昔はクマに出会ったら「死んだふり」をすると良い、という話も耳にしましたが実際は危険なのでするべきではないと言われます。
しかし、実際「死んだふり」は哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類、昆虫に至るまで、あらゆる生物が自然の中で実践している立派な生存戦略なのです。
死んだふりとは裏を返せば、究極に無防備な状態ですが、これはどういう場合に有効なのでしょうか?
今回は、死んだふりが生存率に与える効果や、生物によって異なる死んだふりの目的について見ていきます。
また先日、岡山大学の研究により自然界の生物は「何がきっかけで死んだふりを解除するのか?」という謎の答えが発見されました。
それも合わせて紹介していきます。
死んだふりの科学的な意義について考えていきましょう。
岡山大学の研究は、2023年9月13日付で科学雑誌『Journal of Ethology』に掲載されています。
目次
- 死んだふりは「敵の意識」を逸らすのに有効
- 死んだふりを解除するフェロモンがあった!
死んだふりは「敵の意識」を逸らすのに有効
死んだふりは、正式には「擬死(タナトーシス)」という用語で表現されます。
最初に「擬死」を科学的に記述したのは、かの有名な昆虫学者ファーブル(1823〜1915)で、ゴミムシダマシをつつくと死んだふりをすることを発見しました。
それ以降、天敵に遭遇したり襲われると身を硬直させて死んだふりをする生物がたくさん記録されます。
このことから死んだふりの主な目的は、天敵の脅威に直面した場合の捕食回避にあると考えられるようになりました。
先行研究によると、死んだふり捕食者の意識を他に向ける上で有効であることが示されています。
野生動物の多くには、動いている獲物を追いかける習性が本能的に備わっています。
これは元気に逃げ回っている獲物の方が新鮮かつ安全だからです。死んだ獲物だとすでに腐食が始まっている可能性もあります。
特に昆虫を食べるカエルやトカゲ、クモなどは基本的に動くもののみを攻撃するため、動かない獲物は標的になりづらく、生存率も高まります。
カエルの捕食動画を見たことがある方なら、遠くで逃げ回っている虫はわざわざ舌を飛ばして食べるのに、足元でジッと動かない虫はなかなか食べようとしないのをご存じでしょう。
死んだふりで敵の追撃がなくなる
また岡山大学は2004年に、死んだふりをする「コクヌストモドキ」を用いて、捕食回避の効果を科学的に実証しました。
実験では、天敵であるハエトリグモが攻撃を仕掛けると、コクヌストモドキは硬直して死んだふりに入ることが観察されます。
このとき、死んだふりをしなかった個体は攻撃を継続されるのに対し、死んだふりをした個体は追撃されることがなくなったのです。
追撃がなければ、隙を見て逃げ出すことも可能であり、そのおかげで生存率も高まると考えられます。
死んだふりはもう逃げられない状況での最後の手段ともなりますが、一縷の望みが期待できるため、生物たちは進化的にこの行動を残し続けているのでしょう。
他の生物はどんな「死んだふり」をしている?
死んだふりは単に体を硬直させるだけでなく、体温を下げたり、心拍数や呼吸数を遅くするなど、生物ごとにバリエーションがあります。
特に有名なのはオポッサムの死んだふりで、彼らは口を開けて舌をダラリと出し、排泄物を垂れ流して、さらには死臭がする体液まで分泌し、天敵に「賞味期限切れてますよ〜」とアピールするのです。
またヘビの中にも口から血を吐いたり、肛門から異臭を放って、死を偽装する種がいます。
それから死んだふりは、必ずしも捕食回避だけを目的とはしていません。
例えば、ヨーロッパキシダグモでは、メスがオスを捕食するために巣に持ち帰る習性があるのですが、その際にオスは死んだふりをして、巣に着くと隙を見てメスに交尾をしかけるのです。
実際に、死んだふりをしたオスの方が交尾の成功率が高いことが実験で示されています。
これと対照的に、トンボのメスは言い寄ってくるオスとの交尾を避けるために、死んだふりをして水中に身投げするそうです。
このように死んだふりには色々な目的があるわけですが、一方で、いつまでも死んだふりを続けているわけにはいきません。
ただ「どのタイミングで死んだふりを止めるのか?」という視点には、これまで世界中のどの研究者も注目していませんでした。
しかし岡山大学は今回、先ほどのコクヌストモドキを用いて、その答えの一つを見つけ出したのです。
死んだふりを解除するフェロモンがあった!
もし死んだふりで捕食回避に成功したとしても、そのままずっと硬直していては返って危険でしょう。
野生下には死んだふりが効かない捕食者や、視覚ではなく嗅覚に頼る捕食者がたくさんいるからです。
そこで生物たちは死んだふりから起きる必要があるわけですが、「いつ死んだふりを止めるのか?」「硬直からの目覚めを促す要因は何なのか?」については誰も研究していません。
また研究者いわく、その検証もかなり難しいものでした。
というのも死んだふりの深さには大きな個体差があり、どの刺激で目覚めたのかを計測するのが困難だったのです。
そこでチームは遺伝子改良によって、死んだふりの持続時間を固定したコクヌストモドキを作成して、この問題を解決しました。
コクヌストモドキは細い棒の先でつっつくだけで仰向けになり、簡単に死んだふりを誘発できます。
そしてチームは、死んだふりを解除する可能性が高いものとして「集合フェロモン」を用いました。
フェロモンは個体が分泌して、仲間の生理反応や特定の行動を引き起こす化学物質ですが、特に集合フェロモンは他の仲間に対して誘引作用を起こし、集団で集まるよう促す効果があります。
実験では、死んだふりの持続時間を同じにしたコクヌストモドキに、オスが放出する集合フェロモンを嗅がせてみました。
その結果、フェロモンにさらされなかったグループは死んだふりを平均60分続けたのに対し、フェロモンにされされたグループは平均40分と有意に覚醒タイミングが早くなっていたのです。
この効果はオスとメスの両方に見られましたが、特にメスの方で覚醒を促す効果が強くなっていました。
これは異性であるオスのフェロモンを嗅いだことに関係していると見られます。
この結果からチームは、集合フェロモンが死んだふりを解除する覚醒刺激の一つになっており、加えて、死んだふりの持続時間は刺激の有無によって柔軟に変化しうると結論しました。
「無事な仲間が近くにいる!」というフェロモンのサインが、死んだふりを止めるきっかけになっているのかもしれません。
ただし、この結果はコクヌストモドキにのみ基づくものであり、他の生物が同じように仲間のフェロモンを覚醒刺激としているかどうかは不明です。
仲間と行動しない生物や、哺乳類や鳥類の”解除スイッチ”が何なのかは、別に研究が必要となるでしょう。
人間がクマに死んだふりをするのは有効なのか?
人間も死んだふりを利用する生物に含めて良いでしょう。
映画などでも、死んだふりをしていることで助かるという描写がホラーでも戦争映画でも見られます。
動物たち場合、自分が餌としては鮮度が低いことをアピールするケースが多いようですが、相手の注意を引くような行動を避けて気配を殺すことも目的の1つになっています。
これは私たち人間から見ても理解のし易いものでしょう。
最近話題のクマへの対策についても死んだふりというのは昔からよく聞かれる戦法です。
自然界の動物の多くは人間を捕食対象にはしていません。一方で、山で亡くなった人の死骸は獣によって荒らされることも良く知られています。
以前、東京農工大学大学院らの研究で、シカの死体を森に放置して観察するという実験が報告されていますが、ここではツキノワグマも死肉を漁りにやってきたことが記録されています
この報告を見ると、死んだからといって捕食を免れることは難しいように思えます。
ただ、先にも述べた通り野生の動物の多くは、背を見せたり暴れるなどの相手の行動に対して本能で襲おうとしてきます。
そのため相手に余計な刺激を与えない行動や、頭や首などの弱点を防御する行動として死んだふりが有効であると話す専門家もいます。
これを考慮すると、クマに死んだふりが有効か?という問題は、クマの置かれた状況にも大きく左右されるでしょう。
クマも怯えていて、逃げるタイミングを伺っているような状況なら死んだふりは有効かもしれませんが、子供を守ろうと好戦的になっていたり、非常に腹を空かせている状態のクマに対しては死んだふりは無防備を晒すだけで役に立たない可能性があります。
死んだふりは自然界の動物たちが進化の過程で継承してきた、生き残りに有効な戦術の1つなのは確かなようです。しかしそれは捕食者に身を委ねる危険な行為であることを自覚しておきましょう。
生存率を高める可能性はありますが、新鮮な獲物を狙う相手や、慎重な相手には返って危険を晒すだけになるかもしれません。
死んだふりを動物たちがどのように利用しているか理解すれば、私たちが目の前の危険な生物に対して死んだふりをするべきかどうか判断できるかもしれません。
参考文献
いつ、死んだふりから目覚めるべきか~覚醒を早める集合フェロモンの存在を世界に先駆けて発見!~ https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id1137.html元論文
Aggregation pheromone interrupts death feigning in the red flour beetle Tribolium castaneum https://link.springer.com/article/10.1007/s10164-023-00793-2(2023) Is death–feigning adaptive? Heritable variation in fitness difference of death–feigning behaviour https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rspb.2004.2858(2004)