「僕自身が遺書を書いて何に気づいたかと言うと、相手のために言葉を紡いでいたものが遺書を書いて向き合っている間に自分と向き合う時間がすごく沢山あって、死ぬ気で書いて出てきた言葉の中に、自分がやりたいこととか、自分が人生で進みたい方向とかが明確になった」
―――そう語るのは、全日本葬祭業協同組合連合会(全葬連/経済産業大臣認可)フューネラルアンバサダーの田村淳。
田村淳と全葬連は、2020年8月に他界した母・久仁子さんの葬儀を機に、新しい葬儀の在り方や人の死への向き合い方などをあらためて考え直し、当時の想いやエピソードについて話したWEB動画「【死ぬ前に、話しておきたい】皆さん、どんなお葬式がやりたいですか?」を公開した。
この新WEB動画では、田村淳が全葬連役員と新しい葬儀への考え方などをテーマに対談のようすを収録。
「人の死への向き合い方とは」や「故人の送り出し方」など、普段ネガティブに考えてしまうテーマでも、田村淳が体験した自身のエピソードをもとに、新しい考えを得ることができ、「別れ」について考えるきっかけとなる動画に。
また、2020年に他界した「母・久仁子さんが自身の葬儀をプロデュースされたことについて」も話し、田村は母・久仁子さんの葬儀についてこう振り返っている。
「僕は死に方とか仕舞い方は人それぞれでいいと思っている」
「ウチの母ちゃんの例を見習いたいという人がいれば真似すればいいし、いや私は私の死に方、生き方があるんだと、それが当然あってもいい」
「でも(母・久仁子さんが自身の葬儀をプロデュースしたことで)僕は残された側としてめちゃめちゃ母の愛を感じました」
田村淳の思う“新しい葬儀”の在り方とは…
葬儀縮小化の流れや、直葬の増加傾向などを受けて、「最期のお別れ」という文化が失われつつある。
本来、葬儀とは、弔いだけが目的ではなく、家族や友人が集まり、時間をかけてお別れをすることで故人について想いを馳せ、この先の生き方を考える契機にもなりうる大事な機会。
田村淳は「死生観とは人それぞれであり、正解のないものである今の時代だからこそ、色々な葬儀のかたちがあっていいのでは」と問いかける。
母・久仁子さんの葬儀の在り方で考え方が変わる
2020年8月、がんを患い72歳で死去した田村淳の母・久仁子さんの葬儀をコロナ禍に執り行った。
久仁子さんは生前に、自身の葬式に出てもらうお坊さんの選出や、葬儀に参列者が食べるお弁当の指定、葬儀中に流れるBGMまで、細やかに遺言に記していた。
実際に執り行われた葬儀では、通常は花をお棺に納める儀式も花粉が苦手という理由で、家族の想い出の写真が入ったポチ袋を参列者に配布し、その写真を納めることに変更。
また、出棺時の音楽は息子の田村淳が出演していたNHK大河ドラマ『功名が辻』(2006年)の主題歌が流れるなどの演出が盛り込まれ、これまでの葬儀という印象をあまり感じない温かい雰囲気の葬儀で終了した。
田村淳はこの時の葬儀について「泣いたし笑ったしの繰り返しで、だけどこれが久仁子がやって欲しかったことなので、そこはすごく満足感がありました。ちゃんと見送れたなと」と……。
元気なときこそ遺書を書く
田村淳は遺書について、いまの気持ちをこう語る。
「遺書ってすごく忌み嫌ってしまうんだけど、書いてみたらめちゃめちゃモチベーションがあがるんです。
(実際に)娘のために遺書を書いてみたら、娘のために書いていたのに自分にすごく跳ね返ってくる。なぜなら死ぬ気にならないと書けないから。
死ぬ気になって書いたものに自分がどう生きたいかや、どうありたいかが明確に示されるので、モチベーションがグッと上がったんです。
(今後)これを大事に生きていかないといけないじゃないか、これが大切なことなんだと再確認できたので、だから遺書ってみんな書けばいいじゃないかと思ったんです。
(遺書は)1回で終わるものではなく、うちの母ちゃんがメッセージを1年に1回紡いでくれたように、(内容が)変わらなければ書かなくてもいいし、変わったら変わったでその人の考え方なので」
―――1度だけではなく複数回書くことで自分の考えを残しやすく、亡くなった後、残された側も遺書を基にどんなことをしてほしいか判断をしやすく、より故人の意思に向き合えると遺書への在り方について語っていた。
亡くなった後の話は生きているうちに家族で話しあう
故人が心残りをしないために、亡くなった後どういう葬儀にしたいかなどの話をするタイミングについて田村淳はこう考える。
「(お盆は)先祖の方を偲ぶ日なので、そこでどんな死に方したいの? なんて聞くとなかなかエンジンがかからないです。
うちの母ちゃんは“誕生日”をそういう日に使っていました。生まれた日なんだから(その日は)死ぬことを意識する日、だからあなたの誕生日の時に私の大切なメッセージ(どう死にたいか)を伝えているんだ、と。
ちゃんと生と死がセットで考えさせてくれたなと思えたので、今度の父ちゃんの誕生日にはどんな葬儀がいいの?とかは聞こうと思います」「けど、誰もやろうと思わないです。だって怖いですもん。
それはやっぱり母ちゃんが看護師だったからだと思います。いろんな人の死を見てきているんです。あんな別れ方したくないとかよくいってたんです」
撮影後、田村淳に聞いてみた
―――Q: 動画の公開が5月14日(母の日)ですが、田村さんが今年亡くなったお母さまとの向き合い方や過ごし方予定がありましたら教えてください。
毎年母の日には母ちゃんの『好きな食べ物』や『行きたい場所』とかをプレゼントしていたんですけど、母ちゃんが死んでからは、母ちゃんが『愛している人』や『愛している物』とかに目を向けようと思ってます。
うちの母ちゃんは父ちゃんを独り残すことが一番の心残りだったので、(母の日には)父ちゃんと、母ちゃんのことを話す日にしています。
その方が父ちゃんも喜ぶし、母ちゃんも喜んでくれているんだろうなと単純に思えるので。(愛している物だと)麻婆豆腐が好きだったので、麻婆豆腐を食べようと心がけています。
―――Q:もしお母さまが生きていたら、今年の母の日に送りたい言葉やメッセージはありますか?
僕がこの一年間に、こんなことあったよとか、こんな面白いもの見つけたよとか、こんな美味しいもの見つけたよ、というのをプレゼントしていたので、今年で言うと、焼き鳥屋に連れていっていたと思います。
この焼き鳥にはこのお酒を合わせるとか、このお酒を飲んでからこの焼き鳥の串を食べてくださいとか、(焼き鳥と)お酒のタイミングをプレゼンしてくれるお店を見つけて、母ちゃんがこんなの好きそうだなと思い、たぶんそこに連れていっていると思います。
―――Q:また、視聴者の方に母の日のおすすめな贈り物について・・・
僕が親になって思うんですけど、カーネーションであってもなくても、本当に心がこもったものである方が嬉しいなと思います。
自発的にやってくれているという方が、母ちゃん、父ちゃんは嬉しいんだろうなと思います。
カーネーションと、あと何か二人の関係じゃないと分からないような何かがあると、より母の日というのは特別な日になるんじゃないかと思います。
私のことを考えてくれているなと母ちゃんが思えるようなものと、何かプラスアルファがあると、私のこと本当に思ってくれていてうれしいと母ちゃんが感じそうだと思います。
―――Q: 視聴者の方にも「遺書」を書くことをおすすめしますか?遺書を書くおすすめポイントと遺書への考え方を教えてください。
僕自身が遺書を書いて何に気づいたかと言うと、相手のために言葉を紡いでいたものが遺書を書いて向き合っている間に自分と向き合う時間がすごく沢山あって、死ぬ気で書いて出てきた言葉の中に、自分がやりたいこととか、自分が人生で進みたい方向とかが明確になった。
書き終わった時にポジティブになっていて、これだけは一度トライしてもらわないと遺書のイメージが変わらないので、淳がそんなにいうなら一回遺書書いてみるかと、この一回で遺書を書き終えるとうよりかは、これからの人生で何度も遺書を書くんだと、軽い気持ちでトライしてもらえると、色んな気づきが書いた人の中に湧き上がるんじゃないかと思います。
―――Q:「葬儀」と言われて、多くの人はネガティブととらえる方が多いですが、田村さんが考え方が変わったタイミングやエピソードを教えてください。
母ちゃんの葬儀に触れてから、葬儀のイメージががらりと変わりました。
「やられた」「笑わされた」「泣かされた」など、色んな仕掛が葬儀の中にあって、これは人生で最後に自分がどうゆう人間だったかを示すために物凄く意味のあるものでした。
ただ別れを惜しむだけではなく、「私はこの世を去るけれど、生きているあなた達にはこんな気持ちで生きていって欲しい」というのが葬儀を通じて伝わってきたので、イメージはがらりと変わりました。
―――Q:ネガティブなことと向き合い考えるとき、田村さんなりの整理の仕方を教えてください。
何でネガティブなんだろうとひも解いていく作業をします。
考え方をちょっとずつ変えていくとポジティブに変換できることがネガティブのなかに詰まっているので、何が根源なんだろうと調べて、この根源を変えられるかどうかと考える時に、その思考がもうポジティブに変わっています。
ネガティブの大本を辿る旅はしんどいですけど、理由が分かれば本当にネガティブのままのものもあるんですけど、ポジティブに変えられるものもある。
葬儀に関して、僕はすごくポジティブなので、この差は大きいと思います。
ご自身で(ネガティブなことを)ひも解き分解し、理由は何なのか突き止め解決するしかないと思います。
僕は常日ごろネガティブなものはそうやって解決しています。