誰もが、「ご飯が美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまった」と後悔したことがあるはずです。
思い返してみると、私たちは常に満腹感だけを手がかりに食事の量を調整しているわけではありません。
人は、満腹過ぎて食べすぎることもあれば、どんなに美味しいものを食べるとしても、食事のペースをある程度保てるときもあります。
最近、アメリカのカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)生理学部に所属するザカリー・A・ナイト氏ら研究チームは、食事のペースや量が胃の満腹感だけでなく味覚などから生じる口の刺激による信号でも制御されていることを報告しました。
胃が膨れて食欲が収まるメカニズムはよく知られていましたが、実は味覚にも食事ペースを調整する機能があったのです。
研究の詳細は、2023年11月22日付の科学誌『Nature』に掲載されました。
目次
- 食欲を司る脳幹を紐解く
- マウスの摂食行動を抑制する「口」と「胃腸」のプロセス
- 思いの他複雑な、食欲と食事のペースの調整メカニズム
食欲を司る脳幹を紐解く
私たちの食欲と食事ペースを制御しているのは脳です。
食事によって胃腸に食物が送られると、胃から脳に信号が送られ「満腹感」を感じるのです。
多くの人は、人間の食欲を制御するプロセスはこれだけだと考えています。
しかし実は、科学者たちによって、「味覚が食べるスピードを制限している」可能性も示唆されてきました。
食事のペースを落とすメカニズムは、「胃から脳に信号が送られる」だけでなく、「味覚から脳に信号が送られる」というプロセスも関係しているかもしれないのです。
ところが、これらのプロセスを制御する脳細胞は、脳幹(大脳を支える幹のような形をした部分)の深いところに位置しており、食事中の脳活動を研究することは難しく、長年放置されてきました。
今回、ナイト氏ら研究チームは、最新の技術を用いたマウス実験によって、食事中のマウスの脳活動を画像化および記録することに成功しました。
これにより、食事ペースを抑制する2つの脳細胞「PRLH(prolactin-releasing hormone)ニューロン」と「GCG(glucagon gene)ニューロン」がどのように活性化するか知ることができました。
マウスの摂食行動を抑制する「口」と「胃腸」のプロセス
最初の実験では、カテーテルによって、マウスの胃に直接食物を入れました。
その結果、胃腸から脳に信号が送られ、PRLHニューロンが活性化されました。
しかし次に、マウスに通常通り、口で餌を食べさせたところ、胃腸からの信号はなくなりました。
代わりに口から脳へ信号が送られ、PRLHニューロンが活性化されたのです。
つまりPRLHニューロンは、胃腸に食物が入っている場合にも活性化しますが、通常の食事形態では、口からの刺激(味覚や口腔接触)で活性化すると分かります。
ちなみに、PRLHニューロンの活性化により、マウスの総食物摂取量はほとんど変化しませんでした。
変化するのは食事のペースであり、この抑制効果により、急速な食物摂取による胃腸障害を防止できると考えられます。
加えて研究チームは、「PRLHニューロンの活性化は、マウスが食べ物をどれだけ美味しく感じるかに影響するようだ」ともコメントしています。
一方、食欲を抑制するもう1つの脳細胞である「GCGニューロン」は、胃腸に食物が入った時に、胃腸からの信号で活性化しました。
これは、私たちがよく知っている満腹感のプロセスです。
これらの結果から、通常マウスが餌を食べる時、その脳は2種類のプロセスで摂食行動を抑制していると分かりました。
思いの他複雑な、食欲と食事のペースの調整メカニズム
マウスの摂食行動を抑制する2つのプロセスは、時間的な特徴も異なっていました。
PRLHニューロンは素早く反応し、短期間だけ摂食行動を抑制するのに対し、GCGニューロンは、信号を受けてから反応するまでに時間がかかりますが、長期間にわたって食欲を低下させるのです。
つまり脳は、まず味覚で味わうことで食事のペースをいくらかスローダウンさせ、その後しばらくしてから、胃腸の信号によって長く続く満腹感を生み出しているようです。
とはいえ、前者の「味覚による抑制効果」を実感している人はほとんどいないでしょう。
確かに「まずい」と感じた時には食欲が失せるものですが、「美味しい」と感じた時にも抑制効果が働いているとは思えませんね。
私たちにとって「味覚」とは、基本的に食欲を増進させるものであり、「味わった瞬間」に、脳が食事のペースを落とそうとしているなんて、到底考えられないのです。
この点をナイト氏は次のように解説しています。
「脳は、同時に2つの異なる方法で食べ物の味を利用しています。
1つは、“美味しいからもっと食べなさい”という増進効果です。
もう1つは、“病気になるからもっとゆっくり食べなさい”という抑制効果です。
そして、この2つによってバランスが取られたものが、実際の私たちの食事スピードなのです」
私たちは満腹になれば自然と食事を停止できるような気がしていますが、必ずしもそれが上手く働かない場合があります。
逆に美味しい食事に対してペースを緩やかに保ち、少ない量でも十分な満足感を得られる場合もあります。
コース料理を食べているときはここに該当するかもしれません。
これは味覚による抑制効果が、陰ながら効果を発揮している証拠なのでしょう。
これは私たちが食事をどのようなペースでどの程度食べるかということを、単なる胃の満腹感だけではなく、味覚や口の刺激も含めた非常に複雑な方法で決定されていることを示唆しています。
研究チームは、今回の発見(2つの抑制プロセス)が、人間の食欲をコントロールする薬の開発に役立つと考えています。
私たちとしては、美味しい食事を十分に味わって食べるよう意識したいものです。
その時脳は、幸せを感じつつも、「ゆっくり食べようね」と身体の健康を気遣ってくれているのです。
参考文献
From the First Bite, Our Sense of Taste Helps Pace Our Eating
https://www.ucsf.edu/news/2023/11/426631/first-bite-our-sense-taste-helps-pace-our-eating
The role of the brainstem in appetite suppression
https://www.news-medical.net/news/20231128/The-role-of-the-brainstem-in-appetite-suppression.aspx
元論文
Sequential appetite suppression by oral and visceral feedback to the brainstem
https://www.nature.com/articles/s41586-023-06758-2
ライター
大倉康弘: 得意なジャンルはテクノロジー系。機械構造・生物構造・社会構造など構造を把握するのが好き。科学的で不思議なおもちゃにも目がない。趣味は読書で、読み始めたら朝になってるタイプ。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。