お酒がやめられないなら、脳を改造すればいいようです。
米国のオレゴン健康科学大学(OHSU)で行われた研究によって、お酒を大量に飲む習慣を持ったサルの脳細胞の遺伝子を改変したところ、好きだったお酒をほとんど飲まなくなることが示されました。
アルコール依存症のサルたちは脳内の快楽物質「ドーパミン」が少なくなっており、新たにドーパミンを得るために、常にお酒を必要とする中毒になっています。
しかし脳細胞の遺伝子改変によって脳内でドーパミンが過剰生産されるようにしたところ、サルたちはお酒に対する興味を失い、水のほうを好んで飲むようになりました。
研究者たちは命にかかわる重篤なアルコール患者に対して、脳の遺伝子改変は有力な治療法になると述べています。
しかし改変された脳の遺伝子は、治療後に元に戻すことができるのでしょうか?
研究内容の詳細は2023年8月14日に『Nature Medicine』にて掲載されました。
目次
- アルコール依存症は「意思の力」だけでは治せない
- アルコール依存症のサルを用意し脳の遺伝子を改変する
アルコール依存症は「意思の力」だけでは治せない
アルコール依存症の最大の問題は、再発を繰り返すことにあります。
アルコール依存症になった人々の脳では、脳を気持ちよくしてくれる快楽物質「ドーパミン」が常に欠乏している状態にあり、新たにドーパミンを得るには飲酒を繰り返す必要があるからです。
私たち人間は生存や子孫繁栄にとって有利な行いをすると、脳から「ごほうび」として快楽物質「ドーパミン」が分泌され、ポジティブな感覚を体験します。
試験に合格したり、年収が上がったり、恋人ができたり、住み心地のいい家を手に入れたりすると、脳内の評価システムがドーパミン分泌を許可し、私たちは楽しくなったり嬉しくなったりするのです。
しかし一部の違法薬物は、脳に対して特殊な作用を引き起こし、本来なら労力をかけなければ得られない「ごほうび」ドーパミンを、勝手に分泌させることが可能です。
お酒も違法薬物ほどではありませんが、脳にドーパミン分泌を促す作用があり、飲むとストレスが解消したり気分を良くさせる効果があります。
しかしこの「お酒によるドーパミン分泌」には、依存症を引き起こす罠が含まれています。
脳内の評価システムは厳格な存在です。
大量の飲酒を続け、ごほうびが勝手に分泌されて脳内にあふれるようになると「ごほうび」としての価値を維持するため、ドーパミンの分泌をどんどん減らしていきます。
日銀が市場で出回るお金の発行量を減らしてお金の価値を維持するように、脳の報酬システムもドーパミンの供給量を減らして、ごほうびの価値を維持しているのです。
そうなると困るのは、本人です。
何もしていない状態(デフォルトの状態)でのドーパミン量が減少したことで、渇望感が強くなり、ドーパミンを補充する行為、つまり飲酒を繰り返すようになり、アルコール依存症に陥ります。
この状態になるとお酒を飲むことは「普通の状態を取り戻す」に過ぎず、手軽に快楽を得る手段ではなくなってしまいます。
断酒によって依存症から回復することは可能ですが、快楽をチート的に手に入れるお酒は非常に魅力的であり、多くのアルコール依存症患者たちは断酒と飲酒再開を繰り返すことになります。
お酒を飲むと気持ち悪くなる効果がある「抗酒剤」やお酒に対する渇望感を減らす「抗渇望薬」も開発されていますが、残念なことに効果は限定的です。
アルコール依存症患者たちの多くは、酒を飲むために薬を飲むのをやめてしまうからです。
アルコール依存症から脱却するには意思の力だけでは困難です。
そこで今回、オレゴン健康科学大学の研究者たちは、アルコール依存症に陥った脳の遺伝子を改変することにしました。
脳細胞に問題があるなら、脳細胞の遺伝子を改組すればいいというわけです。
しかし実験を行うにはまず「脳の遺伝子を書き換えてもかまわない」アルコール依存症患者が必要でした。
アルコール依存症のサルを用意し脳の遺伝子を改変する
脳の遺伝子を書き換えても問題ないアルコール依存症患者はどこにいるのか?
この問題を解決するために研究者たちはまず、アカゲザルたちにアルコールを与え続け、アルコール依存症のサルを作りました。
サルにはもともとお酒を飲む習性はありませんが、大量のアルコールを飲む習慣をつけることで、人間とよく似たアルコール中毒状態にできるのです。
またアルコール依存症に陥ったサルの脳では人間と同じく、ドーパミンの分泌が少なくなります。
次に研究者たちはアル中サルたちを一時的に眠らせ、頭蓋骨にドリルで穴をあけました。
そして脳内でドーパミンを分泌する役割を持つ腹側被蓋野(VTA)と呼ばれる領域に、無害なウイルス(アデノ随伴ウイルス:AAV2)を注射しました。
このウイルスの中には人間由来の遺伝子である「GDNF」という遺伝子があらかじめ組み込まれています。
「GDNF」は成長因子の一種であり、ウイルスが感染して内部に入り込むと、ドーパミンを分泌する細胞数を急速に増加させるように作用します。
ドーパミンを分泌する細胞数が増えれば、アル中サルたちのドーパミン不足も解消されるはずです。
研究では4匹のアル中サルたちに対してこの処置が行われ、アルコール依存症の症状に変化が起きたかどうかが確かめられました。
結果、処置を受けたサルたちのアルコール摂取量が90%以上減少していることが判明。
また断酒期間を挟んで飲酒が再開するかも調べたところ、サルたちはアルコールに対する興味を失っていました。
この結果は、脳の遺伝子改変によってサルたちのアルコール依存症が治療されたことを示します。
しかしサルたちの脳内で予想通りの反応が起きたかを調べるには、脳サンプルが必要でした。
そのためサルたちは安楽死させられ、摘出した脳が調べられました。
すると脳の遺伝子改変処置を受けたサルたちでは、GDNF(成長因子)とドーパミンの両方のレベルが高くなっていることが判明。
つまり脳の遺伝子を改変されたサルたちは、脳内でドーパミンが過剰分泌されるようになったことでドーパミン不足の問題が解決し、アルコールへの興味を無くしたのです。
人間にも同様の手段が上手くいけば、脳の遺伝子を書き換えることでアルコール依存症を治せるでしょう。
しかし研究者たちは、この方法は最後の手段であるべきだと述べています。
というのも脳細胞に対する遺伝子改変効果は永続するため、元に戻すことができないからです。
ただ命にかかわるほど重度のアルコール依存症である場合、脳の遺伝子改変は1つの選択肢になるでしょう。
研究者たちは、脳の遺伝子改変によるドーパミン不足解消は、お酒だけでなく他の薬物依存に対して有効な手段になる可能性があると述べています。
参考文献
Gene therapy may offer a new treatment strategy for alcohol use disorder https://www.eurekalert.org/news-releases/998365元論文
GDNF gene therapy for alcohol use disorder in male non-human primates https://www.nature.com/articles/s41591-023-02463-9