sounds
https://www.theguardian.com/education/2006/may/23/highereducation.research
元論文
The role of auditory cues in modulaiton the perceived crispness and staleness of potato chips
https://www.researchgate.net/publication/229733237_The_role_of_auditory_cus_in_modulaiton_the_perceived_crispness_and_staleness_of_potato_chips#:~:text=The%20potato%20chips%20were%20perceived,20%20kHz)%20were%20selectively%20amplified.
Effects of the sound of the bite on apple perceived crispness and hardness
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0950329314000986
The effect of a crunchy pseudo-chewing sound on perceived texture of softened foods
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0031938416303493#:~:text=5.-,Conclusion,actual%20oral%20sensation%20is%20lacking.
ライター
AK: 大阪府生まれ。大学院では実験心理学を専攻し、錯視の研究をしています。海外の心理学・脳科学の論文を読むのが好きで、本サイトでは心理学の記事を投稿していきます。趣味はプログラムを書くことで,最近は身の回りの作業を自動化してます。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。