人生の最後の瞬間は、思ったよりも騒がしいようです。
米ミシガン大学(University of Michigan)はこのほど、家族の同意のもと、助かる見込みのない4人の患者の生命維持装置を停止させ、患者たちが亡くなるまでの脳波測定を行いました。
実験の目的は患者たちに本物の臨死体験をしてもらい、脳で何が起こるかを確かめるためです。
その結果、患者たちの脳の意識や思考、記憶にかかわる脳領域において、死ぬ直前に主にガンマ波からなる「爆発的な脳活動」が起きていることが判明しました。
同様の脳活動パターンは夢や幻覚を見ているときや、幽体離脱を経験している患者たちで観察されるものと酷似していたとのこと。
そのため研究者らは、死ぬ間際の脳で起こるガンマ波のバーストが「臨死体験の正体」であると結論しています。
しかし一体なぜ、死に瀕した患者たちの脳波は突然活性化したのでしょうか?
研究内容の詳細は2023年5月1日に科学雑誌『PNAS』にて公開されました。
目次
- 臨死体験はもはやオカルトではなく「脳科学の分野」になった
- 臨死体験は脳の意識を司る部分の活性化が起こしていた
臨死体験はもはやオカルトではなく「脳科学の分野」になった
古くから心臓発作や脳卒中など死の淵から蘇生した人々は、しばしば臨死体験を報告することが知られていました。
また興味深いことに臨死体験には一定の類似点があり、多くの生還者は
①自分のこれまでの人生が走馬灯となって駆け巡る
②思い出深い記憶がリアルな感覚をともなって鮮やかに再生される
③体外離脱(幽体離脱)のような自分を他者の視点からみる
といった特徴的な体験を報告します。
このことは臨死体験時には特定の脳活動の変化が起こり、生還者たちに同じような体験をさせている可能性を示唆します。
しかしどんな脳活動が臨死体験に特有の現象を引き起こすかは、ほとんど知られていませんでした。
そのため臨死体験は長年にわたり、科学ではなくオカルトの分野にあると考えられてきました。
ですが近年ではミシガン大学のボルジギン氏らの研究グループを中心にして、臨死体験の脳科学的な解明が急速に進んでいます。
たとえば、2013年にボルジギン氏らが行った研究(PNAS, 2013)では、麻酔によって昏睡しているラットを心停止させると30秒以内に強いガンマ波が発生し、意識の兆候を示したことが発見されました。
また2022年に発表された別の研究(Frontiers in Aging Neuroscience, 2022)では、死にゆく人間の脳波がはじめて詳細に記録され、マウスと同じくガンマ波のスパイクが観測されています。
ガンマ波は、意識・思考・記憶・夢など、脳が複数の領域を組み合わせて意識的な状況にあるときに発生するものです。
そこで研究チームは今回、助かる見込みのない4人の昏睡状態にある患者たちの脳波を測定しつつ、生命維持装置を停止させることにしました。
(※ 実験は家族の同意のもとに行われています。)
もし臨死体験が古くからの言い伝えの通り(上記の①~③)ならば、死ぬ間際の患者たちの脳にそれぞれの体験に類似する反応が起こるはずです。
果たして、死に向かう患者たちの脳では何が起こったでしょうか?
臨死体験は脳の意識を司る部分の活性化が起こしていた
死に向かう患者たちの脳で何が起きるのか?
準備が整うと研究チームは患者たちの生命維持装置を停止しました。
すると停止から数秒で、4人のうち2人の脳から、先行研究で指摘されていたのと同じく活発なガンマ波が観測されました。
上のグラフは、生命維持装置を外す前(S1)と外した後(S2以降)の脳波活動を示しています。
グラフからは生命維持装置が外されると(S2以降)数秒後にはガンマ波が発生し、S7付近でピークになっていることが分かります。
またガンマ波の出現パターンを分析したところ、ガンマ波の急増が意識の「ホットゾーン」と呼ばれる脳領域からは始まることが判明しました。
このホットゾーンは脳の両側に存在する領域で、意識・思考・記憶にかかわる脳活動に深く関与しています。
また脳活動の広がりを追跡したところ、右脳と左脳を横断するように広範囲に広がっていることが示されました。
右脳と左脳の横断的なコミュニケーションは記憶を呼び起こすのに重要だと考えられています(①の走馬灯のような臨死体験の原因と推測)。
またこれまでの研究により、ホットゾーンの活性化は記憶を呼び起こしたり、夢を見たりしているときだけでなく、幻覚や幽体離脱などを経験しているときにも観察されることが示されています(③の幽体離脱の事例の原因と推測)。
さらに最近の報告では、このホットゾーンには脳内で感覚情報を処理する領域が含まれていることが分かっており、臨死体験がしばしば非常に鮮やかになる理由になるかもしれません(②思い出が鮮やかに蘇る原因と推測)。
以上の結果から研究者たちは、臨死体験の正体が瀕死の脳で起こるホットゾーンの活性化によるものであると結論しました。
これまで報告されてきた臨死体験の内容が、どれも似たものになるのも、脳内で同じような現象が起きていたからかもしれません。
ボルジギン氏は、脳活動の活発化が起こる理由として「酸素不足」を挙げています。
私たちの体は酸素不足に陥ったときになんとかして打開しようとする「生存モード」が存在すると言われています。
たとえばマウスなどの動物の脳を破壊する実験では、体内の複数の臓器が多数のシグナル分子を放出し始め、自らを蘇生させようとするかのような異常な脳波パターンが生成されるのです。
臨死体験は一般ではスピリチュアルな経験であると考えられがちですが、実際には危機に陥った体が脳を再起動させるための生存努力なのかもしれません。
一方、今回の研究には避けられない弱みも存在します。
患者が全員死亡しているため、他の臨死体験の研究のように体験内容を聞き出すことができないからです。
そのため、患者の体験内容と脳の活性パターンがリンクしていたかを証言にもとづいて判断することはできません。
ですが今後、臨死体験の脳科学的な理解が進んでいけば、心停止後の隠れた脳活動を突き止め、人間の意識のメカニズムを解明する手助けになるでしょう。
また臨死体験の神経メカニズムが完璧に解明され、安全に体験できるような薬や神経制御デバイスが開発できれば、独特の体験を通して人々の意識改革ができるかもしれません。
最後に研究のために命を捧げてくれた4人の患者たちに、深い敬意と感謝を表明し結びとします。
参考文献
Mysterious Surge of Activity Detected in The Brains of Dying People https://www.sciencealert.com/mysterious-surge-of-activity-detected-in-the-brains-of-dying-people元論文
Surge of neurophysiological coupling and connectivity of gamma oscillations in the dying human brain https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2216268120