「脳の電気活動をエネルギー源にする」というアイデアは、しばしばSF映画などでみられます。
しかし米国のカリフォルニア大学(University of California)で行われた研究によって、脳に巣くうがん細胞たちは、人間の想像より遥か以前から、同じアイデアを実行に移していることが示されました。
新たな研究では、脳腫瘍の一種である悪性神経膠腫には、思考や運動など脳が発する電気的信号が腫瘍内部に引き込まれるように脳回路を作り変える能力があり、吸収した信号を自らが増殖するためのエネルギーとして使っていることが示されています。
これまで脳腫瘍による認知機能の低下は腫瘍による脳の圧迫や血液の横取りにあると考えられていましたが、どうやら「腫瘍による脳のエネルギーの吸い取り」も大きな影響を与えているようです。
さらに研究者たちは「脳と腫瘍」が脳の奥深くでささやき合っている可能性を示唆しており、この「声」を盗聴することができれば、治療に大きく役立つと述べています。
しかし腫瘍たちはいったいどんな方法で、脳のエネルギーを吸い取っていたのでしょうか?
研究内容の詳細は2023年5月3日に『Nature』に掲載されました。
目次
- 脳腫瘍は脳の神経接続を自分好みに作り変える能力がある
- 脳腫瘍は「脳の電気信号」を吸い取り増殖エネルギーにする
脳腫瘍は脳の神経接続を自分好みに作り変える能力がある
古くから、脳に腫瘍ができると、認知機能や運動機能をはじめとしたさまざまな機能障害が発生することが知られています。
症状の悪化が進むと、この機能障害は呼吸機能のような生命維持システムにも障害が及び、最終的には死に至ります。
これまで、脳腫瘍に起因する脳機能障害は主に、腫瘍による脳の圧迫や血液の横取りなど構造的な問題であるとされてきました。
しかし近年の研究により、脳腫瘍の中でもよくみられる悪性神経膠腫には、脳内の健康なニューロンと神経接続を起こし、相互作用を与え合うことがわかってきました。
私たちの認知機能や運動能力などが脳細胞のネットワークによってうみだされていることを考えると、悪性神経膠腫との予想外の接続は、ネットワークを改変し、さまざまな脳機能に影響を与える可能性があります。
そこで今回、カリフォルニア大学の研究者たちは悪性神経膠腫の存在が、私たちの脳のネットワークにどのような変化を与えるかを調べることにしました。
ただ腫瘍による圧迫や血液の横取りなどと違い、神経接続パターンの変化は検知するのが困難です。
そのため研究者たちは、患者たちの意識がある状態で悪性神経膠腫の表面に電極を刺し込み、目の前に提示された物や動物の名前を答えてもらう、言語機能のテストを行いました。
すると、言語能力と関係のない位置にある悪性神経膠腫でも、言語テストに反応して活発な電気活動が観察されました。
(※言語テストでは通常、言語能力に関係のある脳部位の電気活動が活性化します。そのため言語能力と関係のない脳領域にできた悪性神経膠腫は、言語テストで活性化しないと考えられていました)
同様の結果は脳磁場の測定でも明らかになりました。
脳磁場を調べると、あるある脳領域が他の脳領域とどのように連動しているかを調べることが可能になります。
研究者たちが患者たちの脳磁場を調べたところ、悪性神経膠腫は多くの脳領域のと連動し、健康な人の脳では連動しない部分でも、活性化していることが示されました。
また患者の脳から切り取られた悪性神経膠腫を分析し、活性化している遺伝子を調べたところ、悪性神経膠腫ではシナプスの結合を促進する「TSP1」と呼ばれる分子が多く生産されていることがわかりました。
この結果は、悪性神経膠腫は脳の神経接続を作り直して、脳のさまざまな部位との結合性を高めていることを示します。
そうなると気になるのが、その理由です。
悪性神経膠腫はいったいどんな目的で、脳のあちこちと結合していたのでしょうか?
脳腫瘍は「脳の電気信号」を吸い取り増殖エネルギーにする
なぜ悪性神経膠腫は脳のさまざまな部位と結合しているのか?
謎を解明するため研究者たちは摘出された悪性神経膠腫の中で結合性が高かった領域を脳オルガノイドに移植してみることにしました。
脳オルガノイドは人工的に培養された脳細胞の塊であり、本物の脳の代替品として薬などの副作用の調査に用いられています。
すると移植された悪性神経膠腫は脳オルガノイドの結合性を飛躍的に高め、脳オルガノイドの活動も活発化しました。
また悪性神経膠腫の結合性の高い部位をマウス脳に移植したところ、シナプス結合を促進させる「TSP1」が高発現し、悪性神経膠腫とマウス脳の接続性が増強されることが示されました。
さらに興味深いことに、悪性神経膠腫とマウス脳の接続性の強化は、悪性神経膠腫の成長速度を増加させることが判明します。
同様の結果は患者たちの脳磁場の測定結果からも得られました。
患者たちの脳内の悪性神経膠腫と他の脳領域との接続性の高さを、患者たちの生存期間と比較したところ、接続性が高い患者ほど腫瘍の悪影響が強く出て、余命が短くなっていました。
この結果は、悪性神経膠腫は脳のさまざまな部位と接続して脳の活動エネルギー(演算能力とも言える)を吸い取り、自らの増殖のためのエネルギーに変換している可能性を示します。
これまで悪性神経膠腫による脳機能の低下は圧迫や血液の横取りなどが原因だと考えられていましたが、脳の活動エネルギーを吸い取られることが主な要因だった可能性が示されました。
(※腫瘍のある場所と無関係の脳機能が低下することがあるのも、腫瘍から腕が伸びて遠くの脳領域から脳のエネルギーを吸い取っているからだと解釈できるでしょう。)
なお悪性神経膠腫が吸い取っているエネルギーは主にニューロンの間を駆け抜けている電力だと考えられます。
生命の細胞は有機電子回路と解釈することが可能であり生命活動にともなうエネルギーは最終的に電力として換算することが可能となっています。
(※悪性神経膠腫は自分を電力の終着点とすることで、エネルギーを受け取っているのです)
高度な思考を行うときなど、人間の脳では活発な電気活動がみられますが、皮肉なことに、脳の活動が盛んであればあるほど、腫瘍のエサになってしまうエネルギーも増えてしまうようです。
研究者たちは、悪性神経膠腫がシナプス結合を増やすために使っている「TSP1」を何らかの方法で抑制できれば、脳腫瘍が他の部位に腕を伸ばすのを阻止し、エネルギー吸収を邪魔できると述べています。
また将来的には、脳と腫瘍の間で行われる電気信号の解読も解読することも重要となるでしょう。
脳と腫瘍の間の接続は必ずしも一方通行ではなく、何らかの情報通信を行っていると考えられるからです。
もし解明が進めば、脳と腫瘍の間で行われているささやき声を読み解き、治療に役立てることも可能になるでしょう。
元論文
Glioblastoma remodelling of human neural circuits decreases survival https://www.nature.com/articles/s41586-023-06036-1